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教育をもう一度

高校2年生の時,ドイツのホームステイ先の女性と到着日朝の10時から夕方16時まで話したことが、
「ドイツ人が先の戦争でどれほど悪いことをしたか。」という反省であった。

ドイツの戦後教育は、強制収用を学ぶことにあったという。
国民が海外旅行とりわけフランスに行った時には、
自国がどれほど悪いことをしてきたか、謝罪し続け、とうとうフランスがドイツを許したと聞く。

今、とある国が他国に戦火をまき散らし、それが正義とうたっている。
やり方も卑劣極まりなく、無防備な一般市民が集まるスタジアムなどを爆撃しているというではないか。
そして、当該国に対する批判は日本でも強いが、その国は昔の日本そのものなのだ。
同じことを私たちの祖先はやってきたのだ。

日本にいると、戦時中、日本国民がどれほど貧しく苦労絶えなかった生活だったかということはよくわかる。
しかし、あくまでも加害者の立場の苦しみである。
突然攻められた被害国についての配慮と理解を持っているだろうか。
被害国がいまだに戦後賠償を求めている中をスルーしながら他国批判を繰り返し、
戦争はやばいといいつつ程よいところで保身しながら眺めている。自国のことは忘れてしまったかのように。

隣国に非難されても、飛行機を作れなくなっても、アンフェアな判定にスポーツ選手が苦しんでも、
口を閉ざして雲隠れする。大国の犬になって血税を思いやり予算として排出していく。
それでも何も言えない。
今、あの国に世界中から向けられている「絶対に許さない」という目は、日本に向けられているものと同じ。
時間が経って今が歴史に変わったとき、あの国と日本が並列されても良いのか。

戦後教育をやり直して、自立しようと歩みだすことはできないのだろうか。
世界には、ドイツというお手本がいるのだから。

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