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[エッセイ]【いじめ】学校に行くと靴がゴミ箱に入っていて、持ち物には油性ペンで✗がぎっしり書かれていた。そんな相手と…


学校に行くと靴がなかった。

こんなの日常茶飯事。

お母さんが私のために一生懸命作ってくれた

靴入れと体操着袋に

ある日油性ペンで余白がないほど

✗が書かれてゴミ箱に捨てられていたこともあった。

小学1年生の出来事である。


それを見た瞬間、

7歳のわたしは泣かなかった。

泣けなかったのか、泣かなかったのかは確かではない。

でも泣きはしなかった。

されたことよりもお母さんに申し訳ない気持ちで

いっぱいになったことは覚えている。

一生懸命作ってくれたのに…

ごめんね…

と。

いい子ぶっているわけではない。

本気でそう思ったのだ。


32歳の今、

こんなに鮮明に覚えているということは、

きっと恐ろしく傷ついた出来事だったに違いない。


唐突だが、小学生の頃、私は多分、無敵だった。


こんなことを書くともっと友達がいなくなると言われそうだけど

もうそんなことはどうでもいい。(諦めたw)


天真爛漫、勉強も音楽もスポーツもなんでもできた。

できなことはできるまで徹底的に努力する子供だった。

協調性はまるでなかったけど。←


私がされたことに名前をつけるとしたら「いじめ」と

いうのだろう。

私をいじめていたのは

幼稚園から同じだった医者の娘。

名前も顔もよく覚えてる。


同じクラスには一度もなったことがないあの子が

なぜ私にそんなことをしていたのか。


親から「あやかちゃんに負けるな」と

呪文のように言われたようなのだ。


7歳の頃のわたしは無邪気に親のために生きていた。

親が喜ぶことが自分のアイデンティティを保つ唯一のエネルギーで

親の笑顔こそ、私の正義だった。


私も相当ひねくれてはいるが

多分きっとその子よりは

たいぶポジティブな理由で生きていた。

嫌いな誰かを目標にして生きるのは大人でもしんどい。

まして7歳。

怒りのエネルギーは時として人を突き動かすが、

その反動も大きい。

あの子もきっと苦しかったのだろう。



油性ペン✗事件が起こった日、

その現場を偶然見た子がいたため、

犯人は簡単に見つかった。


私と私の担任の先生とその子が

使われていない教室に呼ばれた。


「あなたがやったの?」

先生がその子に聞いた。

「やってません。」

その子は答えた。

「神様に誓ってもやってないと言えるの?」

先生は続けた。(このセリフはすごく印象的で今でもはっきり覚えている。)

「やってない」

その子は最後まで認めなかった。

結局、謝罪もされずその次の年、

彼女は転校した。


陰口を言われたり、

同級生に嫌われたりするのは日常茶飯事だったが
(多分誰も悪くない。私が相当変わっていた。)

