見出し画像

【シンガポール在住】カントリー社員がリージョンに乗り込むまで【キャリアについて②】

こんにちは。
写真はシンガポールのアラブ街で食べたトルコ料理です。上司が連れて行ってくれました。ケフテというトルコ風つくねが大好物なのですが(新橋の「イスタンブール」というトルコ料理屋さんが結構好きでした)、ここシンガポールでもおいしかったです。

さて、先日キャリアに関する記事を書きました。

先日の記事は、私の会社では海外駐在のチャンスがなかったと悲観するところまで書いたのですが、そこからどうやって私が起死回生(?!)して今シンガポールで働いているかを書きたいと思います。

新卒3年目くらいまで、私は本当に自分の仕事が大嫌いでした。
毎日同じことの繰り返し、勤務時間が長い(真夜中までかかり、終電がなくなって更衣室で寝ることも)、その割にやりがいがない、尊敬する上司がいない、大学の同期は楽しそうに仕事をしている…等、文句しかありませんでした。

それでも、3年は続けないと見えるものも見えてこないよと唯一信頼していた研修時のトレーナーから言われ続けたこともあり、なんとか我慢しました。
3年を過ぎ、結局得るものがあったのだかなかったのだか分らなかった私は、とにかく現状を変えるために、日本を出るべく中国の会社に絞って転職活動をしていました。
そのうち1社から有難く内定をいただき、受諾したため、後は退職日を現職と調整するだけでした。
ところが、上長に退職の旨を伝えると、役員と人事からものすごく引き留められ、結局内定した会社にお詫びして入社取り消し、現職を引き続けることとなりました。
長くなるため詳細は割愛しますが、回り道をしながらも今海外で働けているということは、この道でよかったのだなと思うことにしています。

その後、現職でプロジェクトマネジメント等を経験し、海外のチームともたくさん働く機会をいただきました。
入社6年目くらいには、大きなプロジェクトのリードを任せてもらい、その際に来日して立ち上げをサポートしてくれたのが現在の上司です。
入社7年目で、営業に方向転換したのですが、そこでも一応結果を出し、複数の顧客の顧客満足度を上げることができました。
そして入社9年目、現在の上司から、「リージョナルオフィスのデジタル推進のポジションが空いちゃったけど来る?」と声をかけてもらい、面接を2回行ったうえで、正式にオファーをいただきシンガポールに行くことになりました。

ちなみに、この転籍は日本支社にとってだけでなく、すべてのAPACの国の中で初めてだったため、日本側もリージョン側も人事関連の前例がなく、交渉ややり取りはかなり苦労しました。
日本からコスト付け替えで給与を支払うのかシンガポールから支払うのか、等の段階から幾度も話し合いが行われ、最終的には日本の支社を退職して、シンガポールのリージョナルオフィスに入社する体裁となりました。

日本に居たときから海外チームと日常的にチームワークをしてきたため、場所が違えど行ってしまえばなんとかなるだろう、くらいに思っていたのですが、いざ入社してみて見事に私の心が打ち砕かれたのはまた別の話…

ただ、ここに来れたこと、しかも給与や役職含めて、日本に居たときより良い条件で来れたのは、日本でお仕事を続けて、リージョナルオフィスの人達にも認めてもらえるまでの存在になれた結果だと考えています。
今後きちんと働けていけるかは自分次第ですが、自己肯定感が低い私にとって、今回の転籍は、これまでの自分が間違っていなかったのかなと思えた瞬間でもあり、唯一良かったと言える点です。

こうやって文章にすることで、これまでの自分を振り返って、これからの自分を鼓舞することができるため、ブログを始めてよかったです。

人間の数だけ、こういった成功体験・失敗体験があると思いますが、何があっていて何が間違っているなんて、後で振り返ってみないとわからないものだなぁと思ったりしています。
何年後に笑っていられるよう、明日からもお仕事頑張ります!

読んでくださってありがとうございました。


この記事が参加している募集

#転職してよかったこと

5,941件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?