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ネゴシエーター〜学内トラブル交渉人 第2話 交渉相手は誰?別れても愛して欲しい元彼を断ち切って!

「なんて呼んだら良いの?交渉人さん。」
白く透明な肌に目鼻立ちがくっきりした少女の、色づいた口元から静かに声が発せられる。
愛想のよい笑顔を振りまいているのではない。しかしその少女が話し出すと、その場に花が咲いたような雰囲気に包まれる。
花岡涙(はなおか るい)17歳は、「涙」という名より、「華」という名が相応しいと思わせる。しつこくなくてカラッとした笑顔。遠くを見つめる寂しい目に吸い寄せられた後、「どうしたの?」と言う様に向ける笑顔に、勇作は目が離せない。

見惚れていた自分にハッとし、一呼吸置いたあと、
「輝咲勇作(きざき ゆうさく)、さん付けで頼む。」
と応えた。

その言葉を聞いたあと、涙は直ちに用件を告げる。
「輝咲さんにお願いしたい交渉は、元彼の飯野恵(いいの けい)による嫌がらせを辞めさせて欲しいの。どう?できそうですか?」
言葉だけを追うと生意気に読めるが、涙が伝えると知性ある女性の物言いに聞こえる。同じ言動でも言った人によって印象が変わるのは、いかなる原理によるものだろうか。

勇作は、詳細すら聞かないうちに
「任せて。」
と回答してしまっていた。「しまった」と思った時は手遅れで、涙は目の前の黒い大きなソファーに腰を下ろし、足を斜めに傾け、スッと背筋を伸ばし会話を始めようとしていた。
…………
「『別れた後も俺を愛してくれ』と言わんばかりに飯野による嫌がらせが始まったのは、私が新しい恋人、海人(かいと)と交際をはじめてからなの。」涙は右耳に長い髪をかけながら伝え、事実を整理した書類を開く。

そして、上目遣いで勇作の目をしっかり見つめ、続ける。
「別れたばかりの頃は何もされていないの。別れて半年経って海人と交際してからなの。」

勇作は、一呼吸遅れてしまった。慌てて録音機のスタートボタンを押した。

「海人と交際して3週間くらいしてからかな?海人からメッセージが届いたの。『飯野氏と何かあったの?』って。」
涙は、複写した海人からのメッセージを勇作の前に置いた。
「海人君は、どうしてこんなメッセージを送ってきたの?」
勇作が聞いた。

涙は、大きなため息を1つついた。そして、次の書類を勇作に見せながら話す。

「海人のカバンにエロ本が10冊、隙間なく詰め込まれていたの。」
声が少し大きくなる。勇作とは目を合わせない。涙が見せた次の書類には海人のカバンの中の写真と詰め込まれた雑誌の名前が示されている。カバンのチャックは、半分のところまでしか閉まっていない。

「私が始めに飯野氏が海人に嫌がらせをやっていると知ったのは、このメールの時よ。だけど、それまでも何度も嫌がらせがあったみたい。そして3ヶ月経った今も続いていて、これは一昨日の海人のカバンの中。」
勇作の前に置かれたメールとその画像には、カバン一杯に詰め込まれたコンドームの箱の写真があった。

涙は、勇作から目を背けたまま、もう1つため息をついた。そして、ジュースに口をつける。

この嫌がらせは、精神を滅入らす。2人を別れさせたいのか?嫌がらせの限度を越していると勇作は思った。
「これらの行為を飯野氏がやったというのはどうやって分かったの?」
勇作は、涙がジュースを飲み終えただろうと感じ、書面から目を離して涙の方を向いた。

「飯野氏が沢山の仲間を引き連れて、海人に直接近寄って、『うざい』『キモい』『なんで付き合っているの?』と喧嘩を売っていたの。そして、『エロ本読んだ?』『やったの?』って。私にも『お前、何調子に乗ってんの?』ってメッセージが届いたわ。」
涙は早口で答える。勇作は、溢れる涙の思いを感じた。このままでは嫌がらせが飯野氏の行為であるとの根拠となる出来事の話しが止まらなくなりそうだが、飯野氏が犯人と分かれば充分だからそれ以上の説明は要らないと勇作は思った。
だから勇作は、
「分かった。」
と言い、涙の話を納めた。