あのレベルのいじめはそれ以降なく

私の学校生活は続いた。


そして、中学生になった。

中学受験をした私は地元の中学校には入学せず

とある進学校へ入学した。


ここからがホラー。


その学校にあの子がいた。

私はB組。

あの子はA組。


同じクラスではないが

またもやはじまったのである。

彼女お得意の「いじめ」が。

しかも自分が何も手を汚さず、周りに私を攻撃させる。

・・・・・・・。笑


※下記あの子のセリフの再現、

「私ね………

幼稚園の頃からあやかちゃんにいじめられてて……ぴえん」

的なことを周りの一軍女子い言いふらし

私を攻撃させる作戦。



いやーすごかった。



多分私の人生で一番楽しくなかった時期が

中学3年間なんじゃないかと思う。


廊下で

「自分の顔見てみろよブス!!!!!!」

と叫ばれたこともあった。


すれ違うたびに

嘲笑われ、ヒソヒソ話の嵐。


非通知で100回くらい自宅に電話が来たこともあった。

100回のうち何回か184をつけ忘れたらしく、

ディスプレイに表示された番号を調べると

あの子の自宅電話番号。

・・・・・・・。

履歴を印刷して学校に持っていって

学年主任に渡した。


7年ぶりくらいのあの光景がカムバックである。


ある部屋に私と先生とあの子の3人。


「この履歴にあなたの家の番号が書かれれていますね。なぜこんなことしたんですか?」

と、先生。

「知りません。」

とあの子。

その後のやり取りはみなさんが想像している通りである。

いくら質問しても

「知りません」「やっていません」

の嵐であった。


今書いていてちょっと笑ってしまった。

あんた、どんだけ私のこと嫌いなん?w

と半笑いで聞いてみたい気持ちであるw


卒業するまでこんな毎日が続いた。

こんなことを書いたら親は悲しむかもしれないが、
楽しいことはほぼ思い出せない中学3年間であった。


思春期真っ盛り、

アイデンティティ形成の時期が

暗黒だったことは

ここにきてやっと、30をすぎてやっと、

私の強さに変わろうとしている。


目の前の恐ろしい出来事に日々耐えて、

それでも負けちゃいけないと思って

学校を1日も休まなかったあの頃の私は、

本当にすごいと思う。


いじめられた側が言う一方的な言葉ではあるが

一言言わせてほしい。

声を大にして言わせて欲しい。

いじめは、いじめる方もいじめられる方も

どちらも悪い。

これは”絶対に間違い”である。

強さがあれば決して誰かをいじめたりはしない。

人間の弱さがこんなことをさせるのである。


”自分自身の課題から目を背けて

自分が欲しいなにかを持っている誰かを虐げる。”

これがいじめの方程式である。


私みたいに一見気が強いやつも

こうやってターゲットにされる場合もあるが

その反対のこともたくさんある。


いつも教室で1人、

移動教室も他の女子が群れて移動するなか

1人で移動したり、

お弁当も1人で食べてたり。

そんな子もターゲットにされる。


その場合もさっきの方程式がきっちり当てはまる。


深層心理、掘り下げていけば一目瞭然。

いじめてるやつは

その子の”1人でも平気な強さ”が羨ましいのだ。

”友達と群れることが正義”

”スカートは短くて放課後街で遊ぶのがかっこいい”

誰が決めたか知らないルールに縛られ、

それ以外の生き方ができず

誰かと一緒にいないと

怖くて怖くて寂しくて死にそうな

そんな自分を

心の底では認めたくなくて

大嫌いなのである。


そう、結局は

”弱くてちっせえええええええええええええ”

やつがいじめをするのだ。


もしここまで読んでくれた方で

今誰かに攻撃されてる人がもしいたら、

ぎゅーーーと抱きしめてこう言いたい。

「あなたはね、あいつがこんなことをしてまで
欲しいなにかを持っているんだよ。
だから大丈夫。
辛かったら逃げたらいい。
この場所が、あなたにふさわしくないだけだよ。
頑張らなくていいこともある。
逃げていいんだよ。
そして絶対に仕返しなんかしないでね。
同じレベルまであなたが下がってあげる必要はない。
自分がしたことは必ず自分に返ってくる。
あいつはいつか勝手に自爆するから安心して。」

と。


自分自身の問題からは逃げていいことはないが、
他者からの非常識な攻撃からは
逃げてもいいと思う。

逃げるは恥だが役に立つ。

まさに、これ。



こうやってあの日の出来事を言語化できるようになった

32歳の私も

今も大きな傷跡は消えないままだ。

でも、もう痛くはない。

傷は傷跡へと変わっていった。


傷跡は間違いなくここにあるけど、

もう痛くはない。

傷跡ももう隠しはしない。

あのね、この傷はね、って

誰かに話せるようになった。


いつかの痛みは、誰かを救う優しさになる。

心からそう実感している。


あの頃、

涙は流さずとも

確実に

私の心は泣いていた。

限界であった。

あんな状況の中

頑張った小さな小さな私に

心からの敬意と感謝を。

そしてBIG HUGを。




追伸
こんなにも多くの記事が溢れる中、ここで出逢えたこと、
心から嬉しく思います。
是非、またお逢いしたいです。
明日もみなさまにとって穏やかな日でありますように。

AYAKA


https://www.instagram.com/ayap129/

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