全自動洗濯乾燥機が妻とのコミュニケーションを教えてくれた。
真冬の夜10時、ぼくは濡れて冷たくなった洗濯物をベランダに干していた。
子どもたちが2才になる頃まで、”それ”は寝かしつけ後のお決まりの家事だった。
本当は朝に干した方が乾きがいいのだけど、双子のお世話に追われ、ぼくと妻の朝はとてつもなく大忙しだった。
出勤までの短い間のなか、双子の食事や着替えだけでなく、自分たちの食事と身支度も終わらせないといけない。
とてもじゃないけど、そこに洗濯物を干すという行為を挟むことはできなかった。
「仕事と家事と育児で疲れ果てた真冬の真夜中に、洗濯物を外に干す」
この家事があまりに辛すぎて、ぼくは洗濯乾燥機を買いたいとなんども妻に伝えたのだけど、実際に洗濯機を買い替えることができたのは、半年以上が過ぎた秋になってからだった。
洗濯機の買い替えまでに、ぼくと妻の間にはいろんなやりとりがあったのだけど、この案件は、ぼくらが夫婦としての絆を作るきっかけのひとつになったんじゃないかと今では思っている。
洗濯機の買い替えと夫婦の絆がどういう関係があるのか、当時を思い出しながら書いてみたいと思う。
◇
その作業は苦行でした。
洗濯機から取り出したばかりの洗濯物は、真冬の冷たい空の下でますます冷たくなり、仕事と家事と寝かしつけで疲れたぼくは、毎晩フラフラになりながら氷のように冷たくなった洗濯物を干していたんです。
洗濯物を干せるタイミングは、子どもたちがやっと静かになる”寝かしつけ後”しかなかったんです。
身も心も疲れ果てたあとの寒空の下での作業は、とても辛いものでした。
ある日の夜、子どもたちの寝かしつけが終り、隣で横になっている妻にぼくはこう言いました。
「洗濯乾燥機に買い替えない?」
ぼくとしては、この辛い作業をやらなくて済むなら多少の出費はしかたないと思っていたんです。
ですが、妻の返事は「お金がかかるからダメ。だったら私が干す」というものでした。
当時、ぼくは転職したばかりでまだボーナスがもらえず、ぼくらはぼくの毎月の給料だけでなんとかやりくりをしていたんです。
妻はまだ仕事復帰をしていなかったので、ぼくの決して多くない毎月の給料だけが家計のすべてだったんです。
「君が干しても、辛い作業をする人が別の人になるだけで、辛い現実は変わらないじゃないか」
ぼくは妻にそう言ったのですが、妻は双子育児のためにお金が毎月バンバン飛んでいくのを肌で感じていたので(オムツ代もミルク代も2倍!)、余計な出費にはとてもシビアでした。
結局、この件はいくら話し合っても平行線でした。
ぼくは「辛い作業をお金で解決したい」、妻は「そんなお金はかけられない。だったら私がやるからいい」と考えており、意見がまったく合わなかったんです。
(こんなに辛いと言っているので、なんで話を聞いてくれないんだ。しかも、辛いんだったら私がやるって、なんの解決策にもなってないじゃないか……!)
