マガジンのカバー画像

なんかスキ

155
よくわからないけど、スキだと直観的に感じた記事を集めてみた。  何がスキなのかは、集めているうちに気が付くかもしれない大笑。
運営しているクリエイター

#写真

自分文庫

某SNSで、写真雑誌の表紙風テンプレートと自分で撮った写真を組み合わせて投稿する遊びが流行っている(あるいは、いた?)。 それはそれで興味深いとは思うものの、ぼくはお仕着せが嫌いな天邪鬼不羈独立の精神を重んじるクリエーターなので、何か別の自分なりの工夫ができないかな、と考えたのだった。 そして、ふと。 著作権の切れた小説の文庫本の表紙を勝手に作ってみてはどうだろう? 名づけて「自分文庫」。 次から次へ作れそうな気はするけど、とりあえず3点。 今回掲載した「自分文庫」の背

【フォト小説】たどりついたら猫の島

※この作品はフィクションです  私が三十八歳のときに、夫は三十九歳で他界した。  夫の遺品を整理している最中、免許証を見て、その本籍地が香川県の佐柳(さなぎ)という場所であることを思い出した。夫の父は佐柳島という瀬戸内海に浮かぶ小さな島の出身らしい。横浜生まれで横浜育ちの夫も、その父と同じく本籍地はだけは佐柳島になっているらしかった。  一周忌が終わった後で、私はその佐柳島へ行くことにした。夫の父親も若い頃に島を出ているわけだし、本籍地の住所に行っても何も無いことはわか

写真作品「半透明の時間」

わたしは、具象表現と抽象表現、あるいは日常と非日常の架け橋となる美を表現の中心に据え、アート作品の制作と発表を続けている写真家です。 これからご紹介する「半透明の時間」は、2023年7月、福島県福島市郊外の風花画廊において、個展を開催し発表した作品群です。 このnote記事では、それぞれの写真に籠めた精神をあらためて解釈し直し、自問自答や散文、詩に似た形で付記しました。それは解説でもあり、場合によってはそうでなくもあり、わたしの心が漏らしたつぶやきのようなものと受け止めていた

センチメンタルな15才の旅

「誕生日プレゼントは青春18きっぷがいい」と娘からリクエストがあったのは彼女が15才になる少し前です。そういえば、わたしがはじめて18きっぷを使ったのも同じ頃でした。 7月の薄曇りの日。 娘の最初の「18きっぷの旅」に一緒に行きました。 わたしの手にはキヤノン new F-1。 それはわたしが15才の時からそばにあるカメラです。

モノクロフィルムと「春」の問題

春を甘く見てはいけません。

天川村と龍と、ルーツを求めての旅

初めましての方、そしていつもご覧下さってる方、sanaのnoteに足を運んで下さり、ありがとうございます。皆さんが縁あるいつかの星に繋がる時のために、sanaの現場からの何かをころんとお届け出来たら、と思っています。 このトップには埋もれていた記事を再発掘掲載しています。この記事は5千文字ちょっとあります。2024/2/27追記 25年以上も前のこと。ツアーではなく自分で作る旅が好きだったのですが、奈良県天川村へと行った時のことです。白山連峰の地である北陸のとある地域から奈

いのちのかたち

先日、おとなりの山形県まで行ってきました。 お目当ては、天童市美術館で開催されていた 「はしもとみお展 −時を刻むいきものたち− 」 です(会期が11月19日までなので、結構ぎりぎりでした)。 いつもお世話になっている風花画廊のオーナーさんに「よかったよぉ」と勧められて。 お名前に記憶のある作家さんです。 「いとしのムーコ」という柴犬が主役のマンガがあって、そのモデルである実物のムーコの等身大彫刻を作った方だったはず。 福島市から天童市までは、高速道路を使えば1時間半

少しBlueなSunday

カメラ片手に街を。

短辺紙文「猫を探す」

ある日。家のネコたちが2匹、いなくなりました。黒茶のキジトラ猫。黒白毛の猫。ネコたちの写真を眺めて、いなくなった日のことを思い返します。 迷いネコを探す知らせ紙を作って、家の同心円状の500m範囲に配り歩きました。4箇月のあいだ、そうしながら様子をみたけれど、ネコたちは見つかりませんでした。知らせ紙は、3回、配りました。保健所や清掃局にも、届けはありませんでした。 家から100mと少し行ったところに、昔馴染みの小母ちゃんがクリーニング店をしています。クリーニング店は、地域

今夜、ホタルを見に行こう

「そろそろホタルの季節じゃない?」 娘にそう言われて、5月も終わりに近づいていることに気づきました。わたしの住んでいる地域では、ゲンジボタルが飛び始める頃です。ホタルを見ることは、定期的に波の音を聞くのと同様に、とても大事なことなのです。 ホタルは現実と非現実の間を行き来する生き物です。 そう感じる経験をしたことは、一度や二度ではありません。 7月のある日、山の麓の小さな駅でのことです。 わたしにとって、そこはとても大切な場所です。 日が落ちてあたりが暗くなってきたとき

恋人と会えない2月

流氷がやってくる季節です。 上の写真はちょうど2年前の今日、紋別市のはずれのオムサロ海岸です。この世界には自分と流氷しかいない、そう感じさせるほどの無音よりも静かな朝。その時、流氷と気持ちが通じ合うのを感じました。 それから2年間、流氷に会っていません。 例年であれば仕事で紋別を訪れる時期ですが、去年と今年はそれがなくなりました。 流氷のことを考えるようになって27年。 こんなに長く離れているのははじめてです。 --- 写真には関係が写ります。親密でないと撮れない写

彼女の消えた森で

職場の敷地の一角に小さな森があります。 以前は毎日のようにお昼にそこを散歩していました。土地を造成するときに邪魔になった木をまとめて移植したような場所で、自然にはありえない植生が維持されています。たまにウサギが目の前をかけていき、すぐ脇の池ではカワセミを見ることもできます。 森には遊歩道的な道がありますが、歩く人はほとんどいません。暖かい時期にはたくさんの虫が歩き回っていますし、秋には落ち葉でどこが道なのかも分からなくなります。 だれが好き好んでそんな所を歩くでしょうか。

再生

Slide show of my photos.

Moments in everyday life that we might otherwise overlook. These were taken by me going for a walk. For example, flowers, plants, and everyday life.

芸術とは何か?:三平汁と海の色

流氷で有名な紋別は、もちろんわたしにとっても「流氷の街」です。そこにはかつて北大の流氷研究施設があり、いまでも毎年、流氷の国際シンポジウムが開かれています。 でも、「流氷を見たい」という人に紋別行きをすすめるのは少し躊躇します。流氷を見るなら網走か知床のウトロに行く方が確実だからです。紋別は素敵な街ですが「お前のせいで流氷が見られなかった」と言われるのは本意ではありません。 では「紋別にしかない魅力」があるとすればそれは何でしょう。わたしの答えは決まっています。「酒場」で