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林瑠奈と思い出の不法滞在

普段何気なく過ごしてる時に思い起こすことって、さぁ思い出を振り返るぞって気を張っても出てこないものばっかり。あなた達、脳のどこに住んでるの?不法な滞在は許さないよ。

#hayashimail 2024-08-18

林瑠奈の日常生活でふと思い出されることとは、たとえば、プルーストにおけるマドレーヌや石段の窪みによって喚起される無意志的記憶ではないだろうか。

ところが、すでにきいたり、かつて呼吸したりした、ある音、ある匂が、現在と過去との同時のなかで、すなわち現時ではなくて現実的であり、抽象的ではなくて観念的である二者の同時のなかで、ふたたびきかれ、ふたたび呼吸されると、たちまちにして、事物の不変なエッセンス、ふだんはかくされているエッセンスが、おのずから放出され、われわれの真の自我が——ときには長らく死んでいたように思われていたけれども、すっかり死んでいたわけではなかった真の自我が——目ざめ、生気をおびてくるのだ、もたらされる天上の糧を受けて。時間の秩序から解放されたある瞬間が、時間の秩序から解放された人間をわれわれのなかに再創造して、その瞬間を感じるようにしたのだ。

マルセル・プルースト
『失われた時を求めて〈見出された時〉』
井上究一郎訳

しかし、林瑠奈がそれを思い出の不法滞在として許さないのは、ひとえに休業中の出来事が関係しているのかもしれない。

※「心の間歇」とはプルーストが『失われた時を求めて』の総題として考えていたほどに核心的テーマでもある。

林瑠奈のプロローグともいえる個人PV『林、林を追えよ!』からそうであったように、乃木坂46という名前と戦いつづけることこそが痛みであるのだ。そうしながらも乃木坂46になった林瑠奈が、学業専念のために活動休止することでただの大学生である林瑠奈となり、対外的に乃木坂46を見たことで「心の間歇」はやってきていた。

 「心の間歇」は心の傷になるか?現在のPTSD定義には該当しない。定義は死の危険と深く結びついているが、それはヴェトナム復員兵への補償と対応しているからだけのことだ。
 おそらく、心の傷にもさまざまなあり方があるのだろう。細かな無数の傷がすりガラスのようになっている場合もあるだろうし、目にみえないほどの傷が生涯うずくことがあり、それがその人の生の決定因子となることもあるだろう。たとえば、おやすみなさいのキスを母親に忘れられて父母が夜の外出をする気配を感受する子どもの傷である。スティーヴンソンも『子どものための詩』で、高緯度地帯ゆえに明るいうちにベッドに追いやられる子どもをうたっていはしないか。ふつう、それは精神医学的介入を求められるたぐいのものではない。だが、精神科医が自戒するべきは、精神医学的介入を必要としない事態の軽視である。そういう傷のない子どもがあろうか。また、ある種の子どもの成長に不可欠なものかもしれない。そして歴史家フィリップ・アリエスは「大人による子どもの発見」を語ったが、子どもによる大人の発見もある。たとえば、エランベルジェの童話『いろいろずきん』。大人を発見することを介して子どもは自分を発見する。大人の行動を乏しい経験と語彙とによって論理的に考えて考えて考えているのが子どもだと小児精神科医デニス・M・ドノヴァンとデボラ・マッキンタイアはいう。「あどけない考え」だとして大人が微笑むものが子どもの必死の思考でありうる。成人になってからのプルーストの言動にもそれはありはしないか。相手を傷つけまいとする配慮と、相手の傷つきによって自分が傷つくことを恐れて先回りしようとする気遣いとが時に法外なチップとなり、丁寧すぎる挨拶となる。

 「私なら失われた時など求めはしない。そういうものはむしろ退けるくらいだ」とプルースト追悼の際にポール・ヴァレリーは書いた。彼が「知性の巨人」で済まされなくなった今、彼はむしろ過剰な記憶に苛まれた人 hypermnésique ではなかったと思われる。「初めから失われていた恋人」ともいうべき二十八歳年長のロヴィラ夫人への生涯の執着はほとんど時間が停まっているかのようである。サマセット・モームは「人を殺すのは記憶の重みである」といって九十歳になんなんとして自殺した。忘却を人は恐れるが忘却できないことはいっそう過酷である。プルーストも、母の死後の時間は停止していたに近い。最後はカフェ・オ・レによって辛うじて生存し、もっぱら月光のもとでのみ外出して、ひたすら執筆に没入した。記述を読むと鬼気がせまってくる。

中井久夫『日時計の影』

林瑠奈にとって「心の間歇」はたしかに傷であった。ただの大学生になろうとも、乃木坂46であることは忘れえない過酷さとなるからだ。ところが、その傷は成長するために不可欠なものでもあった。