勇作は直ぐに涙が持ってきた書面に目を戻し、パラパラとめくりながら早足に読んでいった。

1週間前のメモとメッセージに目が留まる。涙と飯野氏が直接対話していると思えるものだった。

「これは?」
勇作がメモとメッセージを指さした。涙は、メモとメッセージを覗き込む。そして、再び顔を上げて勇作を見つめ、
「それがとどめでここに来ることを決めたの。」
とはっきりと伝えた。何かに遠慮している素振りはない。おそらく、意を決して来たのだろう。

「私がSNSの投げ銭とバイト代で買った20万円もする模試を、私のロッカーから勝手に持ち出して、飯野氏が仲間達と使っていたの。だから、『盗まないで、大事なものだから。』とメッセージを送ったの。
そしたら、『は?何が悪いの?意味わからん。ってか、お前調子に乗るなよ。目立ってうざいんだけど。みんなお前の悪口言っているわ。』って。
それに飯野氏の窃盗はまだあるのよ。見ます?」

涙は飯野氏に言われた罵詈雑言と盗みの話について言い収まらないようだった。だから勇作は遮った。大事なのは愚痴を聞くことではない。交渉点をどこに持っていくかである。そのために勇作は、涙の望む未来を知りたかった。

つまり、
ここにとどまり飯野氏と戦わせるべきか、
それとも、ここを離れ夢に向かわせるか、である。
だから、躊躇なく、
「花岡さんは、大学進学の予定は?」
と聞いた。嫌がらせがある現状に理解が出来た以上、後は着地点を決めることになる。

涙は不意をつかれた。しかし同時に、勇作は弁護士ではないから違法行為の要件にあたる事実を伝える必要はない、ネゴシエーターだから交渉さえしてもらえるのなら詳細は要らないはずだと気づき、応える。
「受験するけど。数学者になりたいの。」
涙は堂々と言った。口元は少し明るい。

そうか、それならと勇作は夢に向かわせる選択肢を残した。数学者は他の職業よりも開花する年齢が早く14歳とも言われている。そしてピークは16〜18歳。もしかすると涙は、今が能力のピークかもしれない。だから急がないといけないと勇作は思った。

「受験まで約1年。花岡さんが勉強に向き合えば向き合うほど、彼は追ってくるよ。彼氏が出来てから嫌がらせを始めたんだよね?彼は人から奪いたい人なんだよ。」
涙は黙って頷いた。

「彼は満足いく愛情を注いでくれなかった花岡さんへ『非難』という報復に出ているよね。これらのメッセージをみる限りは、彼は怒り狂って支離滅裂だよ、言っていること。」
ここでも涙は黙っている。

「交渉相手は、飯野氏ではない。飯野氏は自分で自分を見ることができない人間だから交渉にならない。花岡さんには辛い選択になるよ。それでも大学受験や叶えたい夢があるのなら交渉すべきだと思う。数学者のピークは17歳の場合もある。決めるのは今だよ。
交渉へコマを進めますか?どうしますか?」

勇作は交渉内容と交渉相手は話さなかった。ただ涙の覚悟を知りたかったのだ。

涙は勇作の目を真っ直ぐに見つめた。
「輝咲さん。私、ここに来るまで悩んで色んな人に相談して、本人にも話したの。でも、誰からも解決策は出てこなかった。海人との関係も悪くなっている。勉強にも集中出来ない。輝咲さんが最後の希望なの。お願いします。」
涙は決意表明の如く立ち上がり、頭を下げてから、また座り直した。
…………
涙は学校で孤立し始めていたのだ。世の中、上から叩かれている謙虚な人が悪い人にされ、周囲の傍観者は一緒になって叩く。そして口を揃えて言う。「叩かれた人が悪い。」と。何も行為を行っていない人に犯罪は成立しないのに。
一度でも叩かれたらそのコミュニティーに居場所はないのがこの国の仕組みなのだろう。
…………
涙が伝えた「希望」との言葉に勇作も覚悟を決めた。
「契約書にご両親のサインもらって欲しい。この書類をメールで送って。費用の話はその時にする。それから飯野氏と交際中だった時のメッセージはある?見せて欲しい。」
と言った。

涙は勇作と意思確認し合うように見つめ合った後、飯野氏と交際していたときのやり取りの記録を渡しす。

「分かりました。本当によろしくお願いします。
交際中のメッセージはこれよ。」
涙は該当ページを開いた。勇作は渡されたメッセージ内容の検索に入った。
…………
さほど分量は多くない。この中からヒントを見つけないといけない。
「おはよう。」「今どこいる?」「今日のドラマみた?」と言った一見ありきたりなカップルのやり取りの中から、異物を探す。

