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リスになりたかった —紀行、2023夏②

(ひとつ前。)


自然の中を歩いて、突然、あぁここで死ぬのかなぁ、と思った。
誰もいない山の中腹でお昼ご飯を食べていたら、目の前の小川に、一匹の小さなリスが水を飲みに来た。
茂みの中に戻っていく小さな命に対して、私は心の中で、強く生きるんだよ、と語りかけていた。
自由に森林の中を駆け回っているであろうリスに、私は自分を重ねていた。
彼のようになりたい、と思った。
はっきりと、心細い、と思った。

結局そこから一番上まで登って、来た道を下り、バスで元の街に戻る頃には真っ暗だった。
目についたスーパーマーケットでその地のものっぽい食材を買って、部屋に帰って適当に調理して食べた。
生で食べられそうなものは切りもせずにそのまま齧った。
私はリスになりたかった。

心細かった。
知らない街で一人でいるのが、ひどく不気味なように感じた。


4日目。

今度は街のはずれにある、観光スポットを回った。
中心部からはちょっと電車を使わないといけないくらいの距離だった。
その地区のシンボルを、全て回りきらないといけないと思った。

焦りからか道を間違え、迷った。
いつもなら街の新しい場所に来られたことにワクワクするのに、ただ心細かった。
街を自由に駆け回る元気さえなくなっていた。
私はリスになれなかった。

ヘトヘトになりながら街の中心部に戻り、その晩もスーパーで買い物をして、適当に調理して食べた。
生で食べられそうなものも、今日こそ切るくらいしようかと思ったら、包丁で指を切った。
私は人間にもなりきれてないようだ。


5日目。

荷物をまとめて、鍵を返して、部屋を出た。
帰りの飛行機まで時間があったから、駅のロッカーに荷物を預けて、街の商店街に行った。
端から端まで、だだっ広い道のど真ん中を歩く。
両端はそれぞれの店を回る人たちで賑わっていたから。
もはや商店街に行くのも、シンボルスタンプラリーの一環で、ただの作業だった。

街から離れる時、電車に乗って次の駅のアナウンスが聞こえてきた時に初めて、あっ駅の写真取っておけば良かったな、と思った。
名残惜しさなんてこの程度なのか、と思った。

空港についてからも、空港の中を巡り歩いた。
特にこの地に思い入れがないから、いや、まだ思い入れがないからこそ、止まっていられなかった。

途中、口論をしている家族とすれ違った。
言い方のいやらしさとか、声の大きさとか、そういうのが自分の家族そのままで、あぁ、私は今からこんな環境に戻るのかと思った。
そう思った瞬間、全ての音が私をいらつかせた。
子供の騒ぐ声。スーツケースを引く音。旅行客の笑い声。空港内のアナウンス。
私は飛行機で寝るために持っていた耳栓をして、全てがぐちゃぐちゃになってしまうのを止めるかのように、歩みを早めた。
自分の乗る便まで2時間、ひたすら空港内を往復していた。

保安検査場の係員は私の様子を見るなり、自然に声のトーンを下げて対応してくれた。
発狂する寸前の私の世界に入り込んで寄り添ってくれたのは、そういう配慮だった。

飛行機に乗ってからはすぐに眠った。
名残惜しさなんてものは全く無かった。
もうこれ以上歩き回らなくていい、という安堵だけがそこにあった。

乱気流に呑まれた飛行機の揺れで起こされた私は、少しして、見慣れた地形の夜景を見た。
小学生の時、「わたしたちのまち」みたいな単元で飽きるほど見た地図のまんまの、夜景。
また今までの生活に戻らなければならないのかと思うと、その景色が憎かった。
どこかまた知らない、今度はもっとひっそりとした町——つまりは去年過ごした街のような場所に行くことで、失踪したい、と思った。

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