最近の記事

林瑠奈と思い出の不法滞在

林瑠奈の日常生活でふと思い出されることとは、たとえば、プルーストにおけるマドレーヌや石段の窪みによって喚起される無意志的記憶ではないだろうか。 しかし、林瑠奈がそれを思い出の不法滞在として許さないのは、ひとえに休業中の出来事が関係しているのかもしれない。 ※「心の間歇」とはプルーストが『失われた時を求めて』の総題として考えていたほどに核心的テーマでもある。 林瑠奈のプロローグともいえる個人PV『林、林を追えよ!』からそうであったように、乃木坂46という名前と戦いつづける

    • 池田瑛紗は過去を変えることができる

      この池田瑛紗の言葉に、ジャン=ピエール・デュピュイの概念を思い起こした。 客観的な理由としてデュピュイが掲げる事例については著書を読んでもらいたい。ともかく池田瑛紗はいつの日か乃木坂46として消滅することを知っているが、消滅がやって来ていない以上その瞬間までは、消滅はまだ近くないという希望を持つことができる。たとえば、絶望の一秒前に星が微かに光るのは、その星が終わりを遠く離れたところに選んでくれようとしているからだろう。 結局のところ、乃木坂46としての人生をどうするべき

      • 山下美月の「声のきめ」

        どの感覚の回帰があるべきかはそれぞれのおもむきに任せればいい。ここでは”その木目という点では実は音響的であるよりむしろ《香りをもつ》ものというべき声”であるロラン・バルトの「声のきめ」という要素を語らなければいけない。 その「声のきめ」とは何か? こうした《きめ》を山下美月の歌声から感じる。つまり、山下美月の「声のきめ」によって思い出が導き出されるということだ。 結論から言えば、山下美月の声を聴くたびに桜井玲香を思い出してしまう。 『知りたいこと』の「ずっと前から知っ

        • アイドルの橋本奈々未は引退した橋本奈々未と並行して在りつづける

          2016年10月30日に放送された乃木坂工事中のなかで、番組でやり残したことを聞かれた橋本奈々未は「マカオ楽しかったなと思いました」と答えた。「バンジーとか絶対やらされる羽目になるよね」と言われれば「たぶん飛べる」と返す。そして「じゃあマカオタワーでバンジーやろうよ」と聞かれたあとに、こんなことが語られる。 しかし、”橋本がやりたかった企画”として放送された2017年2月19日の乃木坂工事中は「ボードゲーム部の活動がしたい」というものだった。 橋本奈々未がバンジーを飛ぶこ

        林瑠奈と思い出の不法滞在

          『Monopoly』拾遺補闕

          乃木坂46が『Monopoly First Live』を披露したときにやさしさの拒絶であると考察したことは、あながち間違いではなかったのかもしれない。 しかし、誤謬があったとすれば、『Monopoly』のMVが公開されたあとに分析した林檎とは一体何であるか?のなかで”賀喜遥香は林檎を齧る”と書いたが、あれは林檎ではないらしい。 林檎でなければ何なのか? そのことについて賀喜遥香がラジオで話していた。 林檎に似たプラムを齧らせることは、歯痛のせいではないはずだ。池田一真が

          『Monopoly』拾遺補闕

          2023年映画ベスト

          1.アステロイド・シティ(ウェス・アンダーソン)2.バーナデット ママは行方不明(リチャード・リンクレイター)3.EO イーオー(イエジー・スコリモフスキ)4.枯れ葉(アキ・カウリスマキ)5.逃げきれた夢(二ノ宮隆太郎)6.ショーイング・アップ(ケリー・ライカート)7.なのに、千輝くんが甘すぎる。(新城毅彦)8.ロスト・フライト(ジャン=フランソワ・リシェ)9.イコライザー THE FINAL(アントワーン・フークア)10.アルマゲドン・タイム ある日々の肖像(ジェームズ・グ

          2023年映画ベスト

          2023年乃木坂工事中ベスト

          いよいよ1期生と2期生が全員卒業してしまい『乃木坂って、どこ?』経験者がいなくなってしまった。そんな中でも新・4期生が台頭していたと思う。先輩風を吹かせる黒見明香と内輪ウケものまね大賞王者の林瑠奈から気力を感じられていたものの、前者はそれほど番組に呼ばれていなかったり、後者は休業期間があって勿体なかった。それでも選抜常連になりつつある弓木奈於という主砲の快進撃。口を開けばソロホームランを打ってくれる安定感は頼りになる。佐藤璃果もガンガン行ってほしいし、乃木談の立ち振る舞いをみ

          2023年乃木坂工事中ベスト

          乃木坂46が髪を切るとき

          乃木坂46が髪を切るという行為に、意味を探さずにはいられなくなるのはなぜか? それはまずもって『おいでシャンプー』があることを事由とするのかもしれない。 長い髪のシャンプーの香りにときめいている僕は、その匂いが夏の陽射しと風に運ばれてくることを待っている。そして君が振り向いたとき、匂いは揺れた髪によって届く。ここには嗅覚というシステムの優れた点をみることができる。 匂いは「こちらからコンタクトしなくてもその存在が確認できる」ものであり、よって僕は「君の予告」を感じられる

          乃木坂46が髪を切るとき

          林檎とは一体何であるか?

