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妻から”パパ”と呼ばれる違和感の正体

「あたし、アッちゃんのこと絶対にパパって呼ばないからね」

いつ、何をしている時かまったく覚えていないのですが、ある日、妻がそう言ったんです。

多分、3歳の三男がまだ1歳くらいの頃だったんじゃないかなって思うんです。

自分の夫のことを”パパ”と呼びかける女性って多いですよね。そこに自分の子どもがいなくても、夫に”ねぇ、パパ”と呼びかけている光景をよく見ますよね。

ぼく、妻から「絶対に”パパ”と呼ばない」と言われて嬉しかったんです。

妻から”パパ”と呼ばれることって、ぼくを”父親”という枠に無理やり当て込まれて、ひとりの人間としての存在を忘れられてしまっているような気持ちになるんです。

ぼくをぼくというひとりの人間として一番尊重してくれているのは妻だと、ぼくは思っているんですね。

大げさに言ってしまうと、妻の言葉が”ぼくがぼくであること”を証明できるもっとも大きいものであるような気がしているんです。

ぼくがこの世でもっとも信用しているのは妻なんですね。ぼくという人間を丸ごと預けられるなって思っているんです。

そんな人から名前ではなくて”パパ”という記号で呼ばれると、なんだか突き放されたような寂しさを感じるんです。

妻は1回だけぼくに”パパ”と呼びかけたことがあるんですが、ものすごい違和感をぼくは感じたんです。

まるで、妻との関係性をよく切れるハサミでスパッと切られたような感覚。

ぼくを”パパ”と呼ぶ妻の顔が、まるで能面をつけているように見えたんです。

なんの感情も感じられない女性の表情をした能面ってありますよね?

あれを妻がつけているようにぼくには見えたんです。

ぼくらの間にあった”ふたりの人間”の暖かな関係性が断ち切られて、”ママ”と”パパ”という無機質な記号の中に、ぼくらの存在が追いやられてしまったような、そんな気持ちになったんです。

「そんな大げさな!」と思う人もいると思うんです。

たかが呼びかける時に使っているだけの言葉じゃないかと。

だけど、言葉がその人に影響を与えることってあると思うし、2人の関係性にも影響を与えることってあると思うんです。

毎日「お疲れさま」とか「大好きだよ」とか言われたら嬉しいですよね?

そういう温かな言葉をかけることによって、その人の感情には間違いなく大きな変化が現れるし、その変化は夫婦ふたりの関係性にも現れると思うんです。

そういった言葉って無意識のうちに体の中に染み込んでいくと思うんです。

日々かけられる言葉が、その人の人間性に影響を及ぼし、言葉を”かける側と”かけられる側”の関係性にも影響を与えていると思うんです。

ぼくらが単なる”母親”と”父親”という枠組みにお互いをはめ込み、その役割だけを相手に強く期待するようになるのは、そういった言葉の影響もあると思うんです。

妻はぼくに何を期待しているのか?

ぼくは妻に何を期待しているのか?

そこには、”父親だから”とか”母親”だからという前提条件が潜んでいないだろうか?

お互いをひとりの人間として認識して、心から信用できるひとりの人間として認識しているならば、相手に何かを期待する時の前提条件は”父親だから”とか”母親だから”といったものにはならないと思うんです。

ぼくは妻から”パパ”ではなく名前で呼ばれるときに、”ひとりの人間として尊重されている”感覚を覚えるんです。

信用されている。大切にされている。そんな気持ちを感じるんです。この人はぼくのことを”ひとりの人間”として見てくれていると。

すると、妻の言葉がスッと自分の中に入ってくるんです。

妻から”パパ”と呼ばれる違和感の正体は、ぼくをひとりの人間として見てくれていない。大切にしてくれていないという寂しさだったんです。

そして、妻がぼくらの一対一の関係性に向き合うことを放棄してしまっているんじゃないかという恐れでもあったんです。


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