音楽先進国の変遷~スウェーデンの現代ミュージック史~
皆様こんにちは。
本田拓郎(Takuro Honda)と申します。
この記事へお越しくださいまして、ありがとうございます。
このnoteでは、今現在観光業に就いている私が、私の目線で、「観光・旅行・歴史・文化・教育」について、知識や新たな発見の提供、その他自論を展開し、「勉強になった!」や、「こんな考え方もできるなぁ」という、古代ギリシャでいう「アゴラ」のような場所を目指します。私が勉強していることを皆様とも一緒に学ぶというスタイルで、記事を創っていきます。
さて、皆さんは日ごろから音楽をよく聞くと思います。私は父の影響を強く受けて、洋楽ばかり聞いています。The Beatlesも、Michael Jacksonも、Lady Gagaも、The Chainsmokersも、ジャンルや年代も問わず。
たしか私が高校生のころ、「スウェーデン出身のアーティスト、意外と多いな」って感じたんですね。今回は、「スウェーデン」にフォーカスし、現代音楽の先駆者たちを紹介しながら、歴史をたどっていこうと思います。
拙い文章力と乏しい考察力ではありますが、
最後までお付き合い、お願いいたします。
1.ABBA
スウェーデンは意外と文化的な面では先進国と言えますし、世界への影響力も非常に大きいです。家具メーカーのIKEAや、自動車メーカーのVOLVOはスウェーデンの企業であることは有名ですね。
それは現代音楽においても同じことが言えるのではないでしょうか。
スウェーデン出身のアーティストとして、最も名声を上げ、かつ、ミュージックシーンの先駆者となったのは、間違いなく"ABBA"でしょう。
1972年に活動を始めた男女4人組のポップグループは、活動期間10年という短い期間でも世界のTOPアーティストとして君臨し続けました。では、なぜ彼らは世界で受け入れられ、全く文化圏の異なる日本でも旋風を巻き起こしたのでしょうか。
まず、ABBAの曲を聴いたことがある方なら誰しも、歌詞の内容がわからなくても、聴き心地の良さを感じると思います。それは、激しく主張しないギターサウンドとベースライン、キャッチーなシンセサイザーのメロディー、そして2ヴォーカルのハーモニー全ての調和が取れているからだと思います。
重厚感でいうと間違いなく軽めの音楽を世に送り出してきました。当時のミュージックシーンでもこのような音楽を作るのは彼らだけなのではないでしょうか。アップテンポの曲でも、メロウな曲でも、時代の最先端を走り続けていました。
1976年のスウェーデン国王と王妃の結婚式前夜パーティーで”Dancing Queen”を披露したエピソードはあまりにも有名ですよね。スウェーデンという国のアイコンとして、世界的な価値を持っていたことを証明する証拠となる歴史でしょう。
日本では、ABBA結成前に男性メンバー2名(Björn Ulvaeus、Benny Andersson)がリリースした、”She's My Kind of Girl”がヒットしました。当時のJ-POPカルチャーは洋楽の要素を取り入れ、洋楽を日本語カヴァーする風潮がありました。その中で彼らのキャッチ―な曲が日本で受け入れられ、ABBAヒットの足がかりとなりました。
現代では、ミュージカル『マンマ・ミーア』が日本で絶大な人気を誇り、ABBAの評価が再び高まりました。また、OASISやLed Zeppelinといった世界的アーティストからも支持を得てたようです。
私は、元気をくれるアップテンポな"Dancing Queen"や"Waterloo"よりも、クールな"Gimme! Gimme! Gimme!"が好きですね。曲もですけど、レコーディング風景のPVが好きなんです笑
2.The Cardigans
時は流れ1995年、スウェーデン発のバンドが再び日本を席捲します。彼らの名は、"The Cardigans"です。
今の20代より若い世代の方々はあんまり聞いたことがないバンドではないでしょうか。まぁ私もその世代ですけどね笑
彼らは1992年に結成し、その3年後にヒットを飛ばします。イギリスでもヒットしたのですが、最も彼らの音楽を評価していた国が日本でした。
1990年前後の日本では、タワーレコードやHMVといった外資系CDショップが多く持ち込まれました。その中で、際立って日本のミュージックカルチャーに大きな影響を与えたのがHMV渋谷店でした。若者が集う渋谷に、今までの日本に無かったサウンドのCDを販売したことで、日本の若年層のハートをガッチリキャッチしたのです。
そこで花開いた風潮が、「渋谷系」です。ピチカート・ファイブやフリッパーズ・ギターといった、世界の音楽に精通したアーティストが手掛ける音楽が支持されるようになりました。