          乃木坂46の34thシングル『Monopoly』のMVが公開された。 愛を独占しようとする遠藤さくらとそれに応えようとしない賀喜遥香の物語である。 そのなかで賀喜遥香は林檎を齧る。 あの林檎とは一体何であるか? この芥川龍之介の体験を重ねた考察系二次創作のような著書のなかで林檎の問題を論じている。しばしば思われているであろう「智慧の果」としてだけではなく、その状況によって林檎は何であるかを変えてしまうのだ。 では遠藤さくらにとって林檎とは一体何であるか?前掲書のなかで

          林檎とは一体何であるか?

          やさしさの拒絶

          乃木坂46の34thシングル『Monopoly』の主人公は「やさしさを愛だと勘違いしていた」と言う。片想いであるはずなのに「みんなにやさしい君に腹が立つ」ということは気づいたら両想いであると、いつのまにか妄想している。そうした独占はどこか危険性を孕んでいる。 エドワード・ヤンの『牯嶺街少年殺人事件』では表題の通り、その事態が起こるときにこんな会話が交わされる。 僕だけが君を救うことができるという独占がそこにはあった。その偏執的なやさしさが拒絶されることで悲劇は起こる。だか

          やさしさの拒絶

          林瑠奈の心覚え=プルーストの心情の間歇

          2023年10月2日に乃木坂46の活動を再開させた林瑠奈が、休業中に真夏の全国ツアー2023を配信で観た際の心境を語った。 林瑠奈の心覚えとは、プルーストの心情の間歇のことではないだろうか。 プルーストの心情の間歇とは、過去の記憶が現在の意識とつながることで(その中間の年月は消し去って)、よろこびや苦痛の感覚を呼び起こして、自我を定着させる力をもつものである。 林瑠奈は神宮のライブを観ることで、過去の記憶=あの頃の乃木坂を見ていた私/乃木坂46というグループをただ純粋に

          林瑠奈の心覚え=プルーストの心情の間歇

          乃木坂46のさよならはいつもサヨナラ

          『僕たちのサヨナラ』のミュージックビデオが公開された2023年2月17日に中西アルノが乃木坂46メッセージのトークでこんなことを言った。 つまり、乃木坂46のさよならはいつも片仮名のサヨナラが使われているということである。ここでの文脈はさよなら=卒業だとすれば、たしかに橋本奈々未の『サヨナラの意味』、桜井玲香の『時々 思い出してください』、白石麻衣の『しあわせの保護色』、松村沙友理の『さ〜ゆ〜Ready?』、齋藤飛鳥の『ここにはないもの』、秋元真夏の『僕たちのサヨナラ』と、

          乃木坂46のさよならはいつもサヨナラ

          井上和の雨という変化するための重力

          井上和は神宮のライブで雨が降ってほしいと願う。 結局のところ、真夏の全国ツアー2023の神宮4日間は太陽さんさんで普通に晴れてしまった。しかし、それよりも井上和が雨に濡れることで乃木坂らしさのイニシエーションを体験しようとしていることに感動を覚える。乃木坂らしく変化するためには雨という垂直の運動性が必要であった。 つまり、井上和が乃木坂46になるという未知の世界/新たな領域を進むためには、雨が降っていなければならない。氷晶が重くなって落下する雨とは、変化するための重力であ

          井上和の雨という変化するための重力

          きみが消えてゆく速度よりはやく

          2023年5月17日(水)・18日(木)に東京ドームで開催された卒業コンサートのなかで齋藤飛鳥は「恩送り」という言葉を使った。 「恩送り」とは、誰かから受けた恩を直接その人に返すのではなく、別の人に送ることであるらしい。そのため「恩送り」は等価ではなく、贈与=ギフト/giftに関係していると思う。つまり、齋藤飛鳥の「恩送り」とは、君への「オミヤゲ」である。それは君=乃木坂46のメンバーであり、スタッフであり、ファンであり、ここにいない誰かのために送るもの。だから私たちが歌っ

          きみが消えてゆく速度よりはやく

          遠藤さくらは迷路の人間である

          遠藤さくらは迷路の人間である。 そこで遠藤さくらのアリアドネとは何か? つまり、曲のパフォーマンスは、遠藤さくらのアリアドネだった。それが自分に向いているものの真実ではなく、ただ遠藤さくらを導いてくれる。 確実に曲のパフォーマンスがあってこそ、必死に自分なりに向き合いながら迷う。諦めることなく、悔しさからまた迷いつづける。 遠藤さくらの歩む道は迷路である。その迷路のなかに真実を探さないこと。真実とは迷路にさまようことである。 これが迷うことの真実である。遠藤さくらの

          遠藤さくらは迷路の人間である

          赤いジャケットに着換えること

          特設サイトまで用意された『ごめんねFingers crossed』のMVは以下のような内容である。 ある海辺で密かに営業しているダイナー。 そこには日本中からスピードを競う走り屋たちが集まっていた。 車のチューニングと己のテクニック。 自分の目でみたレースの行方。 誰も信じてはいない伝説の加速。 「誰が一番速いのか?」 今日もこのダイナーで話が尽きることはない。 これは乃木坂46のための作品ではなく、「チーム戦のチキン・レース/大好きな映画ワイルド・スピードのオマージュ」

          赤いジャケットに着換えること