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パーフェクトヒューマン

生きてきた過程で
『ちゃんとしなさい』
『なんで、できないの』
言われ続けてきたので、こう見えて完璧を求める生きもの。


だが。。。


言われた事がすぐに理解できない。

他者の誘導で何かをしようとするともれなく皆のペースを乱してしまう。
合わせるように努力はするが合わせようとすれば、するほど焦り更に撃沈する。


他者に誘導される生き方をしていたら完全なるポンコツヒューマン



この生業と運よく出食わし、運よく20年も社会生活をできた事が奇跡。



幼少期、算数は1+1=2でつまづき
他の教科は先生が言ってる事が全く理解できない。
通知表はきっれいに一列【がんばろう】のところにチェックされる



勉強もさることながら集団行動もできない。
今では考えられないが、そういう検査を受けた事は無いが小3か
小4の時の担任から勉強が全くできない。
おまけに先生の言う通りにできない私を
『この子は発達障害だ』と言われ支援学級で一時、勉強してた事もあった。



今やったら大問題である。



おおらかな時代。



当然ながらおかんから『恥ずかしい子』と扱いされた記憶はある。


昭和のクレイジーおとんは子育てにはノータッチだからしるよしもない。


知らない方が家は平和だ。


中学も綺麗な【1】の数字が並んだ通知表。あんなに綺麗な1はなかなか見れないだろう。


高校も赤点。

でも卒業できる。

我が母校は39点が赤点。
卒業するときは全教科40点になり脱赤点で卒業ができるというミラクルが起きる。


そして一回目の結婚。
いらんことすな。
しゃしゃり出るな。
といわれるが、
目立つ気なんて、さらさらないのに100キロもある身体だと何をしても目立つ。


この生業になるまでは
皆と同じようにちゃんとできるようになろう。
何が皆と違うのだろう。


皆を観察し続け皆とあわせる事へのエネルギーを注いだ


がっ。


毎度撃沈。


ずーっとポンコツヒューマンのレッテル。


運よくこの生業。


この生業は


『女は待つの』


こんなノンキな事を言ってたら自分の居場所なんてない。


自分で発信して自分で取りに行かなきゃ誰も見向きもしてもらえない。



発信するには知識、情報色んな事を獲得しにいく。



興味のあることはめちゃくちゃ研究する。

掘り下げる。

調べる。



きっとこのエネルギーを幼少期の勉強に注げたら変わっていたのかも知れない。


成人するまで、いや、してからも
他者に誘導され過ごす事が多い。



それに不具合を感じるなら、自分が主軸になって発信できる事を生み出せばそれなりになる。




ある人は今の私を
『好きな事をして、好きな仕事で稼ぐ事ができておまけに2回も結婚できていいね』
なんてよく言われるが、自分主軸で生きるためには、それなり事はする。



じゃなければ成立しないから。



逆に
『皆と同じ事ができて、めちゃくちゃ怒られることもなく過ごせていいですね』


他者誘導でこなせる事を羨ましく思う。


どちらがいい?


選ぶのは自分。



自分の生き方は自分で決めるしかない。







































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