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タイムリミットクラッシャー

時間に縛られないで生きることはできない。
朝目覚ましが鳴り、夜眠りに着くまで、
我々はあらゆるタイムリミットと闘いながら生きている。

「1日は24時間ね」とある人がその原則を決めてから、
一体どれだけの人々が時間という主人の奴隷になってきただろうか。
逆に言えばこれだけ人間がバカ正直に従う原則は今まであっただろうか。

原則は守られるべきであるという性質を持つ傍ら、
破られるべきという性質も持っている。
あたりまえを疑うことがイノベーションの種である。
あたりまえを違った角度から見ることで、
新しいあたりまえがみえてくる。
そのあたりまえは再度別の角度から見直され、
3代目あたりまえに姿を変えていく。

原則というものはそうやって進化を遂げてきたものではないだろうか。
良い進化を遂げたものも悪い進化を遂げたものもある。
紆余曲折あるとはいえ、
原則を進化させより豊かに生きることが人類の命題でもあるとさえ思える。

時間はなぜ進化しないか。
別に変えても何も変わらないからである。
1日を25時間に変える。
最初は混乱するかもしれないが、浸透してしまえばいつも通りだろう。

問題は24時間という決まりを受け入れる人間自身なのである。
原則として受け入れるまでは良いが、
それをどのように使っていくかについてはそれぞれの考えを持っておくべきだ。

タイムリミットはアウトプットの量と質に関係する。
時間があれば質の良いものができるか?
そうは思わない。

アウトプットするその物の性質を見極めなくてはいけない。
限られた時間の中で、妥協なき作品を仕上げなくてはいけない。
何かを磨く仕事をしているとする。
時間をたっぷりとかけて磨き続ける。
徐々に削れたその物体は最後にはその姿がなくなってしまう。
これは求められているアウトプットだろうか?
見極めなくてはいけない。

ゴールを明確にイメージして、
それに向かい自分がどれだけの時間をかけるべきかを設定することで、
質量のバランスが取れるタイムリミットを設定できるようになる。

自分のドS的な面とドM的な側面を両方発揮しながら、
既存のタイムリミットをクラッシュして、
適性に応じた新しいタイムリミットを設けよう。

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