 一時的とはいえ”ただの大学生”になることによって、その状態が自然に解消されていった、と‥‥‥。
「大学生としてだけで生きているときに発見したことは、自分が他人よりものすごく先回りして考えてしまっているときがあること、そして私は自分で思っていたよりも、この世界のことについて知らないことが多いんだなぁ、ということでした。自分の知らないことを無作為に吸収して少し世界が広がった結果、”自分はもう少し自由でいいのかもしれない”という結論に辿り着くことができたんです」
(…)
「今は考えたかったらとことん考えるし、答えが出なさそうだと思ったら別のことをしたりもします。いい意味で”無”なのかも。気を遣って、着飾った自分を見せるのはやめよう、と思うようになりました」
これは結構劇的な変化ですよね。
「自分でも思います(笑)。今、活動していく中でデジャヴのように感じる瞬間があるんですよ。"あ、過去に同じようなことがあった。そのときには私はこうしていた"って。今は、そのときに取った行動よりベターな形で動けている気がします」

アップトゥボーイ 2024年10月号

先回りせず、気を遣わず、自由になることで着飾った自分を見せることをやめた。

2022年12月4日に放送された乃木坂工事中のなかで齋藤飛鳥は林瑠奈についてこう語っていた。

すっごい未知な人だけど、ちょっと変わった人ってみんな思ってると思うけど、「変わった人だな」って思われるために行動したりする部分は、林の中で小指の爪くらいのパワーしか使ってないだろうなと思って、楽しんでやってるんだろうなと思うから”お戯れ”で

乃木坂工事中 #389

林瑠奈はどこか力んでしまっていたのかもしれない。いまこそ小指分ほどしか力を使わずとも楽しめているのではないだろうか。もっとも現在(いま)という瞬間と戯れることである。

「現在を大切に、今この瞬間を精一杯生きる」
というのがいつからか
私のモットーになっている。
きっかけは乃木坂46として行う
ライブにあったような気がする。
基本的にライブというのは
そのときその場所でしか味わえない
限定的なもの、
まさに今を共有することのできる生ものだ。
その時の最高値を出すことが
私がライブをする上で
掲げている目標でもあり、
また、それができると信じているからこそ
ライブが好きなのだと思う。
現在を大切に生きたいというのには
もう一つ理由がある。
私は小学校、中学校、高校、大学と
進路を辿ってきた。
これまで気を許した友達は
沢山いたはずなのに、
その中に今の話ができる人はほとんどいない。
身を置く環境が変わって、
歳を重ねるごとに、
思い出話しかできない友達が増える。
私だけではなくてきっと相手も気を使って、
会話の水準をあの頃に戻している気がする。
それはノスタルジーを感じられる
素敵な時間でもあって、
過去を共有していないと
できないことではあるけれど、
あれだけお互いのことを知り尽くして
気が知れていたとは思えないほど、
なんだか無性に
距離を感じてしまう瞬間がある。
あの頃のまま今の話をしたかったのにと、
相手の変化に自分がついていけなくなる。
でも大人になっていく中で
こうなってしまうのは仕方のないことで、
それはもちろんこの先もずっと同じ距離感で
変わらずにいられたら嬉しいけど、
そんなことはきっとないのだと思う。
人は必ず変わるし、
いくつになっても
過去は美しさを増し続けるし。
だからせめてと、
私は今を、現在を大切にしたいのだ。
今が良ければそれでいいとさえ
思ってしまうくらいに、
目の前のことに精一杯向き合いたい。

ニッカンスポーツ・コム
『負けるな!しょげるな!乗り遅れるな!』
2024-05-11

これこそが気を張って振り返る思い出である。

それからは、自分を訓練するようにして、人生のある時々にさ、その一瞬よりはいくらか長く続く間をね、じっくりあじわうようにしてきたと思う。それでも人生を誤まつことはあったけれど、それはまた別問題でね。このように自分を訓練していると、たびたびではないけれどもね、この一瞬よりはいくらか長く続く間にさ、自分が永遠に近く生きるとして、それをつうじて感じえるだけのことは受けとめた、と思うことがあった。
(…)自分がこれだけ生きてきた人生で、生きたしるしとしてなにがきざまれているか?そうやって一所懸命思い出そうとするならば、かれに思い浮かぶのはね、幾つかの、一瞬よりはいくらか長く続く間の光景なのじゃないか?
(…)私としてはきみにこういうことをすすめたいんだよ。これからはできるだけしばしばね、一瞬よりはいくらか長く続く間の眺めに集中するようつとめてはどうだろうか?

大江健三郎『燃え上がる緑の木』

不法滞在する思い出を許すことなく、この瞬間を無駄にはしないこと。それが林瑠奈のモットーとなっていたのだ。

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