ぼくはそんな思いを抱えて悶々としていたのですが、その思いを妻にぶつけても険悪になるだけなのは目に見えていました。
その後、洗濯機の買い替えについて2回か3回は話題に出したのですが、やはり平行線のままだったので、不満に思いながらもぼくはしばらく黙っていることにしたんです。
これ以上話しても、妻はこちらの意見を聞いてくれないだろうという確信があったんです。
なぜなら、妻自身が「洗濯機を買い替えたい」と感じていなかったからです。
◇
その後、妻は疲れ果てたぼくの代わりに、真夜中に洗濯物を干すようになりました。
ぼくもやっていましたが、妻が干す回数の方が増えたと思います。
相変わらず、まだまだ手がかかる双子の育児に翻弄され、ぼくらは毎日を必死で生きていました。
寝不足と戦い、初めての育児にとまどい、飛ぶように消えていくオムツとミルクに経済的な不安を感じながら、必死で子どもたちの命をつないでいました。
そんなある日のこと。
いつものように子どもたちの寝かしつけが終わり、ふたりで死んだように布団で横になっていたときに、妻がボソッと言ったんです。
「洗濯機、買い替えようか」と。
このチャンスを逃してはいけないと思い、ぼくは次の日から徹底的に洗濯乾燥機のリサーチを開始しました。
ドラム式洗濯乾燥機、縦型洗濯乾燥機、乾燥機能だけの商品。
それぞれの商品の「我が家にとってのメリットとデメリット」を洗い出し、ひとつに絞るのではなく、それぞれについてことこまかく妻に説明したんです。説明というかプレゼンに近かったと思います。
「我が家における最適な洗濯乾燥機のご紹介」みたいな感じです。
仕事のように丁寧に調査をしておいたので、妻としては選びやすかったようで、すんなりと縦型洗濯乾燥機を買うことになりました。
ぼくは乾燥能力の高いドラム式がよかったのですが、まだ小さくてやんちゃな子どもたちが洗濯機のなかに入ってしまうことを妻が心配して、縦型になったのです。
洗濯乾燥機が我が家で活躍するようになってからは、真冬に洗濯物を干す苦行から解放され、妻も「本当に買ってよかったね」と何度も言うようになったんです。
あんなにかたくなに反対していたのに。
妻は「あなたが洗濯乾燥機についてすごい調べてくれたから、買ってもいいと思った」と当時言っていましたが、ぼくはちょっと違う思いをこの件では感じているんです。
◇
「洗濯機は買い替えない。なぜなら我が家は経済的に余裕がないからだ」
妻がそう言ったとき、ぼくは妻を説得しようと考えていたんです。
妻にそう言いたくて言いたくてしかたなかったんです。
(なんでこんなことがわからないんだ?)
(短期的に考えすぎなんじゃないか?)
そんなことすら感じていたと思います。
妻を説得させようとすればできたと思うんです。ロジックで押し通すことはできたと思うんです。
だけど、それをしてしまうと、なにか決定的な溝がぼくらの間に生まれるんじゃないかという感覚があったんです。
これを言ったらダメだなって。ここでぼくが自分の意見を押し通したら、きっと妻からの信頼を失うなって。
ただ黙って妻の言うことを聞いていればいいというわけでもないけど、ここはいったん引いた方がいいなって感じたんです。
自分の意見を押し殺すわけではなく、自分の意見を大切にした上で、妻の気持ちも大切に扱うことにしたんです。
ぼくらの家計を考えれば無駄な出費を避けなければいけないことはぼくもわかっていたし、そこに強い心配を感じる妻の気持ちもわかりました。
こんなにお金がバンバン飛んでいって、この先大丈夫なんだろうかと、妻は不安だったんだと思います。
いつか、妻が「洗濯機を買い替えたい」とそう思える日が来るまで、ぼくは自分の意見を押しつけないことにしました。
ぼくがムリに妻に意見を押しつけなかったからか、妻の頭のなかにはつねに「洗濯乾燥機」の存在があったようで、季節が冬から春へ、春から夏へ、そして夏から秋へと変わるころには、それが無視できない大きさになっていたようでした。
子どもが生まれると、こういう話っていっぱいでてきますよね。
夫婦の意見が食い違い、自分の意見を引っ込ませるのは負けた気がして嫌だし、相手の意見を飲むのは自分の意見を無視されたようで嫌だ。
結局のところ、「自分の意見を無視された」という感覚が「大切にされていない感覚」を生むのだと思うんです。
そして、その感覚が相手への否定につながっていくのだと。
自分の意見を引っ込めるのは、負けることでもないし、自分を否定されることでもないと思うんです。
ただ、意見が合わなかったというだけなんですよね。
自分の気持ちも大切にして、相手の気持ちも大切にして、お互いにとって最適な生活を一緒に模索し続けていくと、いつしか”ふたり”にとってベストな答えを見つけられるようになる。
今では、そんな気がしています。
8才の長男次男、そして3才の三男の山盛りの洗濯物を、2代目の洗濯乾燥機(ついにドラム式になりました)が、今日もゴトゴトと乾かしてくれているのでした。