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コンビニよりも多い神社の謎⑥ 融合した神と仏が解体された! 神仏分離令とは!?

信仰のシェア争いが発生!?

 自然崇拝から始まった日本神道は祖霊信仰、神奈備信仰へと発展し、さらに仏教と融合する事で、複雑な宗教観と沢山の神仏が生まれました。
 実在の人物や、怨霊を祭る御霊信仰も始まり、さらに神道と仏教を混ぜた修験道も生まれ、日本という国はたくさんの神様を内包する事になりました。

 神様が沢山いるので祭神が住んでいる本宮を中心に、分御霊(わけみたま)と言って神格を分けた、分社が日本中に広がっていくのですが、修験道の山伏も全国を巡って布教活動を行い、権現社を増やしていきました。

 また神宮寺は主に武士が、各地に増やしていきます。

「あれれー? 神宮寺って神様を仏教で救済する為に造られたんだよねー。なんで武士が関わってくるの?」
 という疑問を持つ方もいるでしょう。なぜ武士が神宮寺を広げたのかと言うと、鎌倉幕府を開いた源頼朝(みなもとのよりとも)が関わっています。

 八幡大菩薩(はちまんだいぼさつ)という、神仏を祭る神宮寺がありました。八幡大菩薩というのは、すっかりお馴染みになった神仏習合によって登場した神仏で、元々は宇佐八幡宮の祭神で日本古来の八幡神という神様でした。

 源頼朝は鎌倉幕府と一族の守り神として、八幡大菩薩を鎌倉の地で祭りました。こうして出来たのが鶴岡八幡宮という神社です。
 実写映画にもなった西岸良平先生の人気漫画『かまくら物語』にも、鶴岡八幡宮が登場するので、知っている方も多いのではないでしょうか?

 源頼朝は鎌倉幕府という初の武家政権を立ち上げ、武士の時代を切り開いた人物なので、サムライから見たらスーパーヒーローと言えます。
 サムライのヒーロー頼朝が祭る八幡大菩薩を、他の武士が無視する筈がありません。武士達は源氏の守り神である八幡大菩薩を『戦勝のご利益がある!』として、各地に祭り神宮寺が増えていきます。

 中世~近世にかけて神社、権現社、神宮寺による信者の獲得が激化します。なんだかD社、A社、S社による携帯シェア争いに似ていますね。

江戸時代のお寺は公的機関だった!?

 江戸時代には寺請制度(てらうけせいど)というものがありました。これは隠れキリシタンを見つけため江戸幕府が作った制度でしたが、やがて仏教の寺院が住民調査を担う事になります。
 つまり寺院が国の公的機関に任命されたわけですね。こうして、お坊さんが民衆管理をする役人で、寺院は役所のような場所となりました。

 しかし『仏の教えを広め、人々を救う』という、本来の宗教活動は疎かになりました。しかも公的機関として江戸幕府から守られているので、当時の仏教界は腐敗し、汚職の温床になっていきました。こうして寺院は檀家や信者に対して高額なお葬式を強制させたり、高慢な態度をとるようになったので、民衆は不満をつのらせていました。

 寺院の権威が強くなっていった一方で、神社に従事する神職の方々は立場が弱く、寺院によって虐げられていました。
 
 江戸の世の中は巫女さんや神主さんだけでなく、一般の人までお坊さんに怒っていたのです😡⚡
 そして、江戸時代が中期になると「神道と仏教を分けて考えよう」という神仏分離の思想が強くなっていきます。
 

神仏分離令とは!?

 時代が変わり明治になると、日本の宗教は大きなターニングポイントをむかえ、神社が爆発的に増えるのです。

 明治維新によって江戸幕府が終わり、明治政府が発足すると、政府は神仏分離令と言う、神道と仏教を別ける法令を出しました。

 この法令ですが、単に神と仏を区別するものではありませんでした。さて突然ですが「陰陽師を実際に見た事がある!」という人は、少ないと思います。
 神主、巫女、僧侶、神父などの宗教関係者は、結婚式やお葬式に出席したり、神社お寺に行けば見る事ができます。
 しかし陰陽師はテレビ番組でしか、お目にかかれないほど、珍しい存在と言えます。

 実は江戸時代より以前は、陰陽師はどこにでもいるポピュラーな職業だったのです。

 なぜ陰陽師が激減したのかというと、神仏分離令が関わっています。というのもこの法令の目的というのが……
・神仏習合は禁止し、神道と仏教を明確に分ける。
・国家神道を確立し、国家を精神的に一つにまとめる。
・汚職が蔓延する寺院から支配権を奪い、思想の改革を行う。
・呪術的要素の強い陰陽道と修験道は禁止し、国内の浄化をはかる。  
 神仏分離令は神道と仏教を区別するだけでなく、陰陽師と修験道は政府によって禁止されてしまったから、数が減ったのです。

そして神社だけが残った……

 明治政府によって禁止された修験道は『このまま廃れるか、神道に帰属するして生き残るか』という選択肢が残されました。多くの山伏は後者を選択し、各地の権現社は神社になっていきます。

 修験道の最高神である蔵王権現を祭っていた、蔵王権現堂も神仏分離令の影響を受け、御嶽神社、金峯神社、蔵王神社というように、神道のものへと名前を改めます。
 祭神も大国主神(おおくにぬしのかみ)、少名彦那神(すくなひこなのかみ)など、日本古来の神々へと変更され、蔵王権現を祭る神社は少なくなってしまいました。

 また明治政府は神宮寺という、お寺なのか神社なのかわからない、グレーな存在は認めず、しかも神道を優遇しました。そのため主に八幡大菩薩を祭っていた神宮寺の多くは消滅、もしくは神社に転向し八幡神社になっていきました。
 ちなみに神社で最も多いのが八幡神社です。全国に神社は81336社ありますが、その内約44000社が八幡神社です。神社の中でも八幡神社が最も多いのは、このような歴史背景があるからなんですね。

 神仏分離令の影響を受けたのは、権現社と神宮寺だけではありませんでした。外国の神様を祭る神社も明治政府の介入があり、祭神を変えられてしまいます。
 例えば日本三大弁財天と呼ばれる竹生島神社(ちくぶしまじんじゃ)、江ノ島神社(えのしまじんじゃ)、厳島神社(いつくしまじんじゃ)は、三大弁財天なのに祭神は宗像三女神(むなかたさんじょしん)という日本古来の神様です。
 元々は名前の通り弁財天を祭っていましたが、神仏分離令によって明治政府の介入があり、祭神を宗像三女神へと変えられたのです。

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 宗像三女神は三姉妹の神様で、須佐之男神の娘です。宗像三女神を祭る宗像大社は『辺津宮』『中津宮』『沖津宮』という、三つ神社から構成されています。
 三社の中で最も特殊な信仰があるのは、沖津宮で、本土から60キロも離れた沖ノ島という孤島にあり、女性の陸上は禁止されています。「女性差別だ!」という声も上がりそうですが、祭られてるのが女神なので、女性が陸上すると嫉妬から陸上が禁止されています。
 画像は沖ノ島のものになります。

 神道は神宮寺や権現社を取り込んで、明治時代に神社は大きく数を増やしたのですが、神仏分離令によって明治政府も予想しなかった、とんでもない事が起きてしまいます。

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