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ニルヴァーナのプロセスとテクニック(バンドの話じゃない、オウム真理教の話)

ニルヴァーナのプロセスとテクニックと聞いて何を思い浮かべたでしょうか? おおむね、カートコバーンがボーカル&ギターを担当していたスリーピースバンド、NIRVANAを思い浮かべたことでしょう。
しかしれこは書籍の話です。しかもヨガの実践本。いや、違います、バンドでも書籍でもありません。オウム真理教の話でした。オウム真理教のドクトリン(教義)の話でした。

ご存知かと思いますが、軽くオウム真理教についておさらいしておきましょう。
オウム真理教は、のちに麻原彰晃と名乗る松本智津夫という視覚障害を持った男が、様々な宗教本を読み、目覚め(比喩であって揶揄ではありません)、「オウム神仙の会」と謳うヨガサークルのようなものを始めたことがきっかけで誕生します。
折からのバブル景気。物質社会、金満社会、飽食社会の訪れとともに、精神世界に興味を傾ける若者たちが出現します。そしてオウム神仙の会に入ります。
会は次第に大きくなり、オウム真理教に名前を変更、宗教法人格の取得を目指しました。しかし認められません。そこで抗議という名の圧力をかけたり法に訴えたりして、いよいよ宗教法人格となります。
メディアで賛否両論を浴びながら、衆院選に出馬したりカレー屋やパソコン屋を経営したり、手広く商売をします。
あとはご存知の通り。
爆笑問題が『日本原論』で「人喰い急行(1995)地下鉄サリン事件」と言ったように、歴史の教科書に載るほどの事件を起こすまで様々なテロを行います。
横浜弁護士一家殺害事件、複数の VXガス事件、松本サリン事件……枚挙に暇がありません。

この恐ろしいテロ組織のドクトリンを作ったのは麻原彰晃こと松本智津夫、とお思いでしょう? 違うんです。ドクトリンを作り上げたのは石川公一という男です。
彼は、漫画『ドラゴン桜』において宇宙人扱いされるほどの頭脳を持った人しか入れない(ということになっている)東大理科三類在学中にオウム真理教に出会い、入信します。
この石川公一がオウム真理教のドクトリンを作るために参考にしたのが、ダンテス・タイジ著『ニルヴァーナのプロセスとテクニック』および中沢新一著『虹の階梯』です。
彼が作り上げたドクトリンはオウム真理教を蚕食してゆき、教団自体がドクトリンに飲み込まれ、ドクトリンに沿って悪徳無道を行い、ドクトリンを以てして自己正当化してゆくようになったのです。
前後して、オウム真理教は省庁制を導入。石川は法王官房(正確には補佐)に就きます。

そしてリムジン謀議。

これは麻原彰晃こと松本智津夫を中心とした、教団有力者らがリムジン内で「サリンを撒く」と決定した会議のことです。
リムジンには松本の他、村井秀夫、遠藤誠一、井上嘉浩、青山吉伸、そして石川が乗っていました。
村井は、徐裕行という在日コリアンの右翼(ヤクザ)に衆人環視の中で殺害されます。
青山は懲役12年の実刑判決を受けて今は自由の身。
松本、遠藤、井上は死刑判決を受けて2018年に執行。ちなみにこのときの法務大臣は現外務大臣上川陽子(2023年10月時点)。

話を戻しましょう。
『ニルヴァーナのプロセスとテクニック』は現在絶版となっていますが、少し前まで(たぶん今も)横浜市立図書館で借りることができました。私も読みましたがサッパリ分かりません。分からないというか頭に入りません。理由は明白。完全なるヨガの実践本であり、私はヨガに興味がないからです。これのどこをとらまえてドクトリンを作り上げるにいたったのだろう、と疑問に思っていたときでした。
東洋医学に明るい友人が私の部屋に来て『ニルヴァーナのプロセスとテクニック』をペラペラと一瞥したのです。座り方とか足の組み方とか、いろいろ図で示されていましたっけ。それを見て彼女は言いました。
「これは危険」
よく分かりませんが、とにかく危険なんですって。瞑想状態に入った人間って簡単に操ることができるんですって。たしかチャクラが何とかかんとか言っていた記憶が。

で、中沢新一の『虹の階梯』。
これはチベット密教について詳しく書かれた本なのですが、『ニルヴァーナのプロセスとテクニック』と合わせると危険だなと思います。精神からのアプローチと肉体からのアプローチ。ここに石川は着目したのでしょう。ぶっちゃけ私、『虹の階梯』も斜めに読んだだけですが……
中沢新一は教団に対して肯定的な発言をした宗教学者の1人です。肯定的発言をした著名人たちはことごとく叩かれました。一定期間、表舞台から消えた方もいらっしゃいます。島田裕巳氏が好例でしょう。
ちなみに否定的な発言をした人は殺されるか、殺されかけるかのどちらかです。たまったもんじゃありません。
島田氏は自省、自戒しました。中沢新一は違います。のらりくらりと逃げ、何の誹りも受けず、反省する態度すら見せないのです。これは私が言っているのではなく、評論家の宮崎哲弥氏が言ったことですので、文句は宮崎氏の所属事務所にお願いします。

しかし中沢新一は飽くまで教団外の人間。
教団内に、何の誹りも刑罰も受けなかった当事者が1人います。それが石川公一法王官房(補佐)です。や、誹りは受けましたね。
巷間、学歴が高ければ高いほど、学力が高ければ高いほど、自白するのが早いと言われています。頭がキレるがゆえに取り調べ段階で先が見えてしまうのでしょう。だからすぐに白旗を上げるのだと思います。
ところが石川公一は逃げ切りました。ひょっとすると、ずっと前から「こうなる未来」を予測していたために逃げ切ることができたのかも知れません。となるとあながち「東大理科三類に行くやつは宇宙人」というのは間違いではないのかも……

仏教を哲学・思想と呼ぶと角が立ちそうですが、とにかく「老・病・死」を恐れたゴーダマ・シッダルータさんが悩みに悩んだ末、考え、答えを出し、弟子たちが体系だてたものです。最後は解脱するんです、解脱。解説じゃないです、解脱です。
オウム真理教もその源泉を仏教としているわけで、他人に「死」を与えてしまうのは飛躍しすぎです。
教団内のみでしか通じないドクトリン。外の世界に届かない言葉、それでいて自己増幅する言葉。その恐ろしさたるや、もうね。今の言葉で言うとエコーチェンバーと言われるものと近からず遠からずだと思います。届いてませんよ、そこのリベラルさん。

「書を捨てよ、町へ出よう」と言いたくなりますが、それもまた寺山修司氏の出版物という皮肉。まずその書を捨てろや。

以上、つまらない集団のつまらない話でした。

Here we are now, entertain us.

と、締めくくりましょう。

Hey, yay.



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