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小説「夢殿・笑うひと泣くひと」第三形態 本文5287文字

            筆名 飛 鳥 世 一
22年02月作品   
画・不染鉄・夢殿(昭和42年頃と推察するも詳細不明)

  斑鳩の地を濡らす秋の長雨は糸を引くようだ。伽藍周辺でも季節変わりの雨を途切れることなくみせている。雨水に染まった玉石は濃い鼠色を纏ったまま微動だにせぬ。
 柔らかな陽ざしさえあれば、白地に薄く藍を溶かし込んだ「石」本来の姿は訪れる参詣客の足元で、心地よい旋律を奏で聞かせるに一役買ったはずである。さながら天と地が繋がった合図を思わせるようで雨をおとす空も同じ色か。

 「経つ刻を 忘れるほどに 眺むれば 仏の教え 遷す秋霖」

 九十九(つくも)に及ぶ白糸が如き雨垂れは救世観音菩薩の功徳さながら、現世における数多患い事からの救済を試みる蜘蛛の糸にも相似して、時には下から上へ降っているようでもあり、昇ってゆくようでもありという不思議な感覚に誘われることがある。

 法性の学び入り口に立たされて「さて、この先どうする。進んでみるもよし、退いてみるもよし」と、突きつけられてもいるようで修業の身には些かハッとさせられる。

 私がここに坐してどれほどの月日が経とうか。幾度の秋を迎え送ったことだろう。秋雨に眺め入ると現と夢を行き来する。鼠色に変容をみせた玉石の隙間を埋めようとでもするのか、地面からは雨水が浮かびあがる。雨は間断なく木立や伽藍、地を打つもののここを取り巻く仏性が幸いしてか静寂に馴染みをみせていた。

 今また一人の中老男がいつもの様に憂鬱を滲ませ長靴を履き、纏わり憑く雨水すら慈しむように伽藍むこうへやってきた。
 この男、名を不染鉄というそうであり、どうやら画を生業とでもするのか足しげく通い来ては法隆寺や夢殿の画を描いていた。
 お師様の御言葉によると、東京小石川(現在の文京区)にある浄土宗の寺、光円寺の住職の倅であるということではあったもののそのくせ背筋の伸びたところは覗えない。時折地元の女子大学生数名を従えてくることもあったが、その気配、引率からは甚だ遠くいつも俯き加減に歩く様子からは引率されている気恥ずかしさと按配の悪さが滲んで見えた。 

「おぉ、今日も来たか」
「はい。今日も来たようにございます」

 何やら、心なしか待っていた如く聞こえるのは気のせいではないと感じられた。
 降り続く雨模様も手伝ってか確かに訪れる参詣者は少ない。それでも毎日通い来る者もいないわけではない。近所に住まう信心深い質屋の婆様しかり、境内に続く茶店の主人ども。
 博打にでも行こうとするのか、数人で連れ立って来ては賽銭を放り込み、柏手を打ってゆく埒なき者ら。それぞれに、それぞれの願いを届けにやってくるのである。

「…うむ。どうやら今日もこれと変わりはないか。何よりよ」
「…お師様には、随分お気に留めておられるご様子」
「悲しそうではないか。今にも泣き出しそうに見えてのぉ」
 何故お師様は泣き出しそうなあの者を見留め嬉しそうにしておられるのだろう。別に意地の悪さをみせているわけではないだろうに。

「憂鬱が見えますか。今日も画は描けぬのでしょうなぁ。ここ三日ほどは手ぶらで通い来てありますゆえ」
「画か…… 道詮、そこ元は覚えておるだろう。まだ私が木綿布でグルグル巻きにされていた頃のことを。もう何年になろうか」
「……今が昭和という元号の四十二年だそうですから、あの異人の手による開廟から八三、四年も過ぎました頃にございますか。忘れよう筈もございません」
「もうそんなになるか…… よう笑う御仁だったのぉ、あの異人」
「はい。祟りを畏れた寺の僧たちが、みな蜘蛛の子を散らしたようにその場を離れる様を見て、雷も落ちぬ火も出ぬと大笑いしておりました…… 」「そうであったのぉ。確かあの御仁も画業に精通していたはずであるが… 」
「はい。何やら東京美術学校なる学び舎を作るにも奔走し、副校長の職にもあったと聞こえておりました。あの時、ともに来ておりました岡倉天心なる者が校長を務めていたという話でございました」
「道詮、そこ元はいまだ現に明るいようだのぉ」
 お師様はからかうように、されど慈愛あふるる笑みを湛えみせると憂鬱を滲ませ向こうを歩く中老男を見やった。
「お恥ずかしい。ただ… 恩人ですが故のこと」
「うむ。この国はその恩をけして忘れてはならぬのう… 」
「はい…… 」
 
