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今の子育てに足りないのは“言葉”じゃないですか?

こんにちは。ぽん先生です。

もう9月か、、、なんて考えていると、「今月でもう年度の半分が終わるのか!?」と驚いた今日この頃です。

さて、先日娘と公園で遊んでいる時に「これどうなのかな?」と感じたことを記事にしてみました。

というわけで、今回のテーマは「子育てと言葉」です。

タイトルには“今の子育て”と書いてみましたが、「最近の子育ては…」なんてことを言いたいわけではありません。

少なくとも、私が保育業界に携わってからずっと感じてきたことを書いていきます。

今日は、親子のコミュニケーションについて少し考え直してみませんか?


公園での出来事

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先日、娘2人を公園に連れていった時にこんなことがありました。

その公園には汽車の遊具があって、その運転席にはハンドルがついているんです。

一人の女の子がそれで遊んでいました。

それを汽車の外からいかにも「次やりたいです」という眼差しを向けて待つ男の子。

ただ、その男の子は並んでいるわけではないので、遊んでいる女の子は全然気づいていませんでした。

そこへ私の娘がやってきて、「運転代わってほしいな〜」って女の子に話したんです。

女の子は「いいよ!」と言って代わってくれました。

すると、それを見た男の子はすぐ後ろにいたお母さんに何も言わずに抱きつきました。

まぁ予想通り、運転席で遊びたかったわけですね。

とりあえず、私はその男の子に気づかない振りをしてその子の様子を見ていました。

すぐにその子のお母さんは「やりたかったの?」と聞いていましたが、今度は黙って汽車の周りをウロウロし始めました。

ずっとウロウロしているので、そこで私は「もしかして運転したかった?」と声をかけてみます。

すると、その子は私の声を聞いた瞬間に、パッと走ってどこかへ行ってしまったんです。

その子のお母さんは「すみません、大丈夫みたいです」と私に話してからその子を追いかけていきました。


ちょっと考えてみよう

さて、ここで運転席に座れなかった男の子についてちょっと考えてみましょう。

この男の子はどうして行ってしまったのでしょうか。

私は恐らく、お母さんに「次代わってもらえる?」と遊んでいる子に声をかけてほしかったのではないかと思います。

つまり、最初の段階でじっと汽車を見ていることで、お母さんにそうやって遊んでいた女の子に話してほしかったんですね。

ところが、私の娘が後ろに並び、その子に先に代わってほしいと話してしまった。

それで、どうしようかとウロウロしていたものの、それでもお母さんが何も言ってくれなかった。

そんな時、私に声をかけられた。

しかし、その子のコミュニケーション方法は
自分 → 母親 → 目的の人
と、母親を間に挟んだやり方だったので、とっさに私が話しかけたことに対応できず、逃げてしまった。

私はそうやって捉えました。


この親子の2つの問題

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ではここで、この親子の問題についてあげていきます。

私は2点感じました。

①母親を通したコミュニケーションしかできなかったこと
②言葉でのコミュニケーションをしていないことです

こう取り上げると、「内気な子の背中を無理やり押し出せって言うのか?」と声が聞こえてきそうなので、参考までに"私ならこうする"というのを書いておきますね。

〜パターン1〜
「どうしたの?」と母が男の子に聞く
 ↓
男の子「ハンドルしたいの」
 ↓
母「次貸してって聞いてみたら?」
 ↓
男の子「やだ」「恥ずかしい」
 ↓
母「じゃあ一緒に言ってみる?」
 ↓
一緒に言いに行く or  断れば終了
〜パターン2〜
「どうしたの?」と母が男の子に聞く
 ↓
黙っている or  「なんでもない」
 ↓
「何かあったら手伝うから言ってね」とだけ伝えておく

