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【フォト小説】たどりついたら猫の島

※この作品はフィクションです

 私が三十八歳のときに、夫は三十九歳で他界した。

 夫の遺品を整理している最中、免許証を見て、その本籍地が香川県の佐柳(さなぎ)という場所であることを思い出した。夫の父は佐柳島という瀬戸内海に浮かぶ小さな島の出身らしい。横浜生まれで横浜育ちの夫も、その父と同じく本籍地はだけは佐柳島になっているらしかった。

 一周忌が終わった後で、私はその佐柳島へ行くことにした。夫の父親も若い頃に島を出ているわけだし、本籍地の住所に行っても何も無いことはわかっている。当の夫も、小学生の頃に家族旅行で一度訪れたことがあるだけだ、と言っていた。

「本当に何も無い島だよ。でも景色はすごく綺麗でね」と語る夫の目には、幼き日の憧憬の色が滲んでいた…と思う。私はといえば、その時は特に行ってみたいとは思わなかった。なにしろ遠いし。けれども夫が亡くなってしまうと、そのルーツに少しでも触れてみたくなってしまったのである。

 三月の下旬、私は会社に休暇を申請し、二泊三日の行程で佐柳島を目指した。羽田から飛行機で高松空港に降り立つと、大雨である。なぜだ。瀬戸内は少雨の土地ではないの?と思ったのだが、そんな勝手な私の都合に天候が合わせてくれるはずもない。空港からバスで駅へ、駅から電車で島の近くの駅へ、そして徒歩で宿を取ってあるビジネスホテルへと着いた頃には、革靴がたっぷりと水を吸っていた。

 くたびれ果てた私は何をするでもなく、部屋の窓から雨の街を眺めて、そして翌朝の島への出発に備えて早く休むことにした。ホテルの中は私ひとりしかいないのではないかと思えるほどに寂しく静かで、よく眠れそうなことだけが幸いだった。
 
 翌日、昨日の雨が嘘のように上がり、今度は眩しいくらいの陽がさしてきた。私は宿を出るとタクシーで多度津(たどつ)港へと向かう。港といっても本当に小ぢんまりとしたもので、ここから佐柳島に向かうフェリーが一日に四便だけ出ているのだ。

 桟橋の入口が工事中で、そこに昨日の雨の影響からか大きな水溜りが出来ていた。私は「つらいな」と思いつつ、ゆっくりとつま先立ちで避けながら波止場まで進み、一番早い便に乗って島を目指した。





 平日なので乗客は少ない。一時間ほどのクルーズだったが、瀬戸内海は美しかった。まるで置物のように島が海に点在し、それが近づくにつれて陰影を強めていく。人も島も何もかも、近づかなければ本質は見えないのかもしれないな、と思った。でも近づくタイミングを、人はあまり選べない。

 佐柳島は周囲6.6キロほどの小さな島である。南に本浦、北に長崎という集落があり、それぞれに港もある。夫の本籍地は本浦だが、私の着いた港は長崎だった。島の風景を眺めながら、私はゆっくりと本浦の集落を目指して歩く。春の陽気は温かく、のんびりとした島の空気は心地よかったが、やはり過疎化が進んでいるのか、時間がそこだけ止まってしまったかのような古い空き家も目についた。
 
 当たり前だが、夫の本籍地には、何も夫にまつわるものは無かった。今は関係のない人の住む家と、小さな畑があるだけだった。けれども、夫は少年の日にここを訪れているはずであり、いま私が見ているものとほとんど変わりのない風景を見たのだろうと思うと、何かこの世にはもう居ない夫と気持ちを共有できたような、そんな気がした。気がするだけで良いのだ。

 私は本浦の港へ向かってまた歩き出した。たまに島の住人とすれ違って挨拶をするが、ほとんどが高齢者である。人影は本当に少ない。代わりに、




 猫がいた。


 大勢いた。


 佐柳島には猫がたくさんいて、それは住民の数よりも多いくらいだということを、私はネットで島について調べた時に知っていた。けれども、こんな当たり前のように風景の中に猫が溶け込んでいるとは思わなかった。

 猫たちは道端に寝転がったり、数匹で集まってぼんやりとしたり、気ままを王道で行く暮らしをしているようだった。私は動物全般にあまり興味がなく、猫に対しても思い入れはないのだが、動物園で順番に檻の中の生き物を見て回るよりはこの風景の方が好きかもな、とは思った。

 本浦の港近くには第二便で到着したと思わしき人影が割とたくさんあった。ほとんどがこの猫達を目当てにやって来た観光客のようだ。彼らは持参した餌を猫に与えたり、ひたすら写真を撮ったりして、佐柳島のゆったりとした時間を楽しんでいる。


 やることはもう何も無いので、他の人達と同じように、私も様々な場所の猫を眺めて過ごした。海岸の端に居るような猫もいて、近づくためには岩場などを登り降りする必要があった。意外と高低差があり、滑りやすい。ショートブルゾンにデニムパンツ、それに履き替えたスニーカーという動きやすい服装で正解だった。

 防波堤に沿って歩いていると、男性に声をかけられた。丸い眼鏡に小太り、アニメキャラクターのキーホルダーがぶら下がった大きなリュックに大きなカメラを携えた、いかにもオタク系という旅行者の青年である。「すみません、協力してもらえませんか?」と彼は言う。何でも、猫が飛ぶ姿を撮りたいのだそうだ。

