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百人一首と万葉集

 今、万葉集と仲良くなりたいといろいろな本を読みつつある。
 2冊目「声に出して読みたい万葉の恋歌」松永暢史監修を読んだ時に、百人一首で知っていた歌だけが、自分の目にがつんと入ってきた。
 この恋歌たちを、本当に自分が恋に苦しんでいる時に読んだらもっと印象は違ったのか?
 アクション映画を観て、ラブシーンだりぃ!と思ってしまう私である。(でも、確かに、アクション映画のラブシーンはとってつけたようだ笑)すぐ、キスしたり、セックスしたりというラブシーンは即物的で嫌いかもしれぬ。むしろセックスに至らない純愛ラブシーンは結構好きかもしれない。
 あれ?なんの話だったか?笑

 恋とか欲望だしな( ^ω^)・・・と思っている私は、なかなか恋歌には心を動かされなかった。全くといっていいほど笑。

 反対に、子供時代、正月と言えばみんなでトランプや百人一首をやって、札を詠んだり、取ったり、という語呂のいい歌たちがどんな意味だったのかと言うことには、なんだかとても興味が湧いた。

 しかも、それが万葉集にも載っている歌だったなんて!

 というわけで、この本に載っている、妙に親しみを感じる百人一首の歌だけ、抜粋してみることにする。

忘れじの
行く末までは
かたければ
今日を限りの
命ともがな

儀同三司母(ぎどうさんしのはは)

意味:いつまでも忘れないとあなたはおっしゃってくれますが、そのような遠い将来は頼みがたいことですから、そういってくれる今日を限りの命とあってほしいものです。
 「男が通い始めた頃に作った歌で、恋愛が始まったばかりの女心を巧みに表している、男が通ってこなくなれば自然に消滅してしまう当時の結婚形態、」とある。なんて、この時代の結婚形態は大変なんだろう!!!男にとっては都合がいい感じがするけれど?みなが恋愛に苦しみ、歌を詠むしかないような風に世界が設定されていたように感じるのは気のせいであろうか?

嘆きつつ
独り寝る夜の
あくるまは
いかに久しき
ものとかは知る

道綱母(みちつなのはは)

意味:あなたのお出でのないことを嘆き嘆きして、独りで寝る夜の、明けるまでの間がどんなに長いものか、あなたはご存じでしょうか、いいえご存じではありますまい。
「あけっぴろげでちょっと浮気っぽい男とまじめで少し頑固で、素直に愛情表現のできない彼女。どうしようもなく疲れてしまう組み合わせのようだ。」現代のSNSで、好きな人と四六時中つながってしまえる時代からすれば、いつくるかわからない男をまって、長い夜を過ごすなんて考えられない。それはさぞ、長かったことだろうなあ( ^ω^)・・・。

有馬山
猪名の笹原
風吹けば
いでそよ人を
忘れやはする

大弐三位(だいにのさんみ)

意味:あれま、いや、さあ、ちょっと、ああ、いらっしゃいましたね。
 そうですよ、お忘れになるのはあなたの方で、どうして私があなたを忘れましょうか。

「この作品は、吹く風が男からのアプローチを表していて、その風がそよ吹く音と「そよ(それですよ)」という意味を掛けている。詞書には足を運ぶのが途絶えがちになった男が「私に対するあなたの気持ちが疑わしいのだ」と寄こしたことに対する返歌と書かれている。この男は完全に馬鹿にされて、万座の中で恥をかいている。もうすでに重要な人でなくなっているのであろう。こういった歌を即座に返してくるのだから、平安の女性は恐ろしい。今の男では対応できないだろう」
 この歌の前半が「あれま・・・」とかになるのが、地名が出てきて、そのことが私には全く分からないのが面白い。でも、意味がわからないなりに、「いでそよ人を忘れやはする」の爽やかさが、毅然として好きだった。

恨みわび
ほさぬ袖だに
あるものを
恋に朽ちなむ
名こそ惜しけれ

相模

意味:つれないあなたを恨み哀しみ、乾かす暇もない袖さえ朽ちそうであるのに、さらにこの恋のために朽ちるであろう我が名が惜しく思われるのです。
「世間に知られてはいけない男との恋愛、ましてその男に捨てられたなどと噂されるなんて許せないのだろう。プライドが高ければ高いほど、世間の同情の目が耐えがたく女にのしかかってくる。」
 恨みの言葉から始まって「ほさぬ袖だに」が涙に濡れている袖を連想し、最後の七七が、くやしさをにじませる。はっきりした意味はわからないまでも、どこかこの歌のくやしさを感じていたかもしれない。それにしても、最後の七七がさっきから、決まっているというかかっこいいというか!

忘らるる
身をば思はず
誓いてし
人のいのちの
惜しくもあるがな

右近

意味:あなたに忘れられる私の身を、少しも辛いと思いません。
 ただ、私への愛を誓ったあなたの命が神罰を受けて縮まるのではないかと惜しまれるのです。

「この作品は神に誓った愛を裏切った男に同情を寄せた形をとっているが、本音はもちろん別のところにある。つまり、自分を捨てた男に対する強烈な皮肉なのだろう。」
 一見いい子ぶって、あなたの命が心配と言っているこの歌を歌った女の気持ちが怖い。
 私がこの男なら、なんだかゾッとする。あまり好きじゃないかもw。

あらざ覧
この世のほかの
思ひ出に
いまひとたびの
逢うこともがな

和泉式部

意味:私が死んであの世に行ってしまってからの想い出のために、せめてもう一度あなたにお逢いしたいのです。
「この作品は平易な印象だが不思議と女性の命と愛の終わりが印象的に伝わってくる。人は自分の命が終わるときをどういう想いで迎えるのだろうか。和泉式部はもう一度だけあの人に会いたいという気持ちを素直に作品にしたのだった。」
 これは一般的な女性の話かはわからないのだが、私は、別れた男には興味がない大笑。たぶん死に際に思い出すのは恋ではなく全く別なことだろうなと想像がつく。それって、なんだろうな??

ながらへば
またこの頃や
しのばれむ
憂しと見し世ぞ
今は恋しき

藤原清輔

意味:このまま生きながらえて年月を過ごすのなら、その時にはまた今のことを懐かしく思うだろう。その証拠に、辛いと思っていた昔が今は恋しく思われるから。
「この歌は、その最後は失恋などで傷ついた辛い時も時の経過で、いつかはきっと良い思い出になるという、現代人に贈るエールを込めた和歌なのである。」
 意味がわからないながらに、憂しと見しという言葉が好きだった。
「ウシとミシ」ってなんだろうと思いながらこの2語の言葉が連なっているところがただ好きだった。子供なんだもの笑。

 こうしてみると、意味がうすうす分かっていたものも全くわからなかったものもあるけれども、暗記したり、読んだり、札をとったりしながら、互いに好きな句を意味もわからず決めていたことを思い出した。

 母の好きな札が「しづごころなく花の散るらむ」で、私や姉のスキなのが「ながながし夜をひとりかもねむ」という札だった。「かもねむ」っていう言葉の語感がかわいかったのだ。確か、2つあったと思う。
 「われてもすえに会わんとぞ思う」とか、「声聞くときぞ秋は悲しき」とか、「富士の高嶺に雪は降りつつ」とか、他にも、ぽんぽん句が浮かんでくる。万葉集だけでなく古今和歌集とかもあるのだろうが、百人一首というカルタで遊ぶことによって、日本の文化を音で暗記して、今も頭に残る。

 これぞ、日本文化伝承の最強兵器ではなかろうか?

 今、子供のいるママは、是非、百人一首で、お正月に遊んで頂きたいと思った💛

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