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お母さんとぼくの話

 母が再婚した。
 父はぼくが物心つく前に他界していて、母はぼくのことを女手一つで育ててくれた。ぼくが小さい頃から恋人の絶えない女性であったが、心のどこかにはずっと父がいるようだった。どうして私をおいていったのと、缶ビールを片手に泣いている母の後ろ姿を、あの震える声を、ぼくはいつまでも忘れられない。どうして私をおいていったの、込められた思いは問いかけじゃなく、責めるわけでもなく、手も声も届かないことがただただ悲しい気持ちと、そんなこととっくにわかっているという諦めのように感じた。
 わたしはもうだれとも結婚する気はないのと、母は言っていた。この自由な生活を手放せられないというのが理由らしい。彼女の背景を考えると、父のことが忘れられないからとか、ぼくがまだ社会人になっていないからとか、ほかにもいろいろ考えつく理由はあるが、どれもしっくりこなかった。父のことが忘れられないのはそうだろうが、それはおそらく深く心に刻まれた傷または思い出に変わっていて、呪いのようには感じなかった。そのことに支配されているようにぼくの目にはうつらなかった。母はじぶんの気持ちに正直な人間だったので、ぼくが社会人になってからというのもありえない。ぼくの気持ちを心配して再婚を控えるくらいなら、絶対にしないで欲しかったことを、たくさんされた。だからきっと、母の言った理由が本心なんだろう。

「お母さん、泣かないで」
 父が他界してしばらく、母はずっと泣いていたそうだ。ある朝大好きなひとが隣で息をしていなくて、幸せだった日々はもう絶対に戻らなくて、義母からはお前が殺したんだと罵声を浴びせられ、どれくらい苦しかったのか、どれくらい痛かったのか、ぼくには想像ができない。その気持ちを描写する言葉がわからない。ひとの死は、それを受け入れようとするひとの数だけある。それを想像したり表現しようとすることは傲慢だし、ずっと泣いていた、悲しくてしかたなかった、母が教えてくれたそのことだけが真実だ。
「お母さん泣かないでって、あなたがわたしの涙をふいたの。それからお母さん、強くなったの」
 幾度となく聞かせれた話だからか、ぼくの記憶の中にないそれは、ぼくの中に事実として残っている。そして記憶の中のぼくも何度も思っている。ひとりお酒を飲んで涙に震える母の後ろ姿を見て、お母さん泣かないで、悲しい顔しないでって、何度も何度も思った。
 ぼくの母は強い人間だ。たくさんの痛みを知っていて、それでいて抱えている痛みを盾に他人を攻撃したりしない。ひとを好きになることはあるが、そのひとに頼りきることはぜったいにしなかった。
 母の背中を見ていると、ひとってひとりで生きていくんだと感じた。もちろん母もまわりに支えられ生きているし、ひとりで生きることが強いことかというと、いささかそれは乱暴だ。けれど、彼女の背負っている孤独をぼくが強さだと感じたのも、またひとつ事実だ。

 そんな母が再婚した。再婚相手に対して思うところは色々あるが、母が幸せだと言うのだからそれでいい。ぼくは母の残りの人生に責任をもつことはできないし、母もそれを望んではいない。母の人生は母のものだ。一人でお金を稼いで生きていけるようになるまで育ててくれて、本当にありがとうと思う。戸籍上ひとりになるだけで、いままでとなにも変わらない。そんなことより、母がだれかと生きていくこと、だれかと生きていくことを選んだことが、なによりも喜ばしいことだ。
 そして再婚相手と住む家を買うのを契機に、実家が売られた。残しておいても維持費がかかるだけだし、ぼくもしばらく帰っていない。田舎の古い家だからある程度のお金にしかならないが、残し続けてお金が出ていくより確実に合理的だ。相続したら処分しなければいけないんだから、ぼくにとってもその手間が省けた。よかったのだ。

 母とはなかなかに喧嘩することが多かった。それもあり、この大学に絶対受かるように勉強するから、合格したら一人暮らしをさせてくれと母に頼んだ。直前の模試まで一番悪い判定だったが、合格するためには勉強するしかないから勉強した。試験に受かる一番のコツは試験を受けることと担任の先生が言っていたから、試験を受けた。試験勉強期間中も何度も母とぶつかっていたので、合格してからは迷わず一人暮らしを選んだ。
 母とある程度仲良くできるようになったのは、これにより二人の距離が離れてからだ。母のことを肯定的に受け入れることができるようになったのもこの頃からだ。
 その一方で、社会人になってからも、生まれ育った環境へのコンプレックスがどこかにあった。片親であること自体はぼくの中でなにも悪さをしなかったけれど、その環境だからこそ感じた嫌な気持ちはいつまでも忘れることができない。普通の家庭というものがなにをさすかはわからない。両親そろっているからと言って必ずしも幸せではないし、その家庭にはその家庭の問題がある。片親であったからと言って不幸であるわけでもない。それにぼくは幸せに育った。いろいろあったけれど、いろいろあったからこそいまのぼくがいる。
 そんなことわかっていながら、普通の家庭に生まれていれば、そう言って後ろを向くことが何度もあった。

