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才人達の盛大な競演――恩田陸『蜜蜂と遠雷』


 個性豊かな才人達の、音楽のぶつかり合い――。
 色彩鮮やかな「音楽の物語」を描き出すこの小説は、〈シンプルに読むことが楽しい〉ものであると言えるでしょう。

最初に


 恩田陸さんと聞くと、まず私がイメージするのは『夜のピクニック』の作者である、ということでした。
 青春小説の金字塔であり、中高の読書感想文における推薦図書の常連と化している、あの作品です。あの小説の楽しいところは登場人物たちの繊細で微妙な心理とその変化を鮮やかに描き出すところであり、その例に漏れずこの物語も心理描写に重みと魅力のあるものでありました。


あらすじと登場人物


 「芳ヶ江国際ピアノコンクール」
 国際ピアノコンクールは数多あれど、近年評価が目覚ましいとされるこの大会を舞台に繰り広げられる、未来あるピアニスト達による物語――。
 それがこの『蜜蜂と遠雷』です。

 惜しまれつつも世を去った世界的ピアニスト〈ユウジ・フォン・ホフマン〉に師事する、人々に熱狂をもたらす無形の音楽を持つ少年、風間 塵。
 ピアノを「持たず」、年中養蜂家の父と蜂を追って移動し、行く先々で音楽を奏でる彼は、〈天籟を聴く〉天性の才を持っていました。

てんらい【天籟】〔荘子 斉物論〕
① 自然の音。風の音など。
② 詩歌などの絶妙なこと。
――「大辞林 第三版」より

 作中で直接出てきた単語ではないですし、あまり目にしない単語でしょうから引用して説明しておきます。
 私はこの〈天籟〉が、『蜜蜂と遠雷』においてはひとつのキーワードになると思っています。

 さて、この物語はそんな正規の音楽教育を受けていない少年、風間塵が芳ヶ江コンクールのオーディションに出場したところから始まります。

 圧倒的で衝撃的な、しかし冒涜的でもある演奏で観客を熱狂させ――しかし困惑もさせた彼は、審査員たちに一抹の不安を抱かせたまま芳ヶ江コンクールへの出場を決めました。

 そこで出会ったのが三人の演奏者たち。

 かつては国内外問わず多くのジュニアコンクールで観客と審査員を魅了し、しかし7年前に自身の音楽の原動力であった母の死を切っ掛けに舞台を去った「復活の天才少女」、栄伝 亜夜

 完璧な技術と感性、そして極めて高いスター性を持つ、名門ジュリアード音楽院在籍中のペルーの日系三世の青年、マサル・C・レヴィ=アナトール

 音大出身ながら楽器店に勤務し、己の才能の限界を悟りつつも妻と子の応援を背にしあえて「生活者の音楽」でコンクールに挑む男性、高島明石

 彼らは4人がコンクールで出会う時、物語は大きく動き出します。

 

 審査員の胸に去来するは、風間塵に付けられたホフマンの推薦状に書かれていた「君たちに「カザマ ジン」という『ギフト』をお贈りする」というメッセージ。

 ピアノから長く離れてもなお尽きぬ音楽性がために、このコンクールに己の復活を賭ける亜夜。

 正統性と約束された将来の裏に「新たなクラシックの創造」という並々ならぬ野望を持つマサル。

 「才能を活かすには人生の全てを捧げなくてはならない」という音楽界への疑念、挑戦を叩きつけようとする明石。

 〈ホフマンに託された〉「閉じ込められた音楽を広い外に連れ出す」という命題を叶えようとする塵。


 彼らは互いに刺激し合い、葛藤し、進化してく――。

 ――これは予選から本戦までの一つのコンクールの様子を全て使って描く、ピアニストたちの孤独と競争と友愛、その果てに拓かれる新たな音楽の地平と人生の物語です。


魅力


 なんといっても卓越した精密な心理描写、そしてそれに厚みをつける「音楽の色彩や物語性」を語るところでしょう。

 繰り返し積み重ねられる登場人物たちの心。それに絡めるように紡がれ展開される曲目と演奏の描写。
 その最たるものは第三予選だったのではないでしょうか。


 また、大前提として覚えてほしいのが音楽とは美しいものでありながらも「悍ましい」業(ごう)を内包しているものだ、という了解です。
 まさにエントリーでの高島明石の視点の部分で触れられていましたが、「音楽のみに生きる者が尊い」ひいては――「それくらいに人生を捧げなくては素晴らしい音楽はできない」という認識のことです。

 これは酷く傲慢でもあり、また音楽の孤独さ、非世俗感に繋がる「美しも醜い」宿業であるのです。

 これを踏まえて見ると、同じくエントリーでの栄伝亜夜の回想にある

「やっぱり、演奏することで乗り越えるしかないんだね」

 という、彼女が最後の舞台に上る前に向けられたこの発言は、周囲の大人の無意識ゆえの恐ろしさと、悍ましさが強調されます。

 己の全てを一つの物事に捧げる――


 それは美しくもありますが、怖いこと、なにより、それを当然とする集団意識が出来ることは非常に恐ろしく、醜いとも言えることなのです。

 だからこそ、それに挑んだ高島明石は勇敢で、かつてそれを忌避した栄伝亜夜は正常なのです。

 それを対比し、しかし昇華させ収束させるこの物語は、大きな意味があるのだと思います。

 

感想


 よく「文字から音楽が聞こえるようだった」という感想を持たれるこの小説ですが、個人的には「音楽を物語と文章表現に変換するとこうなるんだろうな」という感想を懐きました。故に「映像化不可能」と言われたのではないかなと……。
 小説だからこそ、色彩と物語性を想起させる表現を自在に出来る。
 文章だからこそ、知っている知識だけで、つまり専門性の壁を隔てずに、音楽を楽しみ、味わうことが出来る。難しいと思わせずに音楽の世界に触れさせることが出来る。

 そう言う面で、とても素敵なお話だったなと思います。


最後に


 「未来ある」ピアニストたちの紡ぐこの物語は非常に長くはありますが、楽しく美しい、期待と感嘆の感情を織り込めせて長さを感じさせないものとなっています。

 「人々の紡ぐ、鮮やかな音楽の物語」

 そういうものです。ぜひ読んでみて下さい。
 また、この秋に映画化もされますので、そちらもご興味あれば。


 ……本当に最後に、ですが笑
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 ここまでお付き合い頂き、ありがとうございました。

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