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お互いの権利を尊重できる社会の実現にむけて

四十代弁理士の石川です。今日は「お互いの権利を尊重できる社会の実現に向けて」という、一見壮大なテーマについて。

連ドラの「それってパクリじゃないですか?」は、知財関係者の間では大いに盛り上がったのではないでしょうか。私も、知財業界でよくある話に、共感したものでした。

パクリは、それだけ我が国でありふれた問題です。

ではなぜ、パクリがそれほど横行しているでしょうか?

1.国民の意識の問題

理由としては、国民の知財への意識が低いことに原因があるかと思います。安易に考えている方が多すぎます。

これくらいなら、パクってもいいやと思っている人がけっこう多いのです。

・「それパク」でもあったように、インターネットで公開されている写真家の写真を黙って拝借して利用する。
・競合会社の工業的デザインを拝借して自社製品として売り出す。
・「他社のコピー品を作ってくれ」という仕事を安易に受注してしまう。
・売れている商品にあやかりたい、間違って買ってくれたらしめたものだ、と安易に考えてしまう。

我が国では、労働問題などに比べて、知的財産権などまだまだ些細なことと思われているのです。

一方、パワハラに代表されるように、労働者の権利については、尊重される世の中になってきました。ブラック職場では、人が定着しませんので、必然的に、労働者の権利を尊重せざるを得なくなりました。

リゲインの「24時間働けますか?」CMに代表されるように、サラリーマンが猛烈に働いた昭和の時代から、日本中で労働に関する多くの争いが起って、平成、令和を経て、最終的に「パワハラは駄目」ということになりました。

また、基本的人権が、憲法に明記されているのも大きいと思います。

他人の知的財産権を尊重せよ、とは我が国の憲法には明記されていません。

一方、アメリカでは、驚くべきことに、1789年合衆国憲法以来、特許についての明文の規定が設けられています。それだけアメリカは、知的財産権に対する意識が高い国なのです。

2.「知的財産権の尊重」の憲法への明記を

国民の知的財産権への意識を高めるために、憲法にお互いの「知的財産権を尊重する」という明文を設けてもよいと思います。

アメリカは、1789年から憲法に特許に関する規定を設けているのですから、その意味では、日本は200年以上遅れていることになります。

憲法への「知的財産権の尊重」の明記について、国や政治家に働きかけていきたいものです。弁理士会として、国や政治家に働きかけても良いかもしれません。

3.多様で個性を重んじる時代


現代は、個性を重んじる時代です。

部活で生徒に丸刈りを強要することは過去のものになりました。多様な価値観を許容する時代の到来です。

相手の価値観を許容し、尊重するとは、相手が自由に考える権利を尊重するということです。

それは、他者の知的財産権を尊重するのと同意義です。なぜなら、知的財産権というのは、他者の考えやアイデアが具現化したものだからです。

知的財産権の侵害は、相手の価値観を尊重しないときに起こる問題です。

そして、知的財産権の侵害は、相手に対して甚大な被害を与えます。なぜなら、知的財産権の侵害は、相手のコアバリューに侵入し、相手の市場を荒らして、相手が将来的に得ることができる利益を横取りすることにつながるからです。

オマージュといえば聞こえはいいですが、有名で人気のあるものにあやかって便乗しているだけ、と考えることもできます。


相手の価値観を尊重するとは、相手の考えやアイデアに敬意を払い、それは相手の権利として尊重し、自分は、他のやり方をとるというのが正しいやり方です。それが本当の意味のリスペクトです。

4.お互いの権利を尊重できる社会の実現にむけて

自由な時代になったからこそ、自分というものをしっかりもつことが大切といえるでしょう。

自分のアイデンティティを決めるものが、他人から拝借したものでは悲し過ぎます。

個人ではなく、会社であれば、自分達の強みを把握して、自社の技術・デザインを知的財産権で守りつつ、社員に対してはきちんと教育を行って、安易に他社のアイデアをパクってしまわないこと、これらが非常に大切です。

私は、一人の弁理士としてできることは微々たるものですが、教育を通じて社会をちょっとずつ変革していければ良いなと考えております。

それによって、お互いの権利を尊重する社会の実現に向けて、一歩一歩、歩んでいきたいと考えております。


弁理士の石川真一のフェイスブック
facebook.com/benrishiishikawa


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