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むさしの写真帖

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「写真っていうのはねぇ。いい被写体が来たっ、て思ってからカメラ向けたらもう遅いんですよ。その場の空気に自分が溶け込めば、二、三秒前に来るのがわかるんですよ。その二、三秒のあいだに…
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#詩

むさしの写真帖

むさしの写真帖

古いデジカメについて書いています。
ただしこれらの記事は2018年前後のものであるので、カメラのほとんどは手許にないのをご承知おきください。

追記: ネタが尽きたので写真、カメラにまつわること。またアラカンおじさんの日常について書いたりします。(2023年霜月朔日)

夜中に台所でぼくはきみに話しかけたかった

夜中に台所でぼくはきみに話しかけたかった

きみは生きていて呼吸してたに過ぎないんだ
十五分間に千回もためいきをつき
一生かかってたった一回叫んだ
それでこの世の何が変わったか?
なんてそんな大ゲサな問いはやめるよ
真夜中のなまぬるいビールの一カンと
奇跡的にしけってないクラッカーの一箱が
ぼくらの失望と希望そのものさ

そして曰く言い難いものは
ただひとつだけ
それがぼくらの死後にあるのか生前に
あるのかそれさえわからない

魂と運命がこ

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冬に

冬に

ほめたたえるために生れてきたのだ
ののしるために生れてきたのではない
否定するために生れてきたのではない
肯定するために生れてきたのだ
無のために生れてきたのではない
あらゆるもののために生れてきたのだ
歌うために生れてきたのだ
説教するために生れてきたのではない

死ぬために生れてきたのではない
生きるために生れてきたのだ
そうなのだ 私は男で
夫で父でおまけに詩人でさえもあるのだから

谷川俊

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地下鉄道にて

地下鉄道にて

ひとり来りて地下鉄道の
青き歩廊をさまよひつ
君待ちかねて悲しめど
君が夢には無きものを
なに幻影の後尾燈
空洞に暗きトンネルの
壁に映りて消え行けり。
壁に映りて過ぎ行けり。

「氷島」萩原朔太郎

冬の詩

冬の詩

冬だ、冬だ、何処もかも冬だ
見わたすかぎり冬だ
再び僕に会ひに来た硬骨な冬
冬よ、冬よ
躍れ、叫べ、僕の手を握れ
大きな公孫樹の木を丸坊主にした冬
きらきらと星の頭を削り出した冬
秩父、箱根、それよりもでかい富士の山を張り飛ばして来た冬
そして、関八州の野や山にひゆうひゆうと笛をならして騒ぎ廻る冬
貧血な神経衰弱の青年や
鼠賊のやうな小悪に知慧を絞る中年者や
温気にはびこる蘇苔のやうな雑輩や
おい

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秋の聲

秋の聲

秋の日の
ヸオロンの
ためいきの
ひたぶるに
身にしみて
うら悲し。

鐘のおとに
胸ふたぎ
色かへて
涙ぐむ
過ぎし日の
おもひでや。

げにわれは
うらぶれて
ここかしこ
さだめなく
とび散らふ
落葉かな。

落葉

上田敏『海潮音』より

陸橋を渡る

陸橋を渡る

憂鬱に沈みながら、ひとり寂しく陸橋を渡つて行く。
かつて何物にさへ妥協せざる、何物にさへ安易せざる、この一つの感情をどこへ行かうか。
落日は地平に低く環境は怒りに燃えてる。

一切を憎悪し、粉砕し、叛逆し、嘲笑し、斬奸し、敵愾する、この一個の黒い影をマントにつつんで、ひとり寂しく陸橋を渡って行く。
かの高い架空の橋を越えて、はるかの幻燈の市街にまで。

萩原朔太郎

ティカムサの詩

ティカムサの詩

With that I give you Tecumseh

So live your life that the fear of death can never enter your heart.
Trouble no one about their religion; respect others in their view, and demand that they respect you

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わたしが一番きれいだったとき

わたしが一番きれいだったとき

わたしが一番きれいだったとき
街々はがらがら崩れていって
とんでもないところから
青空なんかが見えたりした

わたしが一番きれいだったとき
まわりの人達がたくさん死んだ
工場で 海で 名もない島で
わたしはおしゃれのきっかけを落としてしまった

わたしが一番きれいだったとき
だれもやさしい贈り物を捧げてはくれなかった
男たちは挙手の礼しか知らなくて
きれいな眼差しだけを残し皆発っていった

わたし

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不可入性(2012年11月6日)

不可入性(2012年11月6日)

自分
感情
欲しい
好き
嫌い
明白
漠然
空想
現実
弁解
植物性
女の一生
取る
取るな
闘牛師


盲目
理窟
束縛
反省
別れる
ヒステリー
無縁の衆生
時間
音楽
空間
意志
浮気




17であった早熟の詩人が行き当たった「壁」というのは「心と生(性)」そのものであったか。