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手伝うことは、能力の補填ではなくコミュニケーション手段のことがある

「いいよ、いいよ、運ぶの手伝うよ。」
学生の頃、バイト先のスーパーでカゴを入口に運んでいると、お客さんが声をかけてくれた。きっとおしゃべりしたいのだろうなぁ、しかし、『ありがとう』なんて言ったら、私は他の店員さんに白い目で見られるだろうなぁ。と思い、
「自分の仕事なので、大丈夫ですよ、ありがとうございます。」
と伝え、自分でカゴを運搬し始めると、杖の付いた高齢の彼は、買ったばかりの小さな天ぷら2つを手に下げて、
「いいから、いいから。」
とやはり手を貸す。

この光景を見て、また別のお客さんが手伝いに来る。きっと「あの二人、危ない」とでも思ったのだろう。私はなんだかほっこりしてクスクス笑った。

こうしてバイト初日は、お客さんとみんなで楽しく働いた。
とはならなかった。
……………………
カゴを運搬した後、レジに戻ると棚の引き出しが私にぶつかる様、おばちゃんが何度も開閉する。
「お客さんにご迷惑だから。」
と針で身体を刺すような痛む言い方だったので、
「お断りしたのですが、きっとおしゃべりしたかったのだと思います。」
と元気よく返した。
「顔馴染みになったら困るから。ね、店長。」
と、今度は人数で攻める。その表情は心配な素振りではなく、不満に満ちており、虫でも見るかのような冷ややかな目で、黒目だけを上から下に動かし私を見る。とりあえず私は、
「すいません。」
と言ったが、そのお客さんは翌日も来て、同じことを繰り返した。
…………………
2日目も「みんなで楽しく働いたねぇ」とはやっぱりならず、
翌週、退職した。勤務日数6日で終わってしまった。

帰国子女の友人に一連の出来事を話すと、「お客さん、Gentlemen!」で終わる。
しかし、同級生のグループの子たちは目配せをし合いながら口を揃えて「えー、心配」というが、その心無い冷たい口調の言葉の裏に「ウザい」が見て取れた。
私が受けたのは、ほんの小さな親切とう名のコミュニケーション。人が誰かと対話する日常の出来事一つに嫌悪感を抱くとは、哀しいなぁと思う。
…………………
確かに、急にキレたり、付き纏う変質者もいるだろう。だからお客さんとは関わらず、冷徹にすべきとの考えも分かる。
しかし、私をお手伝いしたおじいさんは要危険人物ではないことが分かるだろう。
彼は名札に若葉マークを付けた10代女性が、危なっかしいから見ていられず話しかけてくれたのだろう。
それは、寂しいか、はたまた応援。

何よりおばちゃんたちが私を心配するなら、レジでビニール袋を丸めながら眺めていないで声を掛けに来るはず。「新人がご迷惑をおかけし、すいません。」と。そしてみんなでお片付けすれば、つき纏いの心配も客の手を使うことへの不満も解消される。
にもかかわらず、心配を盾に、自分たちの凍り付いた目付きを正当化する。そこには優しさを排除したい空気が流れていたよ。
…………………
お手伝いは、挨拶代わりのこともあるのにね。

「面白くない」という小さなヤキモチが「危ない」「危険」の言葉に変わって、「心配」の名の下、人との距離が開いていく。
ネットショッピングの普及で集客力のないスーパーが生き残るには、お客さんと挨拶することも大事だったりするのではないか。

本当に「心配」なら輪に入ってきたらいいのにと私は思う。輪に入るなら歓迎もする。
起きる可能性が殆どない出来事を過大に評価し「心配」の名前で隠して正当化しなければ生きていけないほど、小さな人になっている、あなたの心の状態こそ私は心配だったよ。
……………………
先日、異動してきた管理職のおじさんが、知ってるはずの文具の位置を何度も聞いて下さった。コミュニケーションを採るのに自分が下手に回る優しい挨拶だなぁと、柔らかな気持ちになって、あの時を思い出した。
初めてのバイトで経験したあの日のおじいさんの柔らかな雰囲気。
優しさって心に残って、同じ出来事で思い出すんだね。ありがとう。
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