 
 そう。あれから八十年以上が経ったのか。早いものだ。あの折は明治と云われる元号だったか。
 確か、明治は十七年初夏の昼下がりのこと。
 お堂前が俄に賑やかとなりだし、何やら押し問答をしている様子が堂内まで伝わってきた。修行の僧どもが徒党を組み堂前に人垣を作ったであろうことは、扉障子に映り込んだ影からも窺い知れた。盛んに「祟り」の言葉を口にしていたのを聞くと、どうやらこの『夢殿』を開けようとしているらしい。二百数十年の時を経て陽の目を拝むというのも何とも楽しみであり、「それ頑張れ、やれ開けろ、負けるな」そう願ったことを想い出すと己が修業の足りなさを反省もし情けなくも思ったことを思い出す。
 さぞかし錆びついていたであろう錠前を、ガチャリガチャリと解錠しようとする音が堂内に響く。扉もガタガタと震えていた。修行の僧と思われる「どうかお待ちください」という懇願空しく程なくすると鍵が解かれ扉が開けられた。
 寺の僧どもは祟りを畏れ誰一人として開扉の前にはいなかった。逆光でよく分からぬが三人の男が立っていることだけは観えた。
 男達は開け放たれた扉口で靴を脱ぐと草履を取り出し履きはじめた。
 「入ってくるのか……」そう考える間もなく三人の男は堂内に歩みを進めると行燈片手にうろつき始める。
 なんと、一人は日ノ本の青年だったがあとの二人は異国の者ではなかったか。肌色は白く、髪の毛は行燈の明かりを吸ったように金色の艶を放っており、暗がりに映える顔つきは、ぼんやりとした明かりが顔の影を作り出しているのだが、その鼻の影の大きさに驚いたものだった。

 中には一人ぐらいは居るものである。怖いもの見たさが勝った者が。

「諦信殿、諦信殿、どうか、それ以上は…… 」扉の外、若い修業の僧が声を潜めて押し留めている風ではあるが、その声は震え、今にも泣きだしそうな具合をみせていた。
【諦信とな、さてこの日ノ本の青年、坊主か出家の身か】
 異人が何やら喋りはじめたのは良いがさっぱり要領を得ぬのも当たり前のこと。
 後を引き取るように青年が話し始めた。
「諦信先生は、祟りの心配はなく、雷も火も心配ないので堂内へお進みくださいと申しています」
 なんと諦信という法名を名乗っているのは異国の者ではないか。
 この男が日本政府によってアメリカから招かれたアーネスト・フェノロサであり、この国の仏教と信仰、美術・芸術を守るため東奔西走していたことは後になって知ることとなった。
 三井寺法明院は桜井敬徳和尚から諦信なる法名を授かり、改宗まで果たす熱量には後にお師様も厚く関心を寄せておられた。重ねては、狩野派の狩野永悳より狩野永探理信なる画号を持つことを許されたというからどれほど才長けた御仁であろうか。 

 三人の闖入者は仏殿の裏へと回り込むと身の丈七尺に届こうという長物包みを眺めはじめ何やらヒソヒソとやっていた。
「諦信殿、どうかお待ちください。どうかそれだけは、お留まりください」【ほう。ついに解かれるか。二百数十年の時を経て、お師様がその御姿をお見せになられるのか。一二一代管長・千早定朝の姿がみえぬということは了承済みか。ことは上からの流れなのだろう】

 厳重に木綿布で包まれてはいたが、雨漏りが禍したものか所々腐っているではないか。お師様の足であられるのか鼠が齧ったような跡も見られる。【とは言うたもののこの木綿布、随分長持ちしたものである。二百数十年である】

 鼠の齧った跡がその出入り口であり餌取り場となっていたものか、人の気配にあてられた大きな青大将がお師様の足元破れ目から顔を覗かせると、胴をくねらせながら暗闇に逃げ込んでいった。
 いつの間に来たのか、数人の修業の僧たちが扉口から顔を覗かせ止めに入る言葉を口にした。他の者達はみなお堂の下から遠巻きに見守っている。
 木綿布に男たちの手が掛かる。「止められぬ」と観念したのか、僧たちは一様に宝珠を手に合掌し観音経を唱え始めた。
 一枚、また一枚と木綿布は外されてゆく。
 僧たちは多様を見せた。泣く者もいた。空を見上げ、天変地変に怯える姿もあった。握りしめた拳を腿の前で組んでいたのは怒りなのか。仲間の僧侶の袖を掴む者もいた。
 数人の坊主が伽藍向こうで剃髪頭を寄せ合って何やらヒソヒソとしておると眺め観れば、懐から金を取り出し、一人の坊主に渡している。どうやらあの坊主が勝ったのか。

