Annaの日記 ハイリスク妊婦の末路⑤
「どこの国に旅行にいかれるんですか?」
とツッコみたくなるようなくらいの大きなスーツケースを転がして、歩いて30秒の病院にとうとう計画入院をする事になった。
隣には夫がいた。できちゃった結婚となった私たちは新婚旅行にいく事もなく、最初に一緒に転がしたスーツケースが病院行とはねとお互い苦笑いしならが病院に向かった。
せっかく午前休を取ってくれたのに、受付が終わったらすぐに治療が始まると、夫は追い返されてしまった。
特段話す事はないが、病室で少し落ち着いてから治療に入ると思っていたので、急にヒトリになり不安が込み上げてきた。
1日目(41週4日目)は、バルーンと言われる水風船を膣にいれて産道を広げる施術。
なんて原始的なやり方なんだ・・・と思った。
入れるまではなかなか痛いが、入ってしまえば特段の違和感もなく夕方まで過ごして、広がりを確認する。
十分広がったら、翌日から陣痛促進剤をうって出産準備に入るという流れだった。
9:15に治療が終わり、夕方まですることがない。バルーンが抜けるといけないからと、下の売店に行くことも許可されなかった。
無機質な病室にヒトリ・・・最初はスーツケースの整理をしたり、時間を潰せたが、すぐに手持無沙汰になり、使うかなーと思いながら持ってきた
ipadの出番がすぐに来た。
何かドラマと言っても、臨月の頃に見つくして、特段見たい番組もなく
美味しくない昼食を食べて時間を過ごした。
気持ちばかりがそわそわして、変な時間だった。
夕方、また診察室に呼ばれた。
「あー・・・指一本くらいしか入らないなぁ」
あんな痛い思いをして一日過ごして、
全く結果でず・・
不妊治療の人たちの感情ってこんなんなのかなと
虚しさというか、不甲斐ないというか・・夕飯がまたおいしくなかったから余計に気持ちが暗くなった。
夫のいびきが聞こえない病室は、
とてもとても静かだった。
終わりが見えている入院とはいえ、最終の
帝王切開の手術まで5日。明日こそは誕生かもしれないと、慣れないベッドで穴があくほど見たスケジュール帳を見直した。
「出産予定日」と、産むと決めた日に
赤ペンで大きく書き込んだ日から11日も過ぎている。
初産は生まれるのが早いと聞いていた分、
なぜこんな状況になってしまったのかと、今更ながらに悩みだした。
これが、高齢出産リスクの一つ
難産てやつか・・・
41歳11ヶ月。気がつけば月がかわり、
無事生まれたら
私と同じ生まれ月になる。
12月が毎年楽しい月になるか、
もしかしたら毎年泣く月になるのか・・・
やっと会える喜びより、不安しかなかった
〜続く〜
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