読んでいくうちに表紙の印象がガラッと変わる【三浦しをん「ののはな通信」】
「ののはな通信」という題名も表紙のデザインも柔らかくてかわいらしい。
「久しぶりに優しめの物語を読むなあ」と少々浮かれ気味だった私。
読んでいくと本を手に取った時のイメージとは真反対のストーリーだった。
作者の三浦しをんさんといえば私の中では圧倒的に「まほろ駅前多田便利軒」なのだ。
(角川さん、他社さんの作品ですみません……)
まほろシリーズが大好きで本もドラマも映画も全て見た。
映画に至っては仕事を早上がりしてまで見にいくほど、まほろシリーズにどハマりしていた時期があった。
(理由の一つとして永山瑛太✖️松田龍平コンビが好きというのもあったけれど……笑)
あとは「船を編む」も有名かと。ここでも松田龍平登場。
作家さんの書く作風にあった俳優さんっているのかもしれない。
まだ一章しか読んでないのでそこまで読んだ感想を書いていこうと思う。
1.ののはな通信だけで進んでいくシンプルさがおもしろい
読み進めて感じたのは、話の展開がとにかく速いこと。
なぜならずっと二人の手紙のやり取りだけで話が進んでいくからだ。
それが「ののはな通信」という題名に繋がっているのだと思う。
「のの」と「はな」の二人だけの秘密の手紙を盗み見ているようで、私はなんとなく速く読まなきゃという焦燥感にかられた。
どうやって手紙を交換するような仲になったのかなど二人の背景は全くわからないまま話は進んでいく。
交換される手紙の内容から、カトリック系の私立高校の生徒であることや、二人の家族関係、生活環境がだんだんと見えてくる。
昭和という時代設定でメールやLINEは一切登場しない。
電話はしているようだけれど、実際の二人の会話は出てこなくて全てが手紙のやりとりだ。
その手紙はお互いの家へ郵送するものもあれば、授業中にこっそり渡し合うものも含まれている。
郵便による手紙は速達の時もあって、いかに速く相手に手紙が届いてほしいかの想いが伝わってきて微笑ましかった。
「はな」から「のの」への手紙の冒頭にこんな文章がある。
私たちちょっと落ち着かないとね。同じタイミングで手紙を書きつづけていたら、いつまでたってもちっとも話が進まないもん。これからは、相手の返事を読んでから手紙を書くようにしようよ。
ああ、でも、まどろっこしい!もっと速い通信手段があればいいのに!書いたことを一瞬でやりとりできるような、そんな方法が編み出されないかな。
「はな」が切望している「もっと速い通信手段」は今では当たり前になった。
伝えたいと思ったときに一瞬で伝えられ、しかも速達の郵便より安く。
でも反対に「のの」と「はな」のように手紙を書いたり待ったりときに訪れる、相手に想いを馳せる時間が今では貴重になったのかもしれない。
思い返せば私も手紙交換にはまっていた時があった。
中学生の時にメモ帳での手紙交換がやたらとはやったのだ。
毎日一緒に下校もしてなんなら明日も学校で会うような友達に、わざわざ家で手紙を書いていくのだ。
内容は好きな子がどうとか部活がどうとか、本当にどうでもいいことだらけ。
授業中の手紙交換ももちろんした。
まだ携帯電話が今ほど普及してなかったから、特定の友達との連絡手段はののはなと同様に手紙交換だった。
でもその秘密のやり取りがちょっとスリリングで楽しくもあったことを思い出した。
ののはな通信ほどボリュームや知性はなかったけれど。
そして二人は手紙交換やお出かけなどを繰り返していく中で、互いに抱いている気持ちがただの友情ではないことに気づいていく。
2.性に対する考え方が深まった気がする
印象的だった「のの」から「はな」への手紙の文章だ。
たとえ同性しかこの世にいなかったとしても、ひとは恋をするし欲望を感じるようにできている。恋と欲望の結果としてどうしても子孫が必要だというなら、異性がいなくても妊娠出産できるように、人類は自然と体質を変化させるでしょうよ。
生殖のためにオスとメスがいるんじゃないわ。一人(あるいは一匹)じゃ寂しくて、自分以外のだれかと触れあったりまじわったりしたいと願ううち、気づいたら地球にいきものがあふれてただけ。
性別なんて無意味だし、関係ないと思わない?男は女を、女は男を愛さなければいけないというのは、単なる常識よ。常識は時代とともに変わるし、常識を採用するか否かは個人の判断に委ねられているものでしょう。
こんなことを高校生で考え、言葉にできる「のの」がすごい。
昭和という時代は今よりももっと常識というものが強かったはずなのに、最後の引用なんてまるで令和時代のジェンダー観だ。
そういえば私が学生時代にやっていたアルバイトの仲間の一人にレズビアンの友人がいた。
「嫉妬する対象が女だけじゃないってすごく大変なんだよ」
これを聞いて私は驚いた。
女性が男性を好きになったら、嫉妬する対象は女性だ。
なのにレズビアンは嫉妬する対象が女性にまで広がるというのだ。
たとえ苦しみが多くなる可能性があっても、好きなものは好き。
この友人も「のの」も「はな」も抑えきれないほどの自分の感情に、ただただ素直なのだと思った。
生殖という目的があるからとか、異性を好きになるという常識とか、そんなものはどうでもよくて、「好き。以上」みたいなシンプルさ。
しかし「のの」の意外な行動が判明したことにより「はな」は苦しみ続ける。
そして二人の関係性が大きく変化したところで一章が終わる。
さて、続きが気になるけれど明日の楽しみとして寝るとしよう。