常識的ではないものはどれか。必ずあるはずだった。勇作はこれまでの仕事でやってきた通り、書面を辿る。
引っかかったのは、「時間」だった。

「この日はなんで3時間も学校で飯野氏を待っていたの?」
勇作は疑問が湧いたメッセージを涙に渡した。

「あー、この日は飯野氏が学校の倉庫で飲酒と喫煙をしていたから、先生に呼ばれてしまって、私待たされたの。」
涙はこのメッセージになんの違和感も感じなかったから、それがどうかしたかという様に首を傾げた。

もはや勇作は涙の表情を気に留めなくなっていた。
早口に、
「飲酒やタバコの証拠写真はある?日時は7ヶ月前だよね?」
と聞いた。

涙も早足に応える。
「写真はないと思う。7ヶ月前で間違えないわよ。」
勇作は7ヶ月前との言葉を耳にし、改めて飯野氏の執着心の強さに背筋が凍った。涙はなぜこんな男を選んだのか、疑問が湧くが今は聞くことを辞めた。それと同時に、湧いた疑問を封じながら対話を進めるのは、山中が自分に使っていた手法と同じだなと、勇作は昨日までが懐かしくなった。

…………
写真が欲しい。勇作はここからは力作業だと思った。
「飯野のSNSで写真を探そう。花岡さんはご両親から、サイン付の契約書を受信し次第、帰ってもらって構わない。そこで契約成立だから。」
勇作は涙と目を合わせることなく、言った先から検索を始め簡単に写真を見つけた。その数もどんどん出てきた。凡そ40枚にのぼった。

涙は、受信したメールに添付されていた親のサインを勇作に見せたが、勇作は見向きもしなかった。だから涙は、
「明日の朝、費用相談と合わせて挨拶に来るって。」
とだけ言った。涙の声に勇作は振り向かず、
「じゃあ、明日。」
とだけ言った。
それだけ言って、帰って行く涙を見送ることはしなかった。勇作は写真の中で飯野氏が他人の腹に落書きしながらタバコを加える写真を見ていたのだ。

目立つ奴は軒並み潰そうとしているのか?
自分が目立ちたいだけか?
涙のどこが気に入らなかったのか?
勇作は、飯野氏の欲望の満たし方に鳥肌が立った。
…………
翌日。朝10時にオフィスのドアが開く。涙から事情を聞いた両親が勇作に会釈し、
「お願いします。」
と言って代金を置き、涙を残して帰って行った。
それから勇作は、涙に交渉の概要を涙に伝える。

「交渉相手は学校。内容は飲酒とタバコでの飯野恵氏の停学要求。」
涙は頷いた。
「花岡さん、飯野氏が停学になっている間に貴女は、転校してください。」
勇作は手を膝の上で組み、抑揚つけずに淡々と言った。

涙には何が起こったかわからない。
「なんで?」
涙は不意を突かれた。

勇作は、静かにゆっくりと話し始める。
「これだけ花岡さんを追いかける飯野氏の精神も、飯野氏に集まる仲間も異常だよ。停学中は花岡さんに何も出来ない。その間に逃げるんだ。転校のことも、僕に相談したことも、決して口外しないことだよ。」

勇作の言葉に涙は泣き始める。声を上げず、静かに涙だけが涙の頬をつたる。
勇作は何も言わないが、泣いている涙から目を離さない。
「理不尽だ。ズルい。」
涙の声は震えている。

「そうだよ。世の中は理不尽で、ズルいこともある。だから、人を選び間違えてはいけない。飯野氏は接点を持ってはいけない人物だったんだよ。ここで離すべき。そうじゃないとSNS社会のこのご時世、飯野氏はどこまでも付いてくるよ。」
涙は応えない。いや、涙が止まらないから応えることが出来ないのだ。

勇作は、涙がいくら泣こうが、構わない。しっかりと伝える。
「交渉は、花岡さんが転校に踏み出したときにする。僕は飯野氏が停学になるよう、丁寧に攻め落とす。必ず。」

涙は何をどうしたら良いのか、分からなかった。だから、
「何日か考えます。」
と言い、立ち上がって、オフィスを出た。
…………
涙を拭い、階段を降りる。
3段4段と下る。その時だった。







白い線に沿って風が吹くように、勇作の策が名案だと感じた。
このまま進んでも誹謗中傷は高まるばかりで、海人との関係は疲弊するだろう。飯野氏は言葉が通じる相手ではないから、どんどん追い詰められる。何よりこのままだと大学受験も危うい。

