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【小説】『フラッシュバック』#29

  ある夜に、ぼくは悪夢を見た。夢の中では、抗えない一つのシナリオに閉じこめられている。
 
 ぼくは旅支度をしている。旅行鞄(かばん)に荷物を詰め込んでいる。着替え、地図、カメラ、ガイドブック、帽子などを収まりよく配置する。
 ……しかし、いつまでも旅に出られない。なぜか出発できない。なぜなら、手元に自分を証明するものがない……。想いはあるのに。
 
 気分転換に手を洗う。水を流し、自分のこすり合わせている両手を眺める。しかし、洗っても洗っても手が濡れない。むしろどんどん黒ずんで汚れていく。手の不快感が増していく……どうすればいい……。
 
 ぼくは洗い場から以前の自分の部屋に戻る。天使の部屋ではない。そうして仕方なく布団に入る。部屋の向こうで何かが物音をさせている。ぼくの部屋で何かがバシッと鳴る。
 そこへ四つん這いに何かがやってくる。ガサゴソと動く。隙間からこちらを覗く。口から熱線のようなものを吐いてきて、避けきれない……。
 
 ぼくは寝床にしがみつく。ただひたすら伏せて待つ。やがて布団はベッドへと変わり、動きだす。あたりから水が湧き出す。ベッドが持ち上げられる。
 すると、ぼくの眠るベッドはどんどん水に流されている。気がつくと海の沖へと流されてきている。ゆらゆらと漂っている。夜の暗い大洋の真ん中まで来ている。
 ベッドは今にも沈みそうに漂っている。ぼくは幅のないベッドの中央にひたすら縋(すが)る。どうしようもなく濡れる。怖い潮の匂いがする。
 そこへ、ぼくの浮かぶベッドの真下を、とてつもなく大きな何かが通る。巨大な背鰭(せびれ)が見え隠れする。ぼくは竦(すく)みあがる。そしてすれすれの水面下を往復される。あたりが波打ち、転覆しそうなほど揺らされる。ベッドから落ちれば死ぬと直観する。
 さらには土砂降りの雨が降り出す。海が時化(しけ)る。巨大な何かの呻(うめ)き声が海の中を飛び出して響く。いつの時代の生物なのか……?
 ぼくはどうすることもできず、波に叩きつけられ飲み込まれる。溺れて潮を飲む。そして暗い海の底へと沈んでいく。
 そこで虚無に捕らえられる。
 ぼくは深海に落ちたはずなのに、あたりには何もない。いつものように、突然空っぽの闇が襲ってきて、ぼくは耐えがたい深淵に飲み込まれる。
 ぼくは眠っているのに、眠っていた気がしない。
 ぼくは穴の開いたビン。溜まっていかない。
 心が正しい方向に向かっていないとき、虚無が口を開ける。逃れられない。
 ぼくは自分の求めているものが分からず、自分を紹介するものが見つからず、ただただ苦しくなる。
 目の前の虚無は地割れのように口を広げ、中から巨大な黒い腕がぼくを掴む。
 ぼくは人と向き合えない。責任感の欠片もない。人を裏切る。恩を仇で返す。傷つける。泣かせる。突然いなくなる。
 
 あしらわれる。無視される。腫れ物にされる。あてにされない。
 
 ぼくは剝がれ落ちていく。ひび割れる。破片になる。粉々になる。どろどろに溶け落ちて崩れる。
 
 そのとき翼がはためく。ぼくが見ている天使は幻だろうか?
 
 「すべてが幻だとしても、見えている意味を信じろ」
 
 助けてくれ、天使! お願いだ! ぼくを救ってくれ!
 ぼくを救い出してくれ……!

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