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『Monopoly』拾遺補闕

乃木坂46が『Monopoly First Live』を披露したときにやさしさの拒絶であると考察したことは、あながち間違いではなかったのかもしれない。

熱烈な片想いをしている主人公がいるけど、その相手は振り向いてくれない。そんな切ない歌詞を切ないシチュエーションで撮るのではなく、エゴイスティックな部分をピックアップして毒々しさのあるMVを撮ろうと思ったんです。キレイな片想いというより、狂気じみた感情を描きたかった。
(…)
「振り向いてほしい」と気を引かせる行動がエスカレートしてバランスが崩れていく、というテーマがあって。何をもって気持ちが伝わったと感じるのか、何をすれば振り向いてくれるのか、戦略的、計画的にやったつもりでもバランスが崩れて、想像と違う結果になってしまうんです。

EX大衆 2024年1・2月合併号

しかし、誤謬があったとすれば、『Monopoly』のMVが公開されたあとに分析した林檎とは一体何であるか?のなかで”賀喜遥香は林檎を齧る”と書いたが、あれは林檎ではないらしい。

——印象的なシーンにリンゴが出てきますが、天秤にのせて気持ちの変化を表すなど、何かのメタファーになっていると推察されます。賀喜さんがリンゴを齧るときの表情が「無邪気」じゃないところも気になりました。
リンゴの正解は話しませんが、ただ、賀喜さんが食べているのはリンゴじゃないんです。あそこで賀喜さんがリンゴを食べてしまったらダメなんです。

同上

林檎でなければ何なのか?
そのことについて賀喜遥香がラジオで話していた。

あれもねぇ「リンゴですか?」って聞かれるんです。食べてるの。で、リンゴを食べさせたかったと思うんですけど、リンゴを齧るのってたぶんね歯が痛くなりそうな気がするから、プラムにしてくれました。あれプラム齧ってます。すももか!美味しかったです。

乃木坂LOCKS!2023-12-07

林檎に似たプラムを齧らせることは、歯痛のせいではないはずだ。池田一真があえて言うことは、やはり「やさしさを愛だと勘違い」してしまう遠藤さくらのために、賀喜遥香はふたたび林檎を与えなければいけないからだろう。

いま一度思い返したいのは『Monopoly First Live』が改装工事中のSHIBUYA TSUTAYAで披露されたことである。

法被姿のフランス人女性がまったく気づいてはおらぬこうした無惨な事態は、ことごとく渋谷一帯の再開発とやらが原因であるというしかあるまい。駅周辺の移動が厄介になり始めたのは、数年前から、元百貨店だった一帯が再開発の工事とやらで、ごくぶっきらぼうに風景を変え始めてからのことである。では、その再開発とはいったい何か。どうやらこれは「都市再開発法」という昭和四十四年に制定された法律に基づく大規模工事だというから、多少とも官製の発想がその根もとにありそうだ。そもそも、なぜ「再開発」であって、たんに「開発」と呼ばれることが避けられているのか。
「再開発」というからには、すでに「開発」されていたものを改めて「開発」し直すという、いわば戦前を精算することを目的とした戦後的ともいえる復興の思考がそこに反映しているような気がしてならない。事実、法律が制定されたのは、まだまだ「戦後」の雰囲気をとどめていた時代のことである。だが、二十一世紀にもなっていまだに「再開発」などといっているかぎり、そこに「戦後」的な発想が無批判に受けつがれているように思えてならない。

蓮實重彦『些事にこだわり』第15回

ひとまず2023年の乃木坂46が『人は夢を二度見る』からはじまる再出発の物語であり、開発し直すという復興の思考が反映しているような街を舞台にしたことは意味を持つのかもしれない。

しかし、こう続ける。

いずれにせよ、二十一世紀の日本に於ける超高層ビルの林立は、国そのものの遠からぬ凋落を予言しているように思えてならない。
(…)
「再開発」とやらは、こうした「公共の福祉」には背を向けた無駄かつ無謀な振る舞いとしか見えぬ。そうした愚かな傾向は、外国人投資家たちにとっての好機でこそあれ、日本人にとっては、その未来を閉ざす愚かな事態にほかならぬ。

同上

蓮實重彦が渋谷の再開発にみた予期と池田一真の描いた『Monopoly』のフィロソフィーは、世界の崩壊をもって呼応する。だから再出発をしようとする乃木坂46というセカイも崩壊の一途をたどることを告げられているように思えてしまう。

見えない将来も 君が手を繋ぎ
一緒に居てくれると思ってた

乃木坂46『Monopoly』

世界に何が起こっているのか、毎日いくつかのニュースサイトを見ていると、日本のメディアはウソとお笑いしかないような印象を受ける。世界は激しく変わる時期に入ったが、日本は沈んでいく側の最後列にいるらしい。

一つの世界が壊れて、多くの破片になれば、統一や安定を探すのではなく、部分的で多彩な組み合わせ、あるいは矛盾を含んだ運動の、故障・中断・脱落など、未完成なまま放り出された箇所をそのままに、イメージで埋めるか、それとも躓きと片足跳びで隙間を残すか。綻びのある線を絡め、撚り合わせて。

ことばが滑ってゆく。そのまま手から離れないうちに掬いあげて。

『水牛のように』高橋悠治 2024年1月号

2024年を迎えた乃木坂46が元日に出演したCDTVのなかで『Monopoly』を披露した。いつもは曲終わりに賀喜遥香から遠藤さくらの手を繋ぐはずが、遠藤さくらから賀喜遥香の手を繋いだ。

これはまさしく「僕は謝ることより先に手と手を繋いだ」という精神的続編にも思える『君に叱られた』のような結末。崩壊しようとするセカイで握りしめ合う手。愛にできることはまだある!!!!

そのまま手から離れないうちに掬いあげること。

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