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大学卒業直前に全治1年の怪我をして無職になった


桜を見に行きたい。
珍しくこんなこと思う。
病室にいて、外の空気すら吸えないからだろうか。
過去をないものにして新しい年度の幕開けを待ち望んでいるからだろうか。
意味もなく周りと比べて劣等感に駆られているからだろうか。
未来が分からなくなって迷っているからなのか。


それとも素直に桜を見たいっていう感性が働いているから?


いずれにせよ大概の人とは程遠い、いわゆる新年度というものを迎えている。
そう、絶賛入院中。
だから物理的に、現実的に桜を見にいけないのだ。


遡ること今年1月中旬、サッカー中、嗚呼やってしまった。と瞬間的に分かるような感覚に覚えのある怪我をした。Googleで 「虚無 意味 具体的に」と検索したらあの時の私が1番上に出てくると思う。


盛りなしで、帰りの新幹線の車窓から景色を眺めているだけで涙が溢れてきた。意味分からないくらい泣いてこれからが怖くなった。


そんなことお構いなく、数日後には診断結果が出ていた。ドクターがわざわざドアを開けて待っててくれたから、これやばいんだなって悟った。



半月板再断裂、前十字靭帯断裂、内側靱帯損傷。
漢字がこんなに並んでいるのに、なぜかすらっと頭に入ってきた。
ドクターは険しい顔で、「程度が酷いから手術を2回に分けなければいけない」「全治は12ヶ月」と伝えてくれた。
この瞬間、
2024年1月に私の2024シーズンが終わった。



周りがサッカーから離れる選択をとっていく中で、まだ本気でやりたいんだと言わんばかりに就活を蹴り、専念してきたつもり。人に言うことじゃないのを前提として、多くのコソ練もやってきたつもり。



「好きすぎてサッカーの辞め時が分からない。
 けど、次大きな怪我したら辞めるわ。」

どこでプレーするかが決まらないまま迎えた新年早々に仲間と親に話したばかりだった。
もう怪我なんてしないだろうという変な自信もあった。ましてやこんなに早く怪我するなんて思ってもいなかった。
今振り返っても、怪我の前兆が見つからないのが迷宮に迷いこまさせられる。間違いなくメンタルもプレーも安定していたから。
接触プレーで患ったけど、相手に対して思うことは一切ない。これが自分でも不思議。



このままサッカー辞めるのかな。
辞めろっていう暗示なのかな。
神様がサッカーから離れる機会をくれたのかな。
治す意味あるのかな。
って本気で毎日思った。



じゃあ辞めるわ、辞めます。と潔く決断できるわけもなく、しばらく葛藤は続き、気づいたら1回目の入院、そして手術を迎えていた。
幸いにもメンタルは、松葉杖で強行参加したエドシーランのライブによって保たれていた。本当にエドシーランには感謝している。勿論、家族、友達への感謝は言うまでもない。



先行きが不安定なままでも、時間は追いついてくれない。怪我を治すことだけがどんどん先に進んでいくようで、自分自身の何かが固まり、それに向かって歩んでいるわけではなかった。
懐かしい緊張感と懐かしいバカみたいな痛み。パンパンに腫れ上がった膝は、頭の中のパンクを表しているようだった。

術後2日目


嫌でもこの先のことを考えなければいけない。
そんな時就活プログラムのハガキが届いた。24卒の滑り込みの就活まだ間に合いますよ。とのことだった。話聞くだけ聞いてみようと受けてみると、生半可な気持ちでいる私が恥ずかしいくらい本格的なものだった。アドバイザーの方に事情を説明すると、スーツ着れるの? 面接行けるの? 4月から入社できるの? いつから働けるの? 
等々聞かれて、「そうやん、無理やん。」
としか思えなかった。

それでも親身に対応していただき、寄り添ってくれたから、とりあえずやってみようと自己PRを作成し、畏まった証明写真を撮った。
しかし、全ての日程が入院中と重なったことや、本気で就職したい訳でもないこと、正直なんか違うなと思ったことから就活を断念。
アドバイザーの方との個人面談を再度繰り返し、多くの求人を見て、斡旋してくれる会社と話もした上で辞めた。
いかんせん、いつからどれほどの仕事ができるか見当もつかなかったので。 



大学生最後の足掻きと言わんばかりの春休みは、ずっと家にいた。楽しそうな皆んなを羨ましがりながら、将来のために必要な勉強を始めた。なぜ義務教育で税金と保険の話をしてくれないのだろうと何回も思った。


人生の軸としていたのもがなくなった毎日に彩りはなく、感情も沸かず、口内炎が増え、口調も、当たりも悪くなっていた気がする。このモヤモヤをどこにぶつけたらいいのか分からず不完全燃焼の日々を送っていた。
何年振りかのマクドナルドを頬張っても、夜遅くまで起きて、寝たい分だけ寝てもむしゃくしゃは拭えなかった。


多少の違和感はあるものの、スーツも着れて歩けるようになって迎えた卒業式。感想が中学生のように簡素なものだが素直に、久しぶりに友達に会えて嬉しかった。
思っていたよりふんわりと学生生活が幕を閉じて寂しかった。


特に何も考えずにただ直向きにやっていたリハビリは想像以上に順調だった。2年前の手術の時より何針も多く縫ったのに、膝の曲がりも伸びも、筋力の戻りも大違い。筋力測定では、一般の方同等の数値を叩き出すことができた。感覚的にあと少しで走れそうなのに、なぜまた手術しなければいけないのか不思議だった。笑



そして、桜が咲き、皆んなが新社会人としてスタートしている頃、また病院へ戻ってきた。2ヶ月ぶりの同じ病棟。看護師さんにおかえりと言ってもらい、以前となんら変わりのない入院生活が始まった。
朝起きて、うわー今日手術か。っていう鬼憂鬱な朝を迎えるのも2ヶ月ぶり。
金輪際、手術前モーニングルーティンを送らないことを切に願いながら点滴を打ち始めた。
手術室までは歩いて行き、眠りにつくまで言われるがままに動いた。




手術経験者のアドバンテージを活かして、山場を乗り越えることに成功した。



痛みとの付き合いが終わった入院生活。
私には、沢山の自由時間が与えられている。
その時間を活かして頭の整理をしたいと思って殴り書きしているのだが、怪我をしてからここまで自分自身について考えることから逃げてきたツケが回ってきた。



今の自分の気持ちと、これからどうしたいかを自問した際、答え全てに多分がつく。
目には見えない恐怖からくるものか、現実思考からくるものか。上手く言い表せない。



何かを考えた後に、今までこんなこと気にしたこともなかったのに、大人になったんだなと思うことが多い。良くも悪くも大人になってしまった。感情だけに従うなら、とっくにゴールが明確になっているだろう。


でも今回は違う。ってそう思ってしまう、変に大人になってしまった自分がいる。本当に好きじゃない。海外にまで1人で飛んで味わった価値観や世界観はなんだったんだろう。何がこんなに邪魔をしているのか。よく分からない。


好きなことと現実の折り合いは難しい。
映画花束みたいな恋をしたを見てそう感じたのは今の状況もあって感慨深かった。



未来にまとまりがない分サッカーをやるやらないにしても、この1年は余白の1年になる。これはもう確定事項なわけだから、この余白を生かすも殺すも自分次第と肝に銘じて多くの準備をしたい。とりあえず今はそこにフォーカスする。
逆にこのタイミングで人生の余白を与えられたことに後々感謝できるように、今はディスアドバンテージにしか感じられない時間を、未来への投資にできたら良い。
ある日突然人生の軸がなくなったとしても、前を向いていかなければならない。



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