こんな感じですね。

私はここで2つの問題点をあげました。

いえ、問題点というのはやめましょう。

別にこれは、この親子を批判するつもりなんて全くないんです。

2点の気付きとでも言っておきましょうか。

なぜ気付きにしたのか。

それは、こういうコミュニケーションの形は、お母さんにとっても子どもにとってもすごく不便じゃないのかな?と思ったからです。

だって、男の子は結局自分の願いを叶えられなかった。

お母さんだって、男の子の何とも言えない姿を見て、きっと嬉しい気持ちではなかったはずです。

だからこそ、言葉を使ったコミュニケーションが1番便利じゃないかとと思いますし、やっぱり言葉でのやり取りがあってこそ、コミュニケーションが成り立つと思うんです。


察して助けるのが日本の美学

相手が言ってないことにいち早く気づき、率先して助けてあげる。

これって美しいことですよね。

こういうところに日本人の気遣いや素晴らしさが非常によく表れていると思います。

ところが、私はこれって良くないことだとと思うんです。

例えば、小さい子どもだったら、なんとなく何をしてほしいのか分かりますよね。

・手洗いで石鹸が取れなくて困ってる
・ズボンに足が引っかかって履けずに困っている

まぁ、小さなうちは目に見えて困っていることが分かりやすいのが特徴でしょうか。

しかし、入学したり、思春期に入ったりと、子どもが大きくなるにつれて、その"言葉にしない願い"というのはどんどん分かりにくくなっていきます。

ところが、子どもの方は違います。

「この人なら黙っていても分かってくれる」

そう思い込んでしまいますよね。

すると、将来はこんな困ったことが起こります。

「私がこんなに苦しい思いをしているのに、どうして誰も手を差し伸べてくれないの!?」

分かりますか?

助けてもらう側は完全に依存してしまうようになっていくんです。

だから、日本人ってよく「なんで分かってくれないの!?」って言うじゃないですか。

それは結局、家族とか恋人とかみたいな親しい関係であれば、何もしなくても分かってもらえるし、なんとか解決してもらえると思い込んでるんです。

よくよく考えたら、これが「察してよ」の原因なんですね。

日本人ってほぼ100%の人が「なんで分かってくれないの!?」でトラブルになったことがあるんじゃないでしょうか。

明らかに拗ねたり不機嫌になったりしているのに、「何にもないから」とか言っちゃうんですよね。

厳しい言い方をすれば、本当に幼稚なコミュニケーション方法だと思います。

でも、言語化しないと心の中で何を考えているのかは分からないし、的確な援助もできないんです。

ちなみに、アメリカなんかでは言われてもないことを他人にやってあげるのは赤ちゃん扱いしていると言うことになりますからね。

日本の「相手の気持ちにいち早く気づき、率先して助けてあげる」という文化は素晴らしいおもてなしを築いている一方で、"察してよ""気づいてよ"の相手に依存するコミュニケーションを生み出しているんです。


言葉こそコミュニケーション

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だから、言葉でのコミュニケーションを重視したい。

そのために私がやっていること。

私は娘に対して、言われていないことは一切助けません!

その代わり、困っている様子だったら「どうしたの?」と必ず聞きます。

で、訳の分からない変なことを言い出さない限りは必ず手伝います。

そうすることで、必ず言葉で伝えてくれるんですね。

だからこそ、ものすごく語彙もありますし、話すのが好きなんだなと娘を見ていて思います。

でも、これは娘のことを自慢したいわけじゃないんです。

こういうコミュニケーションの習慣をつけておけば、

「んっ、お茶」
「あれやって」

みたいな、寂しいコミュニケーションって家族間でなくなりますよね。

もちろん、子どもが思春期なんかに入ってくるとそうはいかない部分が出てくるかもしれませんが、やっぱり根底には「言わないと伝わらない」という意識が染み付くと思うんです。

だから、家族のコミュニケーションを豊かにするためには、言葉による伝え合いが重要だと言えるのではないでしょうか。


まとめ

今回は「子育てと言葉」についてお話ししました。

言葉というのは、相手に正確に自分の思いを伝えるための唯一の方法なのかもしれません。

もちろん、「相手が言ってないことにいち早く気づき、率先して助けてあげる」という日本の文化はすごく素敵なものだと思います。

しかし、その一方で"相手に気付いてほしい"という依存的な関係を築いてしまっているのではないでしょうか。

そのため、拗ねたり嫉妬したりといった方法を使って、相手とコミュニケーションを取ろうとするのだと私は思います。

こういったコミュニケーション方法は良くないんじゃないかと賛成していただけた方は、ぜひ"言われたことだけをやる"という子育てを取り入れてみてもらえると嬉しいです。

そのためには、子どもを放置するのでなく、
「どうしたの?」
「何かお手伝いしようか?」
「何かあったら手伝うから言ってね」

などと、援助の言葉を積極的にかけてあげてください。

そうすることで、家族間の言葉のやり取りが増え、コミュニケーションが豊かになっていくのではないでしょうか。

ぜひ、ご意見やコメントお待ちしております!

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