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ダレイオス1世の遺産

皆様こんにちは。
本田拓郎(Takuro Honda)と申します。
この記事へお越しくださいまして、ありがとうございます。

 このnoteでは、今現在観光業に就いている私が、私の目線で、「観光・旅行・歴史・文化・教育」について、知識や新たな発見の提供、その他自論を展開し、古代ギリシャでいう「アゴラ」のような場所を目指します。私が勉強していることを皆様とも一緒に学ぶというスタイルで、記事を創っていきます。

 「アケメネス朝ペルシア」という国家が勢力を持っていた時代があったことを覚えているでしょうか。その最盛期を築いたのが、3代皇帝のダレイオス1世。本日は、彼が現代に遺した世界遺産を学びながら、オリエント世界へタイムスリップしましょう。

拙い文章力と乏しい考察力ではありますが、
最後までお付き合い、お願いいたします。

1. スサ

 高校カリキュラムで初めて世界史を学んだとき、「スサ」という地名は、2文字だし、サ行だし、めっちゃ覚えやすい名前だなぁと思いませんでしたか?

 まぁそんなことは良いとして、スサは、紀元前6世紀にダレイオス1世によってアケメネス朝ペルシアの都に遷都された都市です。余談ですが、元々都だったパサルガエダという街が、アケメネス朝最初の都だったので、スサは2番目の都というわけです。

 さらに余談ですが、このスサは、アケメネス朝以前から繁栄していた街でした。エラム王国の首都として機能し、古代オリエント世界の礎を築きました。

 ダレイオス1世は、このスサからアナトリア半島のサルディスまで、「王の道」を整備します。目的は、版図拡大に伴う迅速な交通と通信を可能にさせるため、つまり、広大な国土を隅から隅まで統治するために整備しました。アケメネス朝に長く繁栄をもたらしたのも、「王の道」が整備されたからと言っても良いでしょう。

 アケメネス朝滅亡後も、パルティアなど、小アジア世界を支配した国家にとって重要な都市の1つとして13世紀頃まで長く繁栄し続けました。

 そのためこの街は、紀元前5世紀頃から13世紀までの都市遺構が、層を成して遺っているため、様々な時代の建築物や住居跡、宮殿などが発掘され、2015年に世界文化遺産に登録されました。

2. ビーソトゥーン

 次に紹介するビーソトゥーンは、ほとんど名前を聴いたことがないでしょう。私も世界遺産の勉強をして初めて目にした地名でした。しかし、この地は、小アジア世界の歴史を学ぶ上で、大変重要な場所です。

 この地には、紀元前521年に、ダレイオス1世が、アケメネス朝ペルシアの王位に就いたことをを記念した碑文とレリーフが残っています。

 ここに残されている碑文は、楔形文字で記されています。内容としては、ダレイオス1世が施した、帝国内の政策、帝国運営の詳細と、歴史的事件についてが記録されています。

 また、レリーフについては、この地域において、不当に王位を奪い支配していた、メディア王国の神官ガウマタを、ダレイオス1世が踏みつけている姿が描かれており、いかに、アケメネス朝において、彼が優れた王であったかを示すものになっています。

 このビーソトゥーンは、アケメネス朝ペルシア、メディア王国だけでなく、ササン朝ペルシア、イル・ハン国の統治下にあったこともあり、多くの国家支配における豊かな文化が残る場所として、2006年に世界文化遺産に登録されました。

3. ペルセポリス

 最後に紹介するペルセポリスは、アケメネス朝ペルシアの繁栄ぶりと世界に示す宗教都市です。信仰していたゾロアスター教のレリーフが玉座殿に見られます。

 先ほど紹介した、スサへの遷都とほぼ同時期に建設が始まった都市で、全ての建物が完成するまで、およそ60年を要しました。この工事にも、王の道が利用され、地中海沿岸のレバノン杉や、アナトリア半島やバクトリアの黄金などが運ばれ、都市建設に利用されています。まさに、ダレイオス1世が自ら造ったとも言える都市です。

 最も重要な建物の1つが、「アバタナ」と呼ばれる謁見の間です。国内各地からこの街にやって来た朝貢使節が、王に貢物を捧げる場所でした。ペルセポリスに残る最大の宮殿で、階段の壁には、朝貢の様子がレリーフとして細かく描かれており、アケメネス朝の圧倒的な権力を示す重要な史料となっています。

 また、それ以外にも残っている、王宮や放物庫などの建築群は全て四角形であることも見逃せません。これは、直角をモティーフとしていた、ペルシア建築特徴であり、今に生きるペルシア世界の建築や文化の祖と考えられています。

 紀元前330年に、マケドニアのアレクサンドロス大王によって滅ぼされますが、ダレイオス1世がペルセポリスに遺した文化的価値、現代との繋がり、高度な建築技術が評価され、1979年に世界文化遺産に登録されました。

4. 古代においては超先進国

 この地域の科学技術や建築技術は、当時世界の最先端を行くものでした。それを積極的に起用し、都市計画に施したダレイオス1世は、この地球で生きている人類のパイオニアの1人とも言えるでしょう。

 また、多くの国が乱立し、争いが絶えなかった時代に王位に就き、国をまとめ上げ、独自の政策と運営で、国を大きくし、繁栄をもたらした、「王」として、「リーダー」としての手腕も、現代を生きる私たちが学ぶべきことだとも思います。

 世界史の中には、多くの王が登場しますが、今回紹介したダレイオス1世が、世界史で学ばれる理由は、そこにあるのではないでしょうか。

 いつか、イランに行って、ダレイオス1世の遺産を拝んでみたいですね。でも、イランに行っちゃうとアメリカ渡航用のESTAが取れなくなっちゃうので、悩ましいところですが、「歴史を追求する者」としては、アメリカよりもイランの方が魅力的に見えてしまいます。

今回も最後まで読んでくださいまして、誠にありがとうございます。
また次回お会いしましょう。

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