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Annaの日記 B型とかO型とか男とか女とか

 LGBTQ関連の事は私なんかが述べるよりも、もっともっと詳しい人が沢山いるから割愛するが、先日育児の合間を縫って(サボって?)東野東吾のドラマ「片思い」をオトナ見した。

 ドラマの趣旨とは話がそれるが、私はこの歳になって「女」というヒトリの人間をクリエイトし産み落とした。しかし20年後、彼女が「女」を選んでいるか「男」を選んでいるかわからない。

 現在、まだまだ古ぼけた法律に苦しんでいる人はたくさんいる。「性別」を変えるには「気持ち」だけではダメだからだ。性転換の手術を受けないといけない。

 「それは何のためですか?」と本気で思う。
その偽物を作ったとしても、生殖器としては機能出来ない。
 エッチは出来ても、子供は作れない。

 現在はだんだんとオープンになりつつあり、パートナー制度がある自治体もあるが、まだ日本は「同性婚」は認められていない。簡単にいうと「子孫繁栄」に影響が出るという理由・・・


 え?そこ?・・・といいたい。結婚しても子供を持たないと決めている夫婦もいるし、その前に生涯未婚率も年々増えている。てか、性転換では無理なことは誰でもわかる。意味がない。


 「同性愛」といっても、女性の心で女性が好きな人もいれば、男性の心で女性が好き、その逆とパターンはたくさんある。女装をしていても女性が好きな人もいる・・・つまり色々ありすぎて


 「大切な人」「好きな人」に
     性別って関係あるんですか?

 という究極の疑問が沸いてくる。どうしても昔の人はそこにセックスを絡めてくるからややこしい事になるが、うちみたいに一応男女の夫婦でも子供が生まれてから指一本触れていないカップルだってたくさんいる。


でも「大事な家族」であることには間違いはない。


 個人的な見解だが、LGBTQのTQの人は「こんな自分を認めてほしい」というか
逆の性への執着が異常に強いから、余計に今の自分の状態に満足がいかなく悩んでしまうのかなと思う。
 そいういう人に限って、アンケートの性別欄に「答えたくない」にわざわざ〇をつけてしまう。自分が感じているほうでいいじゃんと思う。


 色々なパターンがあるので、今回はドラマで出てきた美月(中谷美紀)で考えると、

 女として生まれたが、心は男。親が心配したから女性としてやっていこうとして、見合いで結婚して子供を産んだけど、やっぱり自分は男という事を捨てきれなくて母親になれず家を出てきた

 という設定なのだが、男だろうが女だろうが「親」である事に変わりはない。そこが大事だと思う。

 美月(中谷美紀)は男性になることへの執着というか、ホルモン注射を打ったり、生理が来ることを卑下したり・・・
 男になりたい、男らしく、かっこよく・・・と「男」にこだわりすぎて自分を追い込んでいた。


 「人間」ってまとめてしまえば、もっと楽にならないかなと感じた。


 振り返れば、日常生活って、男女一緒の電車にのって、同じ職場で働き、同じ美容室にいき、共に食事もする。もう男が狩りにいく時代はとっくの昔に終わっている。
 服装だって女性がメンズをきてもいいし、男性がネイルしたっていい。区別があるのはトイレくらいではないかな。
 そこも好きな方にいけばいいと思うが、はやり世の中バカもたくさんいて
「女装して女子トイレ入って盗撮したただの男」ってのがいるから難しい。
 全てを個室にしたらいいのに・・・


 生まれた体の機能は、同じ人間でも残念ながら男女で全く違うので、注射や、手術までして体をいじくる事さえしなかったら、私は自分の子が「ちんちんのない息子」になる日が来ても「かっこいい彼女」を連れてくる日がきてもいいと思っている。

  大切な信頼できる人が出来て、親でも里親でもなる日が来たら、おっぱいが出るお父さんでも、ヒゲの生えたお母さんでも、お母さんが二人でも、親として大切に育てたら子供は幸せだと思う。


 先日、子供の健診の時にずっと疑問に思っていた事を先生にきいた。

 子供の血液型である。母子手帳にも書いてある場所がないし、教えてもくれない。

 「まだ小さくて測れないのもあるけど、今は事故とか手術が必要な時に検査して血液型を調べるから、お金払ってまで血液型の判定をする人があまりいない。だって普段の生活に血液型必要なのって占いくらいでしょ?」

 ・・・とまぁまぁまじめな顔した先生が面白い事を言った。


 昔な何かあるとすぐ「だってA型だもんね」と人間を4種類に分けたがる人が多かった。私もその一人だった。

 この血液型同士は相性がいいとか悪いとか、●型の人はこんな性格とか、色々無理矢理当てはめて信じ込んでいたが、全く根拠がなく意味がない事に気が付く。

 だって、私は一番相性が悪いと思っていたB型と結婚したから。

 人間をたった4種類にわけるなんて多様性なこのご時世不可能なのだ。そう考えると「男」「女」の
たった2種類にわけるなんてもっと不可能だ。

 「男」「女」の区別も血液型くらいどうでもよくなる日は近くくると思う。

「らしさ」という言葉がなくなればもっとみんな楽に生きられるのかなと感じた。個々の存在が当たり前になれば「自分らしさ」という単語すら当たり前すぎてなくなるのかもしれない。

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