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自分を驚かせるために、

私は岡山県に住んでいる。
田舎は狭い。
どれくらい狭いかというと県内であれば少し話すだけで共通の知り合いが見つかってしまうくらい狭い。


地元でバーを始めた。
お好み焼きも唐揚げも揚げなすも出てくるから居酒屋かもしれないけど,バーを始めた。

「地元の人を知らないから知りたくて」

そう言って始めてみたバーにはこの1ヶ月でいろんな人が来てくれた。
カウンターでどうでもいい話を重ねているはずなかで,地元の政治事情やイノシシの問題,労働環境や企業城下町として抱える問題,まちのおじちゃん同士の揉め事,おじちゃんが抱える夢などいろんなことを教えてもらった。
私にとって「曖昧にしか捉えてなかったけど自分なりの想い出が詰まった大好きな町」が,より詳細な描写を持って近づいてきている気がした。


友達と話した時、その友達が新しく参加し始めたコミュニティの話を聞いた。
(そのコミュニティはまちの中で挑戦したい団体や人を応援する団体なんだけど)その団体が新しく画策している他の団体を巻き込んだ挑戦に出てくる登場人物が今まで関わったことがある人ばかりだったり縁がある団体ばかりで、知り合いの中で話を進めている感じがする、と。

地方にいると,プレイヤーは(分母が少ない分)少なくて,『何か』をする「プレイヤーやコミュニティ」は自ずと被ってくる。当然だ。

当然なんだけど,,

最近,岡山に飽きている感覚がある。
挑戦できていないから,新しいことを始めたり深く関われていないから。いろんな自分の落ち度もあるが,同時に驚かなくなっているとも思う。想像を超えて来なくなってきた。
知っている人たちと,これまでしてきたフォーマットで何かを始めたり取り組んだりしているのだから当然だ。
ただ,驚けないだけでこんなにもマンネリとしてしまっていると感じるのだとゆっくり実感している。


場に入り込んで,よりクリアに町やコミュニティが見えていくと、そこでのその後を想像して,小さな絶望を感じる。
でも想像できるからこそ、その想像をもっと面白く変える努力が小さなコミュニティでは要るのかと思う。
町もそう。

この小さなまちが私の手の中で、曖昧な愛するものから未来に繋げていく形あるものに変わっていく動きを感じている。

自分を驚かせるために、ここにしがみついて驚ける面白い未来へ努力するのか。
自分を驚かせるために、面白そうなものがある場所に自分を連れていくのか。

そんな思いが日々少しずつ頭に滲んでいる。


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