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ゼミ日記③ 読書会「センス・オブ・ワンダー」

こんばんは!AWAYインターン生のリンカです!
今回は11月の読書会の様子をお届けしたいと思います!🫡
11月は参加メンバーの希望により、レイチェル・カーソンの「センス・オブ・ワンダー」を読みました。
過去に「The Sense of Wonder」をテーマに、趣味で動画を作製したこともありましたが実際に本を読んだことはありませんでした。。
今回はどのように議論を進めていったのか、メンバーや私の意見と共に紹介していきます!

(※ https://www.amazon.co.jp/センス・オブ・ワンダー-レイチェル・L-カーソン/dp/4105197029)


センスオブワンダーとは
化学薬品による環境汚染にいち早く警鐘を鳴らした本として、いまも多くの人々に読み継がれている「沈黙の春」を執筆したレイチェル・カーソンの遺作。彼女の友人たちによって出版されました。すべての子どもが生まれながらに持っている「センス・オブ・ワンダー」=「神秘さや不思議さに目を見はる感性」を、いつまでも失わないでほしいという願いや意志が、海辺、森、植物などの写真とともに綴られている。

今回の読書会の切り口、アイスブレイク
「自然から受ける刺激とスマホから受ける刺激、今の自分にとってどっちがいいかまで議論できたら面白いね。」

「これ読んで感情揺さぶられなかったら、疲弊し切っているかも(笑)」「やばいやばい(笑)」


「定期的に読んだらいい本、リトマス紙的に自分の意識がどうであるかによって内容の入り方が変わる本なんじゃないかな。」

「自分を使って実験するのが好きだから、本読んだ後自然に触れてみた(笑)」「なにそれ、おもしろ(笑)」



ブレイクアウトルームに分かれてのディスカッション: 昔の自然と今考える自然ってどう違う?「昔の自然と今考える自然ってどう違う?」

・昔は共存感覚にいたけど、今は鑑賞の対象になっているから距離が遠くなった気がする。その距離が遠くなるほど、この本の内容が入って来なくなるんじゃないかな。

・視点がミクロからマクロになった。身長と知識のせい?

・大人になってからの方が自然に対し、感動する、高揚感を持つようになった。

・昔はきれいな御花畑に行くこととかどうでも良かったけど、今は多くの人が楽しむために行ってるよね。

・昔は都会に行くのが非日常だったけど、今は自然に帰るのが非日常。

・人工物の被害を目の当たりにしたときに、自然に帰りたいと思う。

境遇や触れてきたものは違うけど、みんなの意見を聞いているとなんとなく納得、共感できた。自然物があえて目にしたいものに昇華され、見たいものが洗練されてきたとも言えるし、社会的要因がぐいっと自分の中に入り込み過ぎたとも言える気がする。視点がミクロからマクロになった感覚は私にもあって、物理的に身長のせいだと考えるのは興味深かった。全部全部感情の話だと思い込んでいたから、成長と共に見る視点も変わっているのかもしれない。のぶよしさん(AWAYCOLLEGE CTO)と出会った頃話していただいた将来の夢の話と通ずるところがある。小さい時はケーキ屋さん、お花屋さんになりたかったけど、大きくなるにつれて見える世界の範囲が広がって違う夢を抱くようになる話。




ここからメインルームに戻ってみんなで議論を進めて行きます。


<大人になるということ>
獲得するプロセスより喪失の物語。出産する、パートナーを作るという過程の中で、何かを防御しようとする。しかし、子供に残されているのは遊ぶことへの冒険心や好奇心。次第に人工物に魅せられることが増えると、子供が終わって大人になる。

焚き火の前で議論したら変わりそう、今人工物の目の前だしね。


<最近の子供ませてるけど?>
「成熟するまでの期間が短くなってるんじゃない?人間のやるべきことが決まってきてるというか、それが子供に作用しまくってる気が...」

「日本だけなのかな。ネット社会が自由を狭めているのか広げているのか。」

「合理的なことを求められ過ぎてる。論理的な人間は魚に近づいてるんじゃない?魚は餌を取ることだけを教えられてるけど、人間は合理的に生きることを押し付けられてるのでは。道を決められてる感。」

「デジタルデトックス必要ね」

周りの現状に対する危機感を覚えながら、私は同時に無理やり足を動かさないとこの感覚に触れられないような今日であることを思い出した。大人になるにつれて、どこに住むか、どういう環境で生活するか選べるようになるかもしれないけど、結局ないものねだりをしているようにも思う。実家が田舎にあるから都会に出たいと思うが、帰り道に見える星空から離れたくないとも思う。当たり前の状況がどこにあるかによって、センスオブワンダーを感じる対象が変わるのかもしれない。きっと今東京駅の光を見たら似たような感覚を覚える気がする。


番外編
冒頭で述べた動画の中に挿入した言葉をここに書き起こします!

「The Sense of Wonder」
私は今日、不確実性や時間の経過、彼女と過ごす今の大切さに脅かされていた。多くの人が「変わらない毎日だ」と口を揃えて言う、私もその一人だった。日常はアップデートされて同じ日などないのに。そんな環境から抜け出すために自ら飛び込んだ挑戦の場、得られるものばかりに目を向け、勝手ながら子供になることを忘れていた。砂がかかるスマートフォンを見て星空みたいと笑ったり、秋の始まりを海風がふれる肌寒さで感じたりする、そんな心の余白が必要だった。
淡い山陰に沈むひとつの光を見ると目頭が熱くなる。不思議にもマジックアワーが数十分しかないように、この時間帯は目に映るものが刻一刻と変わっていく、先が見えない静かな時間でも、孤独で戦い続ける忍耐の時でも、訪れる小さな変化は無数にある。進むものはそれに気づかないかもしれないけど、何もしなくても過ぎる毎日の裏側に、自ら動かないと変わらない未来があると知っている。この日のセンス・オブ・ワンダーは忙殺とした日々を忘れさせてくれたと共に、見えなくなっていた世界の愛おしさに気づかせてくれた。

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