念を断ち切るのはここしかない。

「待ったなしよね、人生。今よね。」涙は踵を返し、階段を駆け上った。
ドアを勢いよく開ける。
「やっぱり頼むわ!直ぐにお願い。」
人を虜にするカラッとした笑顔だった。
…………
涙はその場で転校先を調べ始めた。通信も悪くないし、他の地方でもよい。兎に角、夢が叶うところならどこでもよい。

勇作は便利屋に連絡し、飯野氏のSNSに掲載されていた喫煙の証拠となる写真を拡散するよう依頼した。
対象は同じ学校の同級生のみ。既に彼の飲酒とタバコを知っている人に再度届くことで、事件の重大性が伝われば十分だった。日本中に響き渡る必要はなかった。
…………
SNSの写真を拡散し始めて1週間後。
学校の中で飲酒喫煙が許されるのか、生徒の間で話題になり始めたが、教師たちはそのうち話題は消えるだろうと何もしなかった。
ただ1人、飯野氏の機嫌だけは日に日に悪くなったが、対処の術なく、拡散は止まなかった。

その間、涙への嫌がらせはとどまらず涙の椅子は壊れたパイプ椅子にされ、私物は頻繁に盗まれた。
簡単な雑談相手すらいなかった。
くだらないが無視はできず、勉強に集中出来る環境ではなかった。
涙は「輝咲さんの言うとおりだわ。」と思った。
…………
勇作がアクションを起こしたのは更にその1週間後。涙の編入試験の日程が決まったときだった。

朝8時、勇作は学校に行く。受け付けを済ませ、スムーズに入校した。職員室には行かずその場で学校に電話をかける。急に職員室に行くと1対多数になり、交渉が難しいからだ。

「こんにちは。週刊Rの輝咲と申します。飯野恵君の学校内での飲酒喫煙について、今、校門の前でそちらの生徒さんたちに取材させてもらっています。」
勇作は、担当者宛の電話ではなく、取材中の電話だとした。
「は?困ります。貴方誰ですか?」
と電話口の教師が言う。
「週刊Rの輝咲です。SNSで話題の話ですよ。サッカー部の生徒に今週末と来週末のレギュラーについて伺ったところ、飯野君、登録されていると名簿を見せてもらいました。」
試合のレギュラーは、学校のホームページから得られた情報だった。しかし、取材で得た情報と伝えることで、生徒と話をしているとの信憑性をもたらした。
それに加え、勇作の口調は、抑揚のない調子だったから違和感や嘘には思えず、相手を話題に引き込むことに成功したのだ。

電話口の教師は、関わりたくなかったのだろう。
「担任に代わるのでそっちに聞いて下さい。」
と言い、電話を切らず、飯野氏の担任に回した。

「担任の浜口です。」
ハリのない声は、中高年と思われる男性のものだった。電話が代わった瞬間、
「お会い出来ませんか?」
と勇作は提案し、そのまま職員室をノックした。
…………
浜口だけをターゲットにすれば1対多数にはならない。そうすれば、ここからがネゴシエーターの見せ場だった。

勇作は、このときのために準備をしていたのだった。それはこれまで山中とやってきたことと変わりはなかった。

そもそもみんな仲良しの職場なんてない。学校の先生同士の繋がりは、生徒の悪口であることはよくあることだと勇作は分かっていた。
特にこの2週間、観察していたのだった。拡散し続けるSNSの情報に対し、誰も何も言わない、何もしない状況は、教育の場において異常と言わざるを得ない。
そうならば、この学校は臭いものに蓋をする。事なかれ主義だから、ターゲットを確保すれば皆離れていくと。だから、電話口が浜口になったところを突入した。

勇作は、職員室に入り込んだ。

「困ります。困りますって。」
浜口は、前進する勇作を避けるように後ろ向きで歩く。大きな体が椅子にぶつかった後、左右を見渡す。しかし、誰も浜口を視界にいれない。

「取材にご協力いただけるとのこと、光栄です。」
勇作は偽造した名刺を出すが、浜口は挙動不審になるばかりで受け取らない。
SNSを拡散させつつ勇作が黙っていたこの2週間がラストチャンスだったのに、何もしなかったのだから、こうすることになったのだよと、勇作は心の中で浜口に伝えた。

