詩編 『もう一つの夢殿』
人は泣きて生まれ落ちる
一生のうちに何度泣くかを告げられぬまま
知らされぬままに
潮満ちて人は笑うことをおぼえる
一生のうちに何度笑うかを告げられぬまま
知らされぬままに。
いつしか泣くことは、哭くことを選び
笑うことは嗤うことを選ぶ
それぞれの夢殿を前に人
はたと気つく
何度泣けただろう
何度笑えたのか
哭いた数は九十九に及び
嗤た数は数知れず
生ける間に開けておくは
吾夢殿の扉であった
と痴れば芳し
世一
さてまた随分と埃くさいものを引き摺り出してきたと口元を緩めた貴兄。
いや、確かに埃くさいのである。
なにせ紀元前に活躍した哲学者の二人である。
人の生まれを顕したように"泣く人"と呼ばれた哲学者、ヘラクレイトスの方が古い。一方、"笑う人"と呼ばれたデモクリトスの方が若い。
さて、この二人。芸術の世界においても存在感は高い。
バロック音楽全盛時にはこの二人をモチーフとしたオペラ用の楽曲も作られている。もちろん絵画も同様に幾度となく二人を描いた作品が発表されてきたのだが……
そもそも拙著「夢殿・笑うひと泣くひと」の着想がこの二人の哲学者たちにあったことを知る人はいない。筆者が管理する本名と会社の名前を綴ったオフィシャルブログですらそこまでは書いていなかったと記憶する。
哲学や人文学、美術史を修めてこられた御仁であれば「笑うひと泣くひと」の言葉から、何やらどこかで聞いた風な…… と考えることは不思議ではない。
小説では画家・不染鉄とアーネストフェノロサを対比させながらの話しとなっているが、不染鉄は無類の愛妻家であったが盛期に病気で妻を失っている。それ以来、鉄は憂鬱を深めている。
他方、フェノロサは実父を自殺で失うという苦しみを乗り越えている。結婚は二度ほどしたようでもあり、招へいを受け来日した際には細君も同伴したと伝わっている。
今年、東京でボストン美術館展が延期の末の開幕をみたはずだ…… 。わたしも事情がゆるせば行きたかったところではあったが、結局見られず仕舞いに終わっている。
わたしにはこの系統の作品としてもう一つだけ書かなければならない作家・作品を残している
それが"河井寛次郎"という民藝作陶家である。
河井は詩編も知られたところであり、一行詩、散文詩、書家としても知られている。
「暮らしが仕事、仕事が暮らし」
「この世は自分を見に来たところ、探しに来たところ」
日常生活における"用の美"を追求した作品群は素朴であり、静謐であり、力強い。
河井が愛したもの、突き詰めたテーマに「円」がある。
同時に河井は人をそして人の暮らしそのものを愛した。
その姿が作品として残された数々の民藝陶器の一群だ。
シンメトリーを愛し、左右に対称をみれども表裏に対称ではなしの姿は
人間を愛した河井ならではの作陶成果。
突き詰めるところ、円、真円は河井の考える"魂の姿"
表裏無し、左右無し。
わが夢殿に向き合う前に書き上げておきたい小説の一本である。
世一
読了数は60件ほどですが、おかげさまでお二人に一人のスキを頂きました。
我が作品の中においては比較的に多方面で知られた作品の一つ。
わたしが最も愛する作品の一つですが、この12月、わたしは夢殿の第四形態「お千代バージョン」をもって文学界・文藝界にご挨拶してまいる所存です。皆様よりのご支援、伏して御願い奉ります。
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