「渋谷系」の共通項として挙げられるのが、「脱力感のあるヴォーカル」です。The CardigansのヴォーカルNina Perssonは「脱力感の権化」と言っても良いほど、柔らかく優しく語り掛けるようなヴォーカルで、当時の洋楽アーティストの中では最も評価を高めた人物でしょう。
The Cardigansの代表曲”Carnival”は「渋谷系」の代表とされ、収録されたアルバムは日本でものすごい売り上げを記録しました。彼らの日本での飛躍はこの一瞬のみとされ、「一発屋」というレッテルを貼られることも多いですが、間違いなく日本のミュージックカルチャーへの貢献は大きかったと言えるのではないでしょうか。
3.Avicii
私が高校2年生の時、Calvin Harris feat. Rihannaの"We Found Love"を聴いて、全身が痺れたような感覚になったことは今でも忘れません。この瞬間、私の音楽観の中にEDMという新たなジャンルが生まれ、それ以来EDMへの探求心が続いています。今でも。
そして大学1年生の時、それくらいの衝撃を与えてくれたアーティストがもう1人現れたのでした。それが”Avicii”でした。
彼がこの年にリリースした”Wake Me Up”は、私だけでなく、世界中が震撼した1曲でした。今までのEDMは鋭い機械音、重くて低いベースといった聴覚神経を越えて、脳に響いて前身に音楽を伝えるような楽曲がメインでしたが、この曲はどこか違いました。
もちろん機械音、ベースの存在感はあるものの、それらを邪魔しないクラシカルであり、カントリー調で、アコースティック、PVと同様に壮大なイメージを湧かせてくれるこの曲に、一瞬で虜になりました。
AviciiがリリースするEDMは、やはり他のアーティストとは一線を画し、今までにないスタイルのEDMだったと感じます。重厚感はあるものの、どこか聴き心地が良い曲たちに惚れていました。私のEDMの趣向が、ヘヴィーよりもライトなそれを好むようになったきっかけを作ってくれたのがAviciiでした。
社会人2年目の時、伊丹空港へ向かうバスの中で思わず「え」と声を出したことを覚えています。Aviciiの死を伝えるニュースでした。
身内が亡くなったような感覚に陥りました。私の感性に大きな影響を与えてくれた彼の死は、今になっても信じることができません。死後にリリースされた"Heaven"が、ヴォーカルにColdplayのChris Martinを迎え、Aviciiの心情を代弁するかのような美しい歌声が印象的で、涙が頬をつたいました。
どれだけ彼が、EDM界の先頭に立ち、現代音楽のパイオニアになっていたか。もし彼が存命で、どこかで音楽を作り続けているならば、この世界はどうなっていたのか。彼の世界への貢献度は計り知れないものです。
4.紡がれる彼らの系譜
今のミュージックシーンはアメリカのhip-hopやラップといった、カウンターカルチャー的な要素を持つ音楽が彩っていますが、そんな中でもスウェーデン出身アーティストたちは一定の評価を得ています。
ストックホルム出身のZara Larssonは、17歳の若さで"So Good"で大ヒットを飛ばし、2016年にはEURO2016のテーマソングであるDavid Guettaの"This One's For You"のヴォーカルに抜擢されました。
EDM界ではGalantisがリーダー的存在に成長を続けています。重厚感の全くないソフトでライトなサウンドと、一度耳にしたら離れない謎のヴォーカルでEDMを新たな境地へ導こうとしています。
日本でも「夜好性」の一角を担うヨルシカの『八月、某、月明かり』の歌詞には、スウェーデンの風景を描写したものもあります。いかにスウェーデンという国が文化的な影響力が強い国であるかという裏付けになるのではないでしょうか。
日本も世界目線で見ると文化的影響力が大きな国です。多分日本以外のどこかで、私みたいに、好きなことを調べていると「日本」という共通項にたどり着き、その歴史を突き詰めている人がいるんじゃないでしょうか。
皆さんも普段何気なく過ごしている間に、どこか文化的な共通項があるのかもしれません。1つ何か気になって知識を広げていくと、あらゆるものが見えてきます。私の場合はそれが音楽だったり、スポーツだったり。必ずどこかで交わる部分があると思うんです。そうすると、「学びって楽しいな」と感じるようになるのではないかなと思います。
今回も最後まで読んでくださいまして、誠にありがとうございます。
また次回お会いしましょう。
Ciao...
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