林瑠奈の日常生活でふと思い出されることとは、たとえば、プルーストにおけるマドレーヌや石段の窪みによって喚起される無意志的記憶ではないだろうか。
しかし、林瑠奈がそれを思い出の不法滞在として許さないのは、ひとえに休業中の出来事が関係しているのかもしれない。
※「心の間歇」とはプルーストが『失われた時を求めて』の総題として考えていたほどに核心的テーマでもある。
林瑠奈のプロローグともいえる個人PV『林、林を追えよ!』からそうであったように、乃木坂46という名前と戦いつづけることこそが痛みであるのだ。そうしながらも乃木坂46になった林瑠奈が、学業専念のために活動休止することでただの大学生である林瑠奈となり、対外的に乃木坂46を見たことで「心の間歇」はやってきていた。
林瑠奈にとって「心の間歇」はたしかに傷であった。ただの大学生になろうとも、乃木坂46であることは忘れえない過酷さとなるからだ。ところが、その傷は成長するために不可欠なものでもあった。
先回りせず、気を遣わず、自由になることで着飾った自分を見せることをやめた。
2022年12月4日に放送された乃木坂工事中のなかで齋藤飛鳥は林瑠奈についてこう語っていた。
林瑠奈はどこか力んでしまっていたのかもしれない。いまこそ小指分ほどしか力を使わずとも楽しめているのではないだろうか。もっとも現在(いま)という瞬間と戯れることである。
これこそが気を張って振り返る思い出である。
不法滞在する思い出を許すことなく、この瞬間を無駄にはしないこと。それが林瑠奈のモットーとなっていたのだ。