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【ノスタルジールポ】二丁目に転がる覚書

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1989〜1999年頃の空気感を。 子どもだった自分の視線で。
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ペットショップ・ブルース

ペットショップ・ブルース

動物が好きだ。
たぶん、人間よりも。

その気になれば、ペットショップで半日過ごすこともできそうなくらいに。

今では“ペットは店で買うもの”だが、自分が小さかった頃、ペットは“拾ってくるもの”だった。

思えば、昔(90年代)の地元近辺には、今より猫や犬なんかのノラがうろついていることが多かったように思う。

学校帰りに犬や猫を見つけては追いかけ、そのまま家に連れていき、母親と“養育権”の獲得の

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本当の怪物

本当の怪物

「おかあ!」そう叫んで、裸足で玄関を飛び出した。

夕暮れ時、家の前に通っている舗装されていない道路の脇に、不安そうに佇む少年が見える。

おぼろげな記憶の片隅にある、6歳の頃の私だ。

お母(おかあ)が帰ってこないのだ。

往来する車を、涙ぐみながら必死に注視していた。

あの車かな、次に曲がってくる車だろうか、そんなすがるような気持ちで母親の帰りを待っていたのだ。

痺れるような恐怖心が全身を

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風街ろまんの憂鬱

風街ろまんの憂鬱

初夏と言うにはまだ早い梅雨空の朝。

朝、といっても、空の色はまだ薄暗く、まだ町が機能を始める前、ほんの小道に歩を向かわせるのがたまらなく好きだ。

場所はどこかというと、“都会”というまやかしの羽衣を身に纏おうと必死に背伸びしているような、私が生まれ育った町。

幼い頃には、はっきりと“田舎”という形容が何の抵抗もなく当てはめられたが、最近では都市開発とか、取って付けたような町おこしか何かかわか

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ガチャガチャ教のパンティー

ガチャガチャ教のパンティー

今までの人生の中で、一番の“拾い物”とはなんだろうか。

空を見上げながら、ふとそんなことを考えた梅雨の中休み、S市の昼間。

この場合の拾い物とは、棚からぼた餅的な、予想外の利益を被ったとか、そういう例え話ではない。

その辺の道端に落ちていたモノを、物理的に手を伸ばして拾うことである。

S市に来てからは、あまり道端でモノを拾うことが少なくなったような気がする。

年を重ねた大人が堂々と道端で

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