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人前でのいじりは愛情表現にならないこともある

「こいつ、阿呆なんだよ。今日なんて右と左、違う靴を履いてきてさ。」
「こいつ、茶碗の拭き方が雑なの。いつも言っているんだけど、な。」
頭を触りながら彼は彼女の髪を軽く引っ張り、少し仰け反った彼女の目を見る。彼女は目を逸らす。
「これは別れて正解だったよね。」私は心の中で思った。数年前に別れた二人は仲良しグループからどちらも抜けたくないためか、「友達」を称してたまに顔を合わせる。このグループは別れた=憎しみ合うの固定観念がないので、一緒にいることを誰も気に留めないし、元カップルまみれ。
ただ気になるのは男性の行動。いじるのは、状況によっては愛情表現にならない。ただ他人を笑い者にして注目を集めたい、そんな風に見えるときもある。
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人の行動や仕草を見て愛おしく感じるか、疎ましく思うかは人によって違う。
例えば寒い日にカイロで手を温める光景を「女の子らしくて可愛い」と思うか、「御老体」と思うか。人によって感じ方は違う。
「優しいね」との言葉1つで、有り難い「褒め言葉」と思う人もいれば「イヤミ」と感じる人もいる。
「忙しいから会えない」の言葉が「自分を避けている」と被害者意識を感じる場面や「お疲れだろうな」と思い図る場面もある

感じ方は、お互いの人格の他に相互の関係性や場面にもよる上、移ろうもの。だから、周りにいる全ての人にその子の欠点と思われる部分やミスを話すことは、グループ全員から悪いとこ探しをされることを承認しなければならないキャラにされかねない。ドジなところやダメなところに愛情があれば、二人のときに慈しめば足りる。
好きだから触れたくなるは、好きだから黙っているに負け得る。声に出すと二人の関係の大切な部分が消えてしまうこともあるのだ。
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好き同士の二人には愛情表現と思っても、傍観者は俺もいじって良いとあらぬ勘違いをし、便乗してだめなとこ探しをする。彼女はイジられの立場になってしまい、来なくなってしまった。

イジった本人は「俺、悪いことした?」という始末。一緒にイジり始めた人も含めて「イジりは愛情表現じゃあないんだよ」と私は心で呟いた。
人生で仲良くなれる人数はきっと多くはなくて、温かい関係を築けたのならそれはかけがえのない大切にすべき関係性。
そこの中でモラルを持って一緒に成長していきたい。
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彼女はグループ全体の雰囲気が疎ましくなったのだろう。来なくなった。そうすると「嫌われたことが面白くない」と感じた複数が彼女の悪口を言い始めた。
毎日会う学友なら学ぶ機会で反省をし仲直りもあるだろう。しかし会わないならそれで済む30代にその機はこない。

イジる人と、それを見て自分もと加担する人。こうやって崩れたバランスは尊敬しあい、優しくある関係ではなくなった。褒め言葉の一つにも「本音で言っている?馬鹿にしている?」斜めから見ざるを得ない。壊すのは簡単で修復は困難。

二度と戻らない純粋な思いで築いてきた人間関係のバランスが幻のような遠い過去となった。再会を抵抗する苦い後味を残して。
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