「いやー、中高一貫の名門校の校内で飲酒喫煙なんて、驚きですよね。浜口先生はどうお考えですか?」
勇作は目を逸らさない。

何か言わないといけないと思った浜口は、
「いやその、彼は、体調悪くて、休んでいますから、その、それからかなぁと。」
シドロモドロに応える。応えながら浜口は、周りを気にするが、誰も浜口に近寄ろうとしない。8時15分、二人を取り残し他の教師はホームルームのために教室に行った。
浜口も逃げようとした。だから勇作は手を掴み、
「浜口先生、取り引きしませんか?」
と小さな声で提案した。
誰もいない職員室だからできることだった。

「は?取り引きと言われましても。」
浜口は逃げたい。逃げ場がないのにだ。勇作はポケットから録音機器を出し、
「今の会話を公表しない代わりに、飯野氏に適正な対処を学校内でしてくれませんか?僕はマスコミだからここに来たけど、彼の将来を潰したくない。もちろん、浜口先生の地位も守りたい。」
浜口は問題回避をしたいから、
「停学とか?自主休校とか?」
と勇作に聞いた。

「1か月くらい自宅にいてもらい、今週の試合は見送りはどうですか?体調も悪いようですから。」
勇作は涙が勉強に励める環境になりさえすれば、飯野氏不在の理由が、停学だろうと自主休校だろうと何でも良いのだ。

浜口は、悪くないと簡単に思った。
「報道前の今、決めて欲しい。もうすぐ他社も押しかけてくる。」
勇作の言葉に浜口は、
「本人に聞きます。」
と即答し、早足に教室に向かった。
自主休校なら、僕にも一切の責任が来ないと思ったのだ。
…………
浜口は、教室に入るなり、飯野氏の耳元で、
「今月いっぱい、自主的に休んでくれないかなぁ、悪いようにはしないから。」と告げた。
が、飯野氏が素直に聞き入れることはなく、最近、拡散している自らの飲酒、喫煙への非難のSNSへの怒りと混じり合い、

「じじー、ふざけんなよ、今週、試合だぞ。俺がエースだぞ。アホかおっさん!!!」
と大声を出した。

それでも浜口が眉間にシワを寄せながら、
「頼むよ。」
と頭を下げると飯野は、折れない浜口に更に憤り、椅子を持ち上げ投げ飛ばし、教室の窓が割れた。

教室に響く「きゃーーー」との声で複数の教師が集まり、飯野は停学になった。
…………
勇作の予想とは異なる展開ではあったが、飯野氏は暫し学校から姿を消した。

飯野氏が学校から消えると飯野氏に集まっていた者たちは直ちに解散し、浜口により付くようになった。
会話の内容はもっぱら自分は飯野氏とさほど仲良くない、SNSの写真は自分に無関係と言うものだった。

そして、自己防衛に夢中の元仲間たちは、涙と海人への嫌がらせを失念していた。
だから涙は、自然と周囲の者たちと世間話をするようにもなった。

人から嘲笑される雰囲気がないとこんなに楽だったんだ。と涙は思った。
憑き物が取れたように勉強にも集中でき、海人との関係も良くなった。

涙は、近年、共学になった関西の名門校NAD高の編入試験に簡単に合格した。
…………
渋谷 道玄坂のオフィスは、この日花が咲いたように明るかった。
階段を駆け上がりノックもしないで入ってきた涙が、合格通知を勇作に見せた。
そして、
「看護士の父が関西の病院に転職して一緒に来てくれるのよ。」
と話す。

透き通る様な嫌味のない自然な笑顔に、勇作まで笑顔になった。そして、
「そうか、たまに顔だしてくれよ。」
と言った。

勇作の言葉に涙は、パット笑みを終える。
「なんで?もう大丈夫よ。」
と首を傾げた。

勇作は、ショックで言葉を失った。この子のこの執着しないカラッとした感じが、男の付き纏いたい欲を煽ったのだなと、少しばかり飯野氏に同情した。飯野氏は単に寂しかったのかも分からない。

そのまま涙は、オフィスを出る。最後まで不思議そうな、顔をするから、勇作は居心地が悪くなった。

踵を返した涙を見送ると、そこには山中が男の子の手を引いて立っていた。
「勇作、依頼人だ。義務教育をなくしてくれ!」

(ネゴシエーター~学内トラブル交渉人
第2話 交渉相手は誰?別れても愛して欲しい元彼を断ち切って! 了)

こちらのマガジンに全編まとめています。


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