 二百数十年という年月はそれぞれの中、始末のつけようもなく多様を見せるに至ったのだろう。
 立ち合い僧たちの読む経がひと際大きく堂内に響くと、お師様を包んでいた布ははらりと床に落ちた。三人の男たちは一様に固唾をのみ立ち尽くしたままではあったが、諦信と呼ばれた異人がその場に膝をつき手を合わせるや、他の二人もそれに倣い膝をつき手を合わせ一様に首を垂れた。三人ともが涙をみせ手を合わせていた。
 救世観音菩薩立像が二百数十年の時を経、神々しい御姿を顕された瞬間だった。後に、この者たちの働きが奏功を見せお師様は修復されその後この夢殿にお帰りになられた。 
 諦信と呼ばれ、英名、アーネスト・フェノロサと呼ばれた男はその後も何度もこの地を訪れ、法隆寺に伝わる宝物美術品の保存によく務めた。大きな口を開けよく笑い、心優しくあるものの己が信念に忠実であり語るべき言葉を持った男と映った。
【そうか。あれから八十年以上の月日が流れているのか…… 同じく、画業に通じ仏の道とも通じているはずのこの不染鉄という男。さて、何がこの男の憂鬱を裏打ちしているのだろうか】 

 憂鬱を抱えし中老男は静かに歩いてくる。気付かぬうちに踵や爪先で雨水や玉石をいじめることがないように。雨水や玉石の身の置き所が変わらぬよう、傷つかぬよう。と、歩みを止めたと思いきや、膝を折りながら長靴に纏わり憑く枯葉を剥ぎ取り眺めはじめた。
 男は傘の高さまで腕を挙げ伸ばすと枯葉を手放してみせた。濡れていたが故か。揚力を持たない枯葉は男の手を離れた途端に失速をみせ、鼠色した石たちの元へ返ってゆく。
 枯葉を跨ぎ、傘のかかる範囲にしか足を運ばず、静かに歩いてくる。手を合わせるわけではなく。お勤めをするわけでもなく、何かを願うわけでもない。ただひたすらと傘を手にこちらを向きむこうに佇む。
 哭くわけではなく憤るわけでもなく、粗忽を見せるわけでもない。
 気配がけぶること無き様子からは間も無くの雨上がりを予感させた。 

「どうにも、寂し気よのぉ…… 」
「そうでございますなぁ」
「ふん。しかし救いを求める風ではなし、利益(りやく)を求める風でもなし」
「では何故あって、このつめたい秋雨の堕ちる中通い来るのでしょう」
「分らぬか。八十数年前のあの男も一緒じゃよ。心から愛するものの末期に触れた者は、どの道どちらかを抱えみせる。笑ってみせるか、泣いてみせるか。生きることとはその生き様をみせること。抱え持ったものに変わりはないのだよ」
「…… はい」
「近づいて来ぬな… 」
「… はい。近づいて来ませぬ」
「どれ、あかりを灯してみよ」
「…… 如何でしょう」
「うむ…… 近づいて来ぬか」
「近づいて来ませぬ、いつもの様に」
「そのうち来ようか。未だ熟せず、慌てることも無い」
「…… 慌てることはありませぬなぁ… 」

 南の空の雲間、横一条の光明が射す。それはさながら雲を割る如きの異形を想わせた。
 男は足元に目をやるや、足でそっと玉石を転がしながら弄はじめた。
 コロン、コロン、カチン、転げた玉石はぶつかり合いながらあらぬ方向へと転げてゆく。何やら生きているようでもあり、人の一生を見せられているようでもあり…… と思えた。
 傘を持つ手が足の動きに呼応をみせ、時折大きく右へ左へと揺れをみせる。踊っているようにもみえ踊らされているようにもみえる。 

「あやしておるわ」
「あやしておる…のでございますか。誰をでござ…… 」
「…… 寂しげよのぉ… 」
「はい… 寂しげにございますなぁ… 」

 帰途につくのか。男は細く絞った秋雨のなか背中をみせた。南の空から射し込む光明が濡れた背中を照らし出す。温かく、柔らかであり、この世の患いの凡てを癒す功徳を授けるように。
 今日もまた、手を合わせるわけではなく。お勤めをするわけでもなく、何かを願うわけでもなく…… 男は静かに夢殿を後にした。

 二百数十年ぶりの御開廟から八十数年の時を跨ぎ、守った者は笑い顔を見せ、伝え残す夢殿を描いた者は泣き顔をみせる。人々の信仰のあり様はこの斑鳩の地に今も息づいている。
 数多の想いに支えられながら。 

「道詮、晴れたようよのぉ…… 」
「はい。お師様。いい按配にございますなぁ… 」

                            了


あとがき
本作は、不染鉄作の「夢殿」という画をモチーフに置き、画から感じられるテーマの一部を小説として興したものです。
第一形態から第四形態までを小説化しておりますが、第一形態と第二形態はお話としてはストーリーも弱く寧ろ設計図のようなものかもしれません。第三形態である本作は、歴史時代小説のエッセンスも取り込みながら、非日常の気配を滲ませたお話となっています。

第四形態はチョット別物で、現時点においては"未発表作品"という扱いです。いつか別のタイミングで読んで頂けることを願っております。

小説「秋涙」夢殿第四形態も、お陰様で多くの皆様に可愛がっていただけております。どうか、本作併せ格別なるご贔屓のほど心よりお願い申し上げます。  世一

みなさまのお運びに心より感謝を。


オーディオ版へのLink
19分程度の作品です。是非かけ流しにでもしていただけるとありがたく存じます。多分…… あまり邪魔にならないと思います♬


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