 猫を防波堤の上に誘導し、その切れ目の向かい側に、持参したおやつの煮干しを置く。すると猫はジャンプして向かい側の煮干しにありつく。その瞬間にシャッターを切ることで、猫が空を飛んでいるような写真が撮れる。ある写真家が紹介して、ネットで話題になって久しいらしい。

 帰りの船が出る15時までやることも無いので、私はオタク君の撮影に協力した。煮干しを置くのは私の役目だ。オタク君は防波堤の切れ目の真ん中にしゃがみ、カメラを構える。猫たちは「またそれですか」と言わんばかりの素の表情で、ぴょんと切れ目を飛び越えていく。オタク君は「あっ」とか「よしっ」とか言いながら、猫たちの跳躍にシャッターを切っていった。

「猫、好きなんですよね?」とオタク君が聞くので、「私は普通です」と、正直に答えた。するとオタク君は「ええっ、猫が好きじゃないなら、この島、何も無くないですかあ?」と言った。そういうとこだぞ、と私は思った。まあ、私の事情は特殊すぎるので仕方ないのかもしれない。私は夫のルーツに触れたくてこの島にたどり着いたら、そこがたまたま今は猫の島だっただけなのだ。

 防波堤の上には縞の入った猫が一匹だけになった。「この模様はキジ白って言うんですよ」とオタク君が聞きもしないのに教えてくれる。猫の毛色や柄にもそれぞれ呼び名があるらしい。しかしどういうわけかこの猫は向かい側の煮干しを目にしてもジャンプしようとしなかった。

「キジシローは、飛ばない猫なんですよ」と勝手に名前を付けたオタク君は言う。どうやら飛ぶ猫と飛ばない猫がいるらしい。猫は嫌いなことや苦手なことはしないだろうから、多分そうなのかなと私は思った。オタク君は別の防波堤の切れ目で撮影を続けるらしく、誘われたが私はここにいると言うと、お礼を述べて独りで去っていった。

 オタク君の背中のリュックに揺れるキーホルダーを眺めて、なんだか羨ましいなと思った。もうずいぶん前に辞めてしまったけど、会社の部下にもこういうタイプの人がいた。彼らには好きなものにまつわる楽しみな日々がこれからも待っているだろう。私なんかよりずっと器用に彼らは生きている。

 生前、日に日に痩せていく夫は、「僕たちには子供がいないから、僕が死んだら、君は自由に生きてくれたらいい」と言っていた。いや、私は今でも十分に、自由なんですが、と思った。むしろあなたに早く死なれたら、私の自由がどこかに消えてしまうような気すらするんですが、と言いたくなったが、病気治したらいいじゃん治そうよ、としかその時は言えなかったのだ。それからあっという間に、夫は亡くなってしまった。




 ずいぶんと長い時間、防波堤の上でキジシロー(その名前はどうかと思うが成り行き上)はじっと動かないでいる。私も動かずにその姿を眺めているうちに、この猫は本当は飛べるのではないかと思えてきた。飛べるよね、君は。だったら私がもし「飛んでほしい」と願ったならば、あなたは飛んでくれるだろうか。

 私はオタク君から預かった煮干しの最後の一つを持っていたので、防波堤の切れ端の向かい側にそっと置いた。そして「飛んでみせてほしいな」と、私はキジシローに向けて声をかけた。聞いているのかいないのかさっぱりわからない様子だったが、一瞬だけ私の方に視線を向けると、キジシローはゆっくりと身体を起こし、少しだけ前かがみの姿勢になる。








 飛んだ。なんだかちょっとびっくりするくらい、しなやかにキジシローは飛んだ。やっぱりあなたは、飛べるんじゃん。やるじゃん。そう思って見つめている私をよそに、キジシローは煮干しを一瞬で食べてしまうと、また前脚を畳んでくつろぎ始めた。




 でも、その視線ははっきりと私の方を向いていて、何かを問いかけるように長い間目を逸らさなかった。私が何度か頷いて返すと、キジシローは大きなあくびを一つして、目を閉じて眠り始めた。






 十五時五分のフェリーで私は佐柳島を発った。瀬戸の海はこれから夕暮れに染まり美しさを増していくのだろうけれど、私は帰らねばならないという気持ちでいっぱいだった。そう、私は帰らねばならない。

 デッキでは携帯電話が通じたので、私はまず飛行機の帰りの便の空席を確認し、ビジネスホテルにもう一泊の予定をキャンセルしたいと電話をかけた。申し訳ないが、精算はチェックインの時に済ませている。そして行きと同じタクシー会社に連絡し、多度津港に一台来てもらうよう手配をした。

 タクシーに乗ったらホテルで荷物を回収し、そしてそのまま高松空港まで行って貰おう。相当な距離があるが構わない。飛行機に乗れば、今日のうちに私は帰ることが出来るだろう。これからも私が生活していく場所へと。

 フェリーが港へと近づくと、手配したタクシーがもう路肩に到着しているのが見えた。私は一番で陸に上ると、港の桟橋を小走りに駆けた。入り口付近は日陰だったからか水溜りが乾ききらず、アスファルトの黒い染みと共に私の行く先を塞いでいたが、私はほんの少し身を屈めると、一息にそれを、飛び越えた。

(終)