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センチメンタルな15才の旅

名作がなぜ名作なのかを考える時、その真似をしてみると新たな発見があることがあります。前の記事で取り上げた荒木経惟さんの「センチメンタルな旅」はじわじわくる魅力のある大好きな写真集です。その魅力はどこから生まれるのか。それを知るために「センチメンタルな旅」に倣って、ひとつの旅で撮った写真をあまりセレクトせずに並べてみることにしました。いまから数年前、娘とのはじめての汽車旅。「写真を撮るぞ」という意識を持たずに撮った51枚の写真から。

「誕生日プレゼントは青春18きっぷがいい」と娘からリクエストがあったのは彼女が15才になる少し前です。そういえば、わたしがはじめて18きっぷを使ったのも同じ頃でした。

7月の薄曇りの日。
娘の最初の「18きっぷの旅」に一緒に行きました。

わたしの手にはキヤノン new F-1。
それはわたしが15才の時からそばにあるカメラです。

「青春18きっぷの旅は一番列車ではじまる」。そう思ってしまうのは「乗り放題なんだからできるだけたくさん乗らねば」という貧乏人根性のせいでしょうか。
水戸からは常磐線、水戸線、水郡線という3つのルートがあります。この日はまず水郡線で北を目指すことにしました。車窓ではバス停が集会をしていました。
途中、水害の影響で不通になっている区間があり、代行バスに乗り換えます。「18きっぷでバスにまで乗れてラッキー」と言いながら曲がりくねった道を揺られていきます。
18きっぷシーズンで混んでいるかと思いましたが、途中区間が不通のせいか、かなり空いていました。山あり、川あり、田んぼあり。飽きることのない風景が続きます。
郡山でこのあとの行程を考えます。出発前に計画を立てても絶対にそれとは違うことをしたくなるので、無計画で出かけるのが正解です。
中高生の頃のわたしは18きっぷを手にすると「とにかくできるだけ遠くまで行く」ことを目指していました。それが若さであり、それが18きっぷなのです。
車では何度も来たことのある喜多方ですが、列車で来ると別の町に来たような気分になります。駅名標の中では隣の駅が会津村松(廃止された日中線の駅)のまま。
知らない町を適当に歩き、目についたお店に入ってみる楽しさ。そこに自分の知らない「暮らし」があることを実感できます。
駅前の喫茶店でバナナジュースを飲みながら帰りのルートを考えます。でも、どうして東日本の喫茶店にはミックスジュースがないのでしょう?
駅で列車を待っていると「ばんえつ物語」のC57180がやってきました。山口のC571を見て育ったわたしですが180とは初対面。やっぱり貴婦人は最高です。
わたしも娘も「旅は一人旅に限る派」そして「旅に結果を求めない派」です。そんな似たもの同士だから、一緒に旅ができるのかもしれません。
郡山から今度は磐越東線に乗っていわきを目指します。大勢乗っていた高校生は一駅ごとに少なくなり、あたりは徐々に暗闇につつまれます。
列車は陽の落ちた山道を下っていきます。夜の底に潜って行くかのようです。
夜のホームに咲くユリ。「センチメンタルな旅」。
最終の上り常磐線に乗客はほとんどいません。途中の駅で1匹のメスのカブトムシが入ってきて、床でバタバタしていました。


「センチメンタルな旅」は20mmレンズで撮られています。そのおかげで、そこには「目の前のこと」、その「場」と「時間」が写っています。この記事の写真は50mmですが、それだと「何かを切り取る」感じになり、撮影者の意思が入りすぎてしまいます。「センチメンタルな旅」の引き込まれる感じは、広角レンズだから成立しているのかもしれません(でも、わたしが20mmだけで撮ると散漫な写真になってしまうでしょう)。また「センチメンタルな旅」の(オリジナルを再現したと言われる復刻版の)消え入りそうな印刷(この記事の写真はそれに寄せてみました)も「現実感」を薄めて「異世界感」を出すために大事な役割を果たしていることがわかります。どう仕上げるかで写真の世界はまったく変わるのです。

「科学」と「写真」を中心にいろんなことを考えています。