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駱駝の舟がゆく (無料購読)

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「春伊良湖・入船」(2000年)道家珍彦

駱駝の舟がゆく
                            小川雅魚

明け方
画家の夢を見た

海を見降ろす工房の
暗い小さな灯火の下で
青の絵の具を溶いていた
ラピスラズリの玉を砕いて

騒がしい渡合の海が
砂漠のように静まって
駱駝の舟のキャラバンが
月に向かって渡って行った

私がそのめずらしい名前を知ったのはいつの頃だったか、もちろん絵を通してだが、はじめて観たときから、道家珍彦の絵にはなつかしい磁力があった。伊良湖の情景はもちろん、行ったことのないシルクロードの砂漠も、そのまえに立つと、からだの奥の方にある情感が立ち上がってくる。私的な記憶をこえた、もっと深いなつかしさだ。

「砂漠にはロマンがあると思っていた。現実には、生と死が同居する過酷な自然があるだけだった。こんな激しいところでも、人間は生きていかなければならない。」

はじめてシルクロードを訪れた時の画家のことばである。この認識があるからこそ、道家珍彦の絵は装飾的な風景画に堕すことがない。ときに優しく、ときに激しく、ときにはユーモラスに、デフォルメされた風景は、人々が喜び、苦しみ、悲しみ、怒りながら、そこに生きている娑婆であることを語っている。

数年前、拙書の装幀にその作品を使わせて頂き、表紙に珍奇な二つの名前を並べて以来、ときどきお会いしたり電話でお話しするようになった。ユーモアを湛えた飄々(ひょうひょう)としたお人柄で、「道家さん」あるいは「道家先生」と、三十年を過ごした渥美の人々から慕われている。ちょうど越後の良寛さんのように。

先頃、田原市博物館で開かれた「道家珍彦展ーシルクロードと渥美」に遅ればせで駆けつけた。まずシルクロードの展示室をただよった。

激しい赤もいいが、私は道家さんの青が好きだ。原料のラピスラズリが高価であるからでは、もちろんない。深いのだ。喜びも、苦しみも、悲しみも、怒りも、すべてを呑み込んで、深い。飄々としたお人柄は、この深い青の上に浮かぶ軽やかな小舟なのだろう、と思い至る。ちょうど良寛さんの軽みが、娑婆の悲惨を見続けたはての至高の境地であったように。

微醺(びくん)を帯びたような心持ちで渥美の展示室に入った。今度は具体的ななつかしさだ。「伊良湖驟雨(いらごしゅうう)」がある。拙著に使わせて頂いた「伊良湖渡合(いらごどあい)」がある。潮音寺所蔵の六枚屏風、同じ題名の大作がある。渡合の海をゆく舟が、砂漠をゆく隊商の駱駝に見えてきた。眼の前の渥美の海と遥かに遠いシルクロードの砂漠が、時空をこえて、ひとつの雄大な風景となって、そのなかに少年の私がいた。

「春伊良湖・入船」ははじめて観た。華やかに躍動している。寄せる波が赤いのは夕陽の反映だけではない。そこに生きる人々の血潮なのだろう。生きている喜びに溢れている。

このたび『渥美半島の風』を創刊する運びとなった。以下に集めた文章群は半島に生きる人々の血潮、といったら大仰すぎるか、日々の営為の記録である。  
                おがわまさな(本誌代表 小中山在)

「駱駝がゆく」(1980年)道家珍彦

道家珍彦(どうけうずひこ):昭和九年名古屋市生まれ。旭丘高校・愛知学芸大学(現・愛知教育大学)卒業後、美術教師をしながら画業に邁進。昭和五十五年から平成二十四年まで渥美町堀切(現・田原市堀切町)に居住。シルクロードと伊良湖の画家として広く知られている

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