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【水辺と思い出(山エッセイ)】

今日も滝子山の話。

分岐点を「難路」と書かれた方向へ曲がってしばらく登ると名前の無い滑滝がある。

『滑滝』という言葉も登山を始めるまで知らなかったがナメタキと読んで、岩の上を滑り落ちるような緩やかな傾斜の滝をいう。普段ならわざわざ「難路」と書かれているような道は選ばないけれどその日は涼しさを求めての登山。それなら滑滝をみすみす見過ごすわけにはいかない。

辿り着いた滑滝は、いくつも連なる岩場の上を滑り落ちるように流れていた。しかも水の流れる滝のすぐそばまで降りられる。滑滝のそばにしばらく腰を下ろして、水の流れるところを眺める。傾斜を滑り落ちる水が岩にぶつかって飛沫をあげる。弾ける水の雫が目まぐるしく変わるのをいつまでも見ていられる。

雲とか、川とか、海とか滝とか。山頂からの景色が見飽きないのと同じように、水の流れる様子も見飽きない。そういえば、昔から水辺は好きだった。子供の頃は多摩川で飽きずに水切りをやっていたし、父の実家の田んぼに有る用水路を眺めるのも好きだった。修学旅行で何をしたかなんてゼンゼン覚えていないのに華厳の滝に行った時の感動だけは覚えている。向ヶ丘遊園駅の汚い噴水に飛び込んでおそろしく怒られたり、山中湖で救命胴衣をつけて湖に飛び込んでぷかぷか流されて死ぬほど怒られたのも覚えている。

水辺の思い出は印象深い。どれも子供だった頃の思い出ばかりだけど。大人になると時間に流されてばかりで日々の余裕がないので、たまには自分の意思と足で出歩いて、こうして新しい思い出を残せているのが嬉しい。

滝子山の滑滝。


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また新しい山に登ります。