本当の怪物
「おかあ!」そう叫んで、裸足で玄関を飛び出した。
夕暮れ時、家の前に通っている舗装されていない道路の脇に、不安そうに佇む少年が見える。
おぼろげな記憶の片隅にある、6歳の頃の私だ。
お母(おかあ)が帰ってこないのだ。
往来する車を、涙ぐみながら必死に注視していた。
あの車かな、次に曲がってくる車だろうか、そんなすがるような気持ちで母親の帰りを待っていたのだ。
痺れるような恐怖心が全身を走る。
呼吸が荒くなる。
自分の足で立っている感覚が幻のように思えてくる。
このままでは、お腹から下が溶けてなくなってしまう。
早く母親と会わなければ、刻一刻と、自分という存在が消えていきそうな、そんな感覚。当時の私には到底説明できなかった恐怖だった。
誰も声をかけてくれる人はいなかった。
実はその時、家の中にもう1人家族がいた。祖母だ。
祖母は統合失調症(※当時は精神分裂病と呼ばれていた)で、時々、異世界と交信するように、私には聞こえない悪口や“悪さをする人”と戦っていた。
古い木造家屋の中で、心が通い会えない人間と一緒にいる。
同じ建物の中に、“人間のカタチをした何か”がいるだけ。
そういう時、私はこの世界に1人ぽっちでいるような寂しさを感じた。
両親が共働きで、姉がどこかに遊びに行ってしまうと、時々こういう状況になることがあった。
このままお母が帰ってこないのではないだろうか。
どこかで事故に遭ってるのではないか。
創造力を悪い方向に総動員し、妄想を膨らませた。
お母が帰ってくると、ホッと胸を撫で下ろし、先ほどまで感じていた死を意識するほどの寂しさや恐怖を忘れた(実は言わないようにしていたのかもしれない)
当時のことが影響しているのかどうかわからないが、今でも私は、何をしても拭いきれない寂しさみたいな感情が心の中のどっかにある。
その怪物は、心の“空洞の部分“を占領し、ずっと居座りながら“愛着”を食べている。ずっと獲物を探しているのだ。
あの頃、怪物がいっぱいいた。
祖母も怪物だったし、自分の中にも怪物ができた。
そんな当時を恨むわけでもなく、悲しむわけでも、怒るわけでもない。けっこう、怪物が好きだったりする。
〈今日の覚書〉
本当の怪物は、思い出で形成される。
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