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今日読んだnoteから3つの記事を

以前に比べて、noteを書く時間も読む時間も増えた。

せっかく読んでいるのに、そのまま読んで終わりにするのはなんだかもったいないなっていう気がして。

なので、今日読んだnoteたちの中から3つ、ピックアップしてそこから感じたことを思うままに書き連ねてみた。

noteでできた友達のこと/吉玉サキ さん

会う人会う人に同じような話をされるので、正直飽きる。

これは、わたしもよくあるからすごく分かる。noteで知り合った人からnoteの話ばかりされるようになったという吉玉さん。わたしもこの方のことをnoteで知ったし、毎日更新されていたことも、本を出版されたことも、山小屋日記を書かれていたことも知っている。いつかお会いしたい方の一人ではあるのだけど、きっとわたしもこの方とお会いしたらnoteの話ばかりしてしまうかもしれない。

大人になってから出会った人とは、しょうもない話がしにくい。大人ってあまりふざけないから、真面目な話のほうがハードル低く、しょうもない話のほうがハードル高い。だから、しょうもない話ができる相手は貴重。私はnoteで、そんな友人たちと出会えた。

確かに、しょうもない話が出来る人ってすごく貴重な気がする。心の中ですごく尊敬して、憧れて、ようやくお話しするチャンスが巡ってきたとき、本当に聞きたかったこととは別に、たいそうしょうもない話でかなり盛り上がってすごく仲良くなれた人だっている。

しょうもない話がお互いに出来る間柄って、すごく貴重だと思うし、そういう人に出会えたらとっても仲良くなれる気がする。それがnoteがきっかけになるのなら、noteを続けて良かったなって思えるひとつの理由になるのかもしれない。

わたしは普段からしょうもない日記ばかり書いているから、しょもない話をするのはとても得意なのだけど、それを同じレベル感で聞いてもらえるかどうかって、やっぱり聞き手によって変わってくると思う。だから、同じような感じでしょうもない話、くだらない話をできる人に、わたしも出会えたらいいなって思う。


【カジサックのyoutubeから長男育児を考える】/みくりや佐代子 さん

「優しい」という言葉は危うい。人を絶望の淵に立たせる、呪いのように感じることがある。

「優しい」って、人によって受け取り方や感じ方、そして使い方が全然ちがう。わたしが思う「優しい」とあなたが思う「優しい」って、たぶんきっとちがうはず。

昔は、上辺だけの優しさを、本当の優しさだと勘違いしていることがあった。例えば、一緒にご飯を食べているときの最後のひとつをくれるとか、何か行動を起こすときにわたしを先に優先してくれるとか。そういう、目に見えた「利益」をわたしにくれる人のことを「優しい人」だと思っていたし、わたし自身もそれをしないといけないと思っていた。昔、というか小学生の頃。

でも、優しさってそうじゃないなと気づいたのは、小学校6年生の時。
当時の担任の先生は、とても厳しくて、怖い先生だった。でも、いつも本質的なことを教えてくれる、とても良い先生だった。「優しさ」の本当の意味を直接教えてもらったわけではない。だけど、あの小6の1年間で、わたしはそれを感じ取った気がする。

「優しさ」の意味を、わたしは未だにうまく言語化することができない。でも、損得の感情とか、利益がどうのとか、そういうのを超えたものがあるような気がしている。

「人間的に優しい人になりたい」と、小6の頃に思ったことを、わたしは今でも思い続けている。


人間以外の生命体/ぽんず さん

植物を育てたこともペットを飼ったこともなかったけど、人間でない生物が同じ空間にいるというのはこんなにも心休まるものなのかと素直に驚いている。

このぽんずちゃんとnoteを読んで、なんだかものすごくわたしも植物と一緒に暮らしたくなってしまった。お家時間が長い今だからこそ、住環境を整える大切さを身に染みて感じている今日この頃。在宅勤務が続いて、1日中部屋の中にいるからこそ、見える景色だったり、環境だったりが自分のテンションがあがるものなのかどうかっていうのは、結構重要だなと思ったりもして。

今までの人生において、一度たりとも植物に興味をもったことがなかった

わたしもそう。今まで特に植物に興味なんて無かった。いや、昔から自ら手を挙げて園芸委員になったりしていたから、興味はあったのかもしれない。だけど、お家で育てる家庭菜園や、夏休みに学校から持って帰って来たミニトマトの植木鉢だったりをベランダで育てていても、わたしはうまく育てられた試しがなかった。貧相なトマトがひとつかふたつ出来ただけで、思い描いているような赤々としたトマトがたくさん出来たことは、一度としてなかった。もらってきた綿の苗も枯れてしまったし、種から育てようとしたオクラだって、ひょろひょろとした芽が出てちょっと伸びて、肝心なオクラはならずに枯れてしまった。

だから、興味がないというか、向いていないなと。植物を育てることに全然向いていないのかもしれないな、と。ずっとそう思っていた。

だけど、このnoteを読んで、なんだか今なら出来るかもしれないと思った。当たり前の生活の大切さを感じて、1日1日を丁寧に暮らそうとしている今のわたしなら、植物と一緒に暮らしてもうまくやっていけるんじゃないかと。

お部屋のインテリアの一部として、毎日の生活の一部として、植物と共に暮らすという、新たな選択肢がわたしの中に加わった気がした。



ただ読んで終わりじゃなくて、こうして感想を書いてみるだけで、なんだかすごく「読んだ!」って気持ちになる。それに、誰かのnoteから考えさせられることってたくさんあると思っていて。

読んで終わり、書いて終わりじゃなくて、そこから先に一歩進めるだけでちょっと見える世界は変わっていたりするよね。

定期的にまたこうした感想noteは書いていきたいな。


ちなみに前回書いたのはこちら。


今日もおつかれさまでした。



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