 そういう後ろ向きな気持ちと、さよならするときがきたんだなと思った。
 戸籍がぼくだけになること、実家がなくなること、そのどちらもいまの生活に影響しない、言ってしまえば形式的な話だ。寂しくないと言えばうそになる。でも、母の幸せを受け入れ、経済的合理性を優先する、その選択をすることで、ぼくはきっと前に進める。これで母もぼくも幸せになる。少しだけある反対したい気持ちはきっと、ただのぼくのわがままだ。子どもの頃に満たされなかった寂しい気持ちが痛い痛いと言っているだけで、これを乗り越えられればもう振り返らずに済むんだ。母の再婚におめでとうと言い、実家を売ることに反対しなかった。


「だから、いいきっかけだったんだよ。前に進めたと思う」
 こんなことがあってね、と冗長に話すぼくのあれこれをなにも言わず相槌だけで聞き終えると、ため息をおとしながら彼女は笑った。もの言いたげな彼女の横顔に、言ってることおかしいかなと、ぼくは少しむきになった。

「そうやってまた、お利口さんしたってわけ」
 あなたの中でそう整理をつけるしかないだけで、本当のあなたはただただ傷付いているの、あなたは気付いていないのね。そう言って彼女は、ぼくの背中を繰り返しさすった。
 そう整理をつけるしかなかった、そうしないと前へ進めなかった。痛い気持ちにふたをして、見て見ぬふりをする以外にぼくは生きる方法を知らない。直視すれば心が壊れそうになること、鈍感にならなければ受容できないこと、うまく整理しないと心が暴れだしてしまうことがこの世にはたくさんある。この苦しさを苦しいと認めてしまったら、とりかえしがつかない。ひとはいつだってひとりだ、ぼくの問題を解決できるのはぼくしかいないじゃないか。

「みずくさいじゃない、勝手にひとりにならないで」
 あなたの周りには、最高の友人がたくさんいるの。それはあなたが最高だからよ。あなたの中の傷と折り合いをつけるのはもちろんあなたよ、そういう意味でひとは、どうしたってひとりかもしれないわね。そうだとしても、あなたがその傷と向き合うのに、そばにいてくれるひとがいる、わたしもそのひとりよ。あなたはひとりじゃないのよ。

 彼女の言葉にどこか許されたような気がして、その日のぼくは泣きやむことができなかった。


 はやかわです。
 もう五年も前のことでしょうか、あのときあの言葉をかけてもらえていなかったら、ぼくはもっと長く後ろを振り返りながら生きてきたんだと思います。
 いまはもう母の再婚を心から喜べています。たまに電話をかけて、旦那と仲良くやっているか、幸せかと聞くと、めちゃめちゃ仲良しだし幸せだよと迷いなく言ってくれます。ぼくと電話をしているときもだいたい旦那が隣にいるので、本当に安心できる相手なんだと思います。それがぼくには嬉しいです。
 実家がないことは、いまもまだ心がちくちく痛むことがあります。でもいまはそれでいいかなと思います。痛い気持ちは痛いと認めてあげて、上手に付き合っていくしかありませんね。
 小さい頃からいろいろあったので、母に対していろいろ思うところはあります。母のことを好きかと聞かれれば間違いなく嫌いです。母からの愛はたしかに信じていますが、大切にしてもらえたかと思うと、ずっと寂しかったと思います。それでもぼくは母が幸せになってくれたら嬉しいし、感謝をしています。好きとか嫌いとか、大切とか大切じゃないとか、愛しているとか憎んでいるとか、一言じゃ表すことができない人間関係って、たくさんあるんじゃないでしょうか。
 ちなみにこれまでの感謝の気持ちとぼくの人生が幸せであることを結婚式で母に伝えるのがぼくの夢なのですが、母は同性愛アレルギーなので、きっとこのままカミングアウトはしないし、その夢はかなわないなろうと思います。

 こうやってひとつひとつ、ついた傷との上手な付き合い方を探していくんだろうと思います。

 以上です。よろしくお願い致します。

 


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