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『勿忘草 【後編】』

普段の日常が特別な日常に変化していく心を彩る物語

目次
1章 「空」
2章 「観葉植物」
3章−1 「川合」
3章−2 「川合」
4章−1 「向日葵」
4章−2 「向日葵」
章−1 「夕暮れ」
5章−2 「夕暮れ」
6章−1 「勿忘草」

6章−2

1時間に1本しか来ない電車がまもなく発車しようとしていた。運がこのときは味方してくれているようで、なんとか発車直前に駆け込んだ。100mダッシュを休む間も無く連続で走らされたような息を切れをしていた。周りの乗客から変な視線を感じつつも、そんなことはどうでもよかった。

ただ僕の意識は青彩だけに向いていた。

電車に乗ってからは自然と呼吸が整いはじめ、ドア近くの壁に寄りかかりながら冷静になって、窓の外を眺めていた。いつも以上に田舎の風景が綺麗に思えた。僕はふと、池袋で待ち合わせのときも青彩も見慣れたはずなのに、綺麗に思えたことを思い出していた。

地元の駅に到着して、僕は真っ先に青彩の実家に走った。家の明かりがついていたので思い切って玄関のチャイムを押した。足音が玄関に近づきガラガラと扉が開いた。

僕は深くお辞儀をしながら待っていた。

「あら、もしかして佐助くん?」

優しい声が聞こえた。

「はい」

ゆっくりと顔を上げて答えた。なぜ僕のことを知っているのだろう?そんな疑問を頭の片隅に置きながら会話を続けた。

「青彩さんのお母さんですか?」
「はい、挨拶するのは初めましてかな。青彩がいつもお世話になってます」

何もかも包んでくれそうな口調で、笑顔が素敵な人だった。

「はじめまして。夜分にすいません。青彩さんいらっしゃいますか?」
「心配してきてくれたの?ありがとうね。青彩は病院に居て、ここにはいないのよ。」
「そうでしたか」

僕の唐突な質問にも、思いやりを持って応えてくれるのが伝わる。

「青彩は、中学生の頃からあなたのことを私によく話してたの。佐助くんが居てくれたから今の私があるって」
「えっ、僕はまったく…」
「青彩はね、小さい頃からあまり笑わない子でね。曇り空みたいに何もかも閉ざしていた気がするの」

僕は頷きながら聞いていた。大学の青彩しか知らない人たちはまったく想像できないと思う。

「でもね、あるときから変わったの。まるで、曇っていた空が晴れわたる空になったような感じでね。そのとき、青彩が言ってたの。『私にもできることが沢山ある』って、そこから自分の感情を表情に出すようになってね。その表情に私は
何度も、何度も救われたのよ」

なぜか僕は涙が溢れていた。

「嬉しいことも悲しいことも、楽しいことも、寂しいことも、誰かが関わることでしか生まれない感情だと思うの。青彩は佐助くんから沢山の感情をもらえたから、本当に感謝してるのよ」

「いえ、僕は本当に何も…」

「ううん、佐助くんは誰が何と言おうと青彩にとっては、たった1人の特別な存在なのよ。だから、本当にありがとう」

「僕も今の青彩さんから沢山の感情をもらいました。感謝を伝えるのは僕の方です。今の僕に何かできることをさせてください」

「そうだ!」

と何かを思い出したようにお母さんは奥の部屋に行って何かを手に取って持ってきてくれた。

「これ覚えてるかしら?」
「これって…」

僕が青彩にバレンタインのお返しであげた些細なメッセージカードであった。そのカードにはひとこと、大きな字で『ありがとう』の文字が書いてあった。

「青彩ね、大事に机の引き出しの奥に保管していたの。あっ、これは内緒ね」
「自分でもなんか恥ずかしいです」

自分でも書いていたことを覚えていない驚きと照れ臭い感じがなんか心地よかった。
うふふ、と青彩のお母さんは微笑みながら僕に何か伝えようと、息を飲んだ。

「実はね…」

そのとき、青彩の家の電話が鳴った。お母さんは電話に出ると顔色を変えて、何か話をしている。それは良くないことであるとこの僕でも勘付く。電話が終わると

「ちょっと青彩のところに行ってくるから、今日はもう帰れるかしら」
「夜分に失礼しました。はい、歩いて帰れます」
「ごめんね。青彩はここの病院にいるから」

と僕に病院の名前を書いたメモを渡してくれた。

帰り道、僕にできることは何だろうとずっと、そんな自問を繰り返しながら手が凍てつく痛みと澄み渡る空気を肺で感じながら暗く長い一本道を一歩一歩、歩みながら降り積もった雪を踏みしめて僕は帰路を進んだ。

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