大物芸能人から言われた”一言”(25)

~ 概要 ~

私は、ある大物芸能人から、『あなたに会うために、これまで生かされていたのだと思う』と大変ありがたい言葉をいただいた。これは、日本を代表する俳優から、サラリーマンである私がそんな言葉をいただくまでの出来事を記したメモである。

第3章の概要 ~未来を担う若者たちを築く塾~

平安な世界を創るため、私は、「未来を担う若者たちを築く(育む)塾」を創ることを決めた。そして、2018年2月15日に、多くの方々の協力のもと、「お金」を一切絡めない、「心」で繋がり、「心」で進める塾を開講した。
初年度は、試験的に多くのことを試み、塾の方向性・内容を高める年とし、実施していくこととなるのであった。

「高校生の私」

平安な世界を創るため、2018年2月15日に、「未来を担う若者たちを築く塾」を創設した私の高校生のころを振り返りたいと思う。

「長距離走」と「停学」

高校生活にも、いくつか、私の「心」を成長させた出来事があった。

そのうちの一つを紹介したい。

私は、小学生のころから、長距離が得意で、小学、中学では、学年で一番早く、高校に入ってからも学年で1位であった。

そして、迎えた2年生の長距離走の大会開催前に、問題は起きた。

問題の話をする前に、少し、雑談をしたいと思う。

長距離走が得意な人は、少し、アタマがイカれているのかも知れない。
または、確率的に、アタマがイカれている人が多いのもかも知れないと思う時がある。走ることに快感を覚えており、アタマの中で分泌される脳内麻薬(アドレナリンやセロトニン)が分泌され、癖になり、知らず知らずのうちに、脳に影響を及ぼしているのかもしれない。このことに確証などはない。ただ、これまでの人生で、比較的、マラソン、ジョギング、トライアスロンなどをしている人に、イカれている人が多い気がしている。そして、私も、同類だと思う。世の中にはいろんな人がいて、全てが正しく、それぞれの個性なのだと。

話を高校生の時の問題に戻すが、高校2年の時のマラソン大会では、大会前の練習時の記録では、やはり、私が、圧倒的に記録(タイム)が良かった。しかし、私が、マラソン大会に出場することがなかった。

私は、大会の1週間前の休み時間に、煙草を吸いに行こうと友達に誘われ、その現場を見回りの教員に見つかり、「停学処分」となったからだ。

私は、サッカー部の監督に対して、申し訳ないという気持ちだった。私を信頼してくれていた監督を、裏切ってしまったと、自分を責める気持ちで心は溢れていた。

停学期間中は、朝から晩まで、学校の自習部屋に閉じ込められた。
そのため、そこで可能な運動として、スクワット、腕立て、腹筋と、筋トレに励んだ。はっきりとは覚えていないが、すごい数を行った記憶がある。

また、停学が明けると、サッカー部の監督に謝りに行った。監督からは、1発だけ、殴られた。
その後、「何か辛いときや嫌なことがあるときは、お前は”走れ”。走っていれば、いいんだ」と言われた。
私は、走った。相当な距離を走った。倒れるまで走った。

私は、監督から抱いたこの言葉が、私の人生を救ってくれていると思う。
今でも、辛いとき、嫌なことがあったとき、監督からの言葉を胸に、走り続けている。

高校2年の時、マラソン大会で1位は取れなかったが、私はそれ以上の価値あるものを、授かったのかもしれない。

人生は、何があるかわからない。

ただ、何が起きたとしても、それが人生なんだと思う。そして、人は成長をしていくのだと。そして、時は流れていくと。

「山ない雨はない」

次回に続く・・・

<余談>

10代、20代、30代、40代・・・・
年を重ねる連れて、初めてわかるものがあることに、
40代になり、やっと気づくことができた。

10代の自分、20代の自分、30代の自分、40代の自分と、
私は、変わり続けている。
その年代、年代で、私は、自分にとっての精一杯を過ごしてきた。

その時、その時の自分が、どんな自分であっても、
それが「自分なんだ」と思う。

私は、40代になり、人より早いかもしれないが、
仕事をリタイアした。

そんな自分だからこそ、見えてくる次の景色があるのかもしれない。

次回の「余談」に続く・・・

第一章のあらすじ

大物芸能人から言われた”一言”(7)を参照ください。

第二章のあらすじ

大物芸能人から言われた”一言”(18)を参照ください。


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