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遠藤さくらは迷路の人間である

坂道合同オーディションを受けた動機を「自分を変えたくて」と以前のインタビューの時、話していました。
「言っていましたね。自信のないところは変わらなかったな。加入前の私にすごく申し訳ないです(笑)。でも、ライブだったら以前よりは、ちゃんと自信を持ってステージに立てている気がします」。
これは自分に向いているかもしれないなって思えるものは、何かしら見えてきているんですか?
「それもまだ見えてなくて。だから、さまよっている感じはありますね。乃木坂に入った時より、迷っている感じはしています。いろいろ考えて、ぐるぐる」。
それは、成長しているからこそ、いろいろなことが見えてきて、迷い、考えているようにも思えますが。
「そうですね。自分に一番合っているものを何か見つけられたらいいなとはすごく思っています。でもまだそれに出会えていない気がしていて。気付けていないだけかもしれないですし。いろいろお仕事をしていく中で、今も探しています」。

B.L.T.2022年10月号

遠藤さくらは迷路の人間である。

この世にある写真の全体は一つの「迷路」を形づくっていた。その「迷路」のまっただなかにあって、私は、このただ一枚の写真以外に何も見出せないことを知り、ニーチェの警句を地で行くことにしたのだ。すなわち《迷路の人間は、決して真実を求めず、ただおのれを導いてくれるアリアドネを求めるのみ》。「温室の写真」は、私のアリアドネだった。

ロラン・バルト『明るい部屋』

そこで遠藤さくらのアリアドネとは何か?

演技は曲のパフォーマンスとは全然違う気がします。私はパフォーマンスのほうが自分のしたい表現とか、自分を出せている気がして。「ここをもっとこうしたほうがいい」とか「もっとうまくなりたい!」という思いが湧くんですけど(…)

日経エンタテインメント! 乃木坂46 Special 2022

つまり、曲のパフォーマンスは、遠藤さくらのアリアドネだった。それが自分に向いているものの真実ではなく、ただ遠藤さくらを導いてくれる。

2回目のセンターをやってみて思ったことは、私なんかが乃木坂のセンターに立ってて恥ずかしくないかなって思って、もしかしたら先輩方にも恥ずかしい思いをさせてるかもしれないって思って、だからそう思われないために必死に自分なりに曲と向き合ってきたけど、歌番組だったり、ライブだったり、披露し終わったあとはいつも「あぁ…駄目だったかな」とか、「出来てなかったかな」「もっと出来たんじゃないかな」という気持ちになります。でも出来ないから「もう嫌」じゃなくて、出来なくて「悔しい」「もっと頑張りたい」って自分をそういう気持ちに変えてくれたのは確実にこの27枚目の期間があったから(…)

乃木坂46 真夏の全国ツアー2021 ~福岡公演~ DAY2

確実に曲のパフォーマンスがあってこそ、必死に自分なりに向き合いながら迷う。諦めることなく、悔しさからまた迷いつづける。

例えるなら今、自分はどんな道を歩んでいると思いますか?
「なんか、迷路みたいな感じではあります。道がいくつもあって、そのひとつに進んで行ってみるんですけど、『あ、違うかも』と思って戻って来て、また違う道に行って、『あ、また違うかも』となって……。それを、ぐるぐるとずっと繰り返していますね」。
「これだ!私の道は!」と思えるような道があるんですかね。
「あるのかなぁ(笑)」。

B.L.T.2022年10月号

遠藤さくらの歩む道は迷路である。その迷路のなかに真実を探さないこと。真実とは迷路にさまようことである。

ひたすらその道をいけ。「自分のたどる道がどこへ行くのか自分にも分からないときほど、先へ行っていることはない」と述べたのは、誰であったか。

ニーチェ『反時代的考察』秋山英夫 訳

ひたすらに進め。「人は自分の道がどこへ導いて行くかを知らないときほど向上しているときはない」という格言を語ったのは誰であったか?

ニーチェ『反時代的考察』小倉志祥 訳

問うことをやめ、ただその道を歩いて行きたまえ。誰であったか、こんなことを言っていた、「人間というものは、自分の歩いている道がどこに通じているかわからないとき、いちばん高い境地に達しているものだ。」

ニーチェ『反時代的考察』大河内了義 訳

これが迷うことの真実である。遠藤さくらの歩んでいる道がどこへ行くのか分からないときほど、先に行っていることはない。そこで向上して、いちばん高い境地に達しているのだ。

そこで彼はあるときこう言った、「場合によっては、私は人間を愛する」——そしてその際、彼はその場にいあわせたアリアドネのことをあてこすって言ったのだが——「人間は私にとって、地上に比べるもののないほど愉快で、大胆で、創意に富む動物であって、この動物はどんな迷宮に迷いこんでも、正しい道を見つける。私は人間に好意をもっている……私はしばしば、どうしたら彼をもっと前進させ、いま以上により強く、よりよこしまに、より深くさせてやれるかを、思案することがある。」「より強く、よりよこしまに、より深くですって?」と、私は驚いて尋ねた。「そうだ」と、彼はもういちど言った、「より強く、よりよこしまに、より深く。さらに、より美しくだ」

ニーチェ『善悪の彼岸』

もっと前進する方法とは何か?

ここに次のような方法がある。若いたましいが、「これまでお前が本当に愛してきたのは何であったか、お前のたましいをひきつけたのは何であったか、お前のたましいを占領し同時にそれを幸福にしてくれたのは何であったか」と問うことによって、過去をふりかえって見ることだ。

ニーチェ『反時代的考察』秋山英夫 訳

まさに次の手段がある。汝は今まで真に何を愛してきたか、何が汝の魂を引きつけたか、何が魂を支配し同時に喜ばせたか?若い魂はこの問いをもって人生を振り返って見よ。

ニーチェ『反時代的考察』小倉志祥 訳

次のような方法がある。これは若者に提言するのだが、自分の人生を振り返ってみずからの胸に問うてみるがよい、お前はこれまで何を本当に愛してきたか、何がお前の心を引きつけ、お前の心を支配し、かつまた有頂天にしたか、と。そして、これまで崇拝してきたそれらの対象を順々に心に思い泛かべてみるがよい。

ニーチェ『反時代的考察』大河内了義 訳

ときにはふりかえって見ることも必要だ。

ふりむくことは回想にひたることではない。つかれを吹きとばす笑いのやさしさと、たたかいの意志をおもいだし、過去に歩みよるそれ以上の力で未来へ押しもどされるようなふりむき方をするのだ。

高橋悠治『ロベルト・シューマン』

迷路のなかでは、ふりむくことがもっと前進させることにもなる。「なぜだろう あの頃に戻れない」という言葉と共にそのふりむき方をする曲こそ、センターを務める27枚目シングル『ごめんねFingers crossed』ではないのか。過去の恋愛を反復すること。だから遠藤さくらはより強く、よりよこしまに、より深く。さらに、より美しくなる。

見よ、わたしの目よ、遥か彼方を!何と多くの海原が、明け行く人間の未来が、私を取り巻いていることか!そして私の頭上には——薔薇色に燃える何たる静寂!何という曇りなき沈黙!

ニーチェ『ツァラトゥストラはかく語りき』


薔薇色に燃える何たる静寂!
何という曇りなき沈黙!

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