見出し画像

キリング・ミー・ソフトリー【小説】68_虹の下でモッシュしよう


日が沈みアウェーな空気と懸命に闘ったバンドを讃え、残すところは確実にあと1つ。
築き上げた道は数知れず、語り継ぎ及ぶ桁外れの影響力、〈伝説〉と化した存在。


「楽しみ過ぎてムリ。どうしよう、ホントに大好きで仕方なくて、これの為に生きてきたから。」
ハイテンションの莉里さんが早口で捲し立てるが、このまま時間が経ち愛を告白しないで普段と同じく別れを惜しむのは嫌だと考えていた。


こんなにも場内に人が溢れ、莉里さん並みのインパクトを放つ美女でなくとも異性はよりどりみどり。何故、彼女でなければならないのか。
事あるごとにふと脳裏を掠めて、嬉しけれど、辛かろうが、たった1人だけ想う。


話している際、無意識のうちに下ろす手が触れる。小さな勇気を振り絞り、散々暴れ狂って傷・痣だらけとなった細い腕を掴んでも
「ん?なあに、疲れちゃった?」
顔を覗き込まれるのみだった。
甘ったるいムードとやらは微塵も生まれなかったので、慌てて適当な言葉を紡ぐ。


「莉里さん。怪我ヤバい、痛そう。」
「えー?慣れっこだよ。頭から落っこちるのもざらにあるし自己責任。」
すらすら返されて、こちらとしては好きな女を守りたいが必要なく寧ろ邪魔と悟る。
ライブはおろか日常生活でも助太刀は無用と追いやられる図が見えた。


そんな葛藤もライブが始まり最初のイントロを耳にした衝撃で消え去ってそこへ一気に人が雪崩れ込み、未だかつてない速さでダイバーが捌ける。莉里さんのように誰もが今日この時を待ち焦がれたのだろう、自分もなんだかんだ言って同類であった。こんなにも楽しいのに、否、楽しいからこそ泣きじゃくる者も大勢いた。


音源や映像上で辿った彼らが壁を乗り越えて実在する、バンドとは即ち奇跡の結晶なのだ。到底ダイブなど出来ず、全身全霊で感動に打ちひしがれる。純粋なギター少年に戻り、行方不明の彼女は最早どうだって良かった。


きっと一生忘れ得ぬ見事な光景がこびりつく。
老若男女肩を組み音楽に合わせて踊る。あちこち無数の大きな輪が出来ていて、皆それぞれ歌っており、笑顔を浮かべた。
サークルモッシュなんてありふれたもの、今やどこのライブやフェスでも巻き起こる。



だが、これ程までに年齢、性別、恐らく住む場所、思想等々、何もかも異なる幅広い観客が同じ音を浴び幸せそうに回っているのは初めての体験。横は父に似たおじさんで、向かい側で赤いTシャツを着た好きな人を見つけた。


ここから先、どんなことがあれど、あのとても平和な空間を思い返して描く記憶で、永遠に立ち上がり生きていける。
姿なき不思議な能力を与えられ胸に宿す。
それを莉里さんと分かち合えて本当に喜ばしい限り。



この記事が参加している募集

#スキしてみて

523,364件