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ノーベル経済学賞受賞短編映画プロデューサー誕生の経緯。

1992年の春休み、Paul Milgromは京都大学に客員でやって来た。

当時、学部長だった浅沼萬里先生に研究室に呼び出されPaul Milgromとその家族を滞在中サポートするようにと依頼され京都案内をしたりしたとお世話したので家族ぐるみの付き合いとなった。

1995年、サリン事件に巻き込まれ、会社を辞め、アメリカに渡った。

1997年私はCoupertinoの友人を訪ねた。

近くのPalo AltoにあるStanford大学にいるPaul Milgromに電話すると個人的理由で落ち込んでいるという。

それで「私は相当酷い目にあっているが、それでも頑張っている、あなたにも頑張って欲しい」と長いメールを入れた。

Paul Milgromから感謝のメールが届いた。

2000年頃から友人にアカデミー賞への進捗を報告するTeamOscarというメーリングリストを作った。

一時は毎日送信するメーリングリストだった。

2010年頃、私は映画を作るためにカンパを募った。

数人の友人が応援してくれたが、その中かにPaul Milgromがいた。

そして、Paul Milgromは私のプロデューサーの一人となった。

そのプロデューサーは2020年のノーベル経済学賞を受賞した。

私は嬉しい。

結局、人生というのは出会いであるなと思う。

さかはあつし

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