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山下美月の「声のきめ」

 プルーストにおいては、五感のうち三つの感覚によって思い出が導き出される。しかし、その木目という点では実は音響的であるよりむしろ《香りをもつ》ものというべき声を別とすれば、私の場合、思い出や欲望や死や不可能な回帰は、プルーストとはおもむきが異なっている。私の身体は、マドレーヌ菓子や鋪石バルベックの〔グランド・ホテルの〕ナプキンの話〔プルースト〕にうまく乗せられることはないのだ。二度と戻って来るはずのないもののうちで、私に戻って来るもの、それは匂いである。

ロラン・バルト『彼自身によるロラン・バルト』

どの感覚の回帰があるべきかはそれぞれのおもむきに任せればいい。ここでは”その木目という点では実は音響的であるよりむしろ《香りをもつ》ものというべき声”であるロラン・バルトの「声のきめ」という要素を語らなければいけない。

その「声のきめ」とは何か?

《きめ》とは、歌う声における、書く手における、演奏する肢体における身体である。私が音楽の《きめ》を知覚し、この《きめ》に論理的な価値を与えるとしても(それは作品の中にテクストの存在を仮定することだ)、私は自分のためにまた新しい評価表を作ることしかできない。その評価は、多分、個人的なものであろう。なぜなら、私は歌う、あるいは演奏する男女の身体と私との関係に耳を傾けようと決意しているからである。そして、この関係はエロティックなものであるが、全然《主観的》ではないからである(耳を傾けるのは、私の中の、心理的《主体》ではない。主体が希望する悦楽は主体を強めはしない——表現しない——。それどころか、それを失うのだ)。

ロラン・バルト『第三の意味』

こうした《きめ》を山下美月の歌声から感じる。つまり、山下美月の「声のきめ」によって思い出が導き出されるということだ。

結論から言えば、山下美月の声を聴くたびに桜井玲香を思い出してしまう。

『知りたいこと』の「ずっと前から知っている君のことが何となく」の部分を聴いてみてほしい。とある方の表現を借りれば、”マイルド桜井玲香”というほかない。

そこで音声解析でほんとうに似ているのか?を検証するためにフーリエ変換を勉強してみた。

しかし、音源素材が見つからなかった。

おそらく乃木坂46の歴史において桜井玲香が山下美月のパートを、あるいは山下美月が桜井玲香のパートを歌ったことはほぼないと思われる(知ってる方がいれば教えていただきたい)。たとえば、真夏の全国ツアー2019の『自分じゃない感じ』(山下美月→桜井玲香)や同年末の『Sing Out!』(桜井玲香→山下美月)はあるものの、ダンスカバーがされていたり、そもそも合唱形式であったり、ソロとまではいかない。

声の「きめ」は言葉では言い表せないものではありません(言葉で言い表せないものはありません)、しかし科学的にそれを定義することができないのです。なぜならそれは声と声を聴く者との間のある特定のエロティックな関係を前提とするからです。ですから声のきめを記述できますが、隠喩を通してだけ記述できるのです。

ロラン・バルト『声のきめ:インタビュー集 1962-1980』

だから定義することなく、隠喩としてマイルド桜井玲香であると思い込んでおく。それほど山下美月はきめを持っている声なのだ(少なくとも私の耳には)。

35thシングルに山下美月のソロ曲『夏桜』が収録されることが決定してたいへん嬉しい。あとは卒業コンサートで『ロマンティックいか焼き』の「ターコイズのリング」を山下美月に歌わせてほしい!!!

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