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むさしの写真帖

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「写真っていうのはねぇ。いい被写体が来たっ、て思ってからカメラ向けたらもう遅いんですよ。その場の空気に自分が溶け込めば、二、三秒前に来るのがわかるんですよ。その二、三秒のあいだに…
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2024年2月の記事一覧

きたかぜとたいよう

きたかぜとたいよう

あるひのこと、きたかぜが たいように ちからじまんをしています。
きたかぜが いいました。

「ぼくは どんなものでも かんたんに ふきとばすことが できるよ。
せかいで いちばんの つよいのは やっぱり ぼくだね。」

すると たいようは いいました。

「ふふん。たしかに きみは ちからもちだ。
でも、いちばん っていうのは どうかな?」

そこで ふたりは ちからくらべを することに しまし

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二月二十六日

二月二十六日

この事件以降、軍部に歯向うと殺される、という恐怖感が政府要職に就く者に広まっていく。

陸軍内の皇道派の影響を色濃く受けた青年将校らは「昭和維新・尊皇討奸」のスローガンの下、統制派の圧力に終に蹶起する。
蹶起趣意書では、元老、重臣、軍閥、政党などが国体破壊の元凶で、ロンドン条約と教育総監更迭における統帥権干犯、三月事件の不逞、天皇機関説一派の学匪、共匪、大本教などの陰謀の事例をあげ、

「依然とし

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祥月命日

祥月命日

その日の父の行動は見ていなくても全て手にとるように分かる。
日曜日の朝、たぶん七時前には起きてきたはずだ。
身支度を整え朝飯の用意をし、仏前に座る。
少しは体調の悪さを感じたのだろうか。
仏間から居間に移動し、炬燵の前の定位置に座り、横にある電気ストーブのスイッチを入れようと身体を伸ばしたのだろう。
そのまま父は亡くなった。
多分八時過ぎくらいだろうと思う。

翌日ぼくが見つけた時、家中の電化製品

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ジョハリの窓

ジョハリの窓

"open self” と “hidden self” と “blind self” と “unknown self”。
“Johari Window"では枠が移動する事で対人関係における自己開示の度合いを示す。
言い換えると「あなたと私が知る私」「あなたが知る私」「私が知る私」「あなたも私も知らない私」

その窓から見える景色はどう違うのだろう。
その窓から一体どの「私」が見ているのだろう。

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竜頭蛇尾

竜頭蛇尾

何事かを書き添えようというのは、写真を掲載しておきながら、敢えて写真から注意を逸らしたいという意思からなのかも知れない。
もちろん補完の意味もあるだろうけれど、撮影者の心情や見ている側の連想するものを方向を一定の方向に向けてしまうようなエクスキューズは、写真を見る事という行為の妨げになりかねないと思うのだ。
もっとも僕の場合は、いざ書き始めてしまうと、どっちが主題であるのか分からなくなってしまうの

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鷹の目

鷹の目

もう十年以上昔の話だが、どうしてもう一歩前に出なかったのだろう、と今でも思う。
これは偶然居合わせた警察官による逮捕劇である。
逮捕された人はかなり酔っているのか大暴れしていて、見ての通り数人で抑え込んでいる。
とっさにカメラを取り出してはいた。
いつもの平和な商店街が別の表情を見せた瞬間でもある。
遠巻きに見つめる人達の表情も入れよう。
ただし公務の邪魔になってはいけない。
そんな事を考えながら

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コーミソース

山本陽子さんといえば「コーミソース」のCMが浮かんでくる名古屋出身の方は多いのではないだろうか。
こちらでは「カゴメ」は見かけるものの「コーミ」は見たことがない。
どちらも名古屋なんだけどね。

ご冥福をお祈りいたします。

県営名古屋空港

県営名古屋空港

名古屋にいる頃、よく飛行機を眺めに行っていたのが「県営名古屋空港」である。
旧陸軍が「小牧飛行場」を昭和19年に設置したのが県営名古屋空港の始まりで、GHQに接収されていた時期もあったが、日本の空の玄関の一つとして重要な役割を果たしてきた。
2005年に中部国際空港が完成し国際線や主だった国内線も移転したために、民間空港としての名古屋空港はほぼその役割を終えたが、県営名古屋空港としてビジネス便など

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ハリー・ポッターと愚者の弁当箱〜Argus C3

ハリー・ポッターと愚者の弁当箱〜Argus C3

田中長徳さんが「アーガスC3」についての投稿をされていて、それで昔使ったことがあるのを思い出したのである。

アーガスC3はアメリカ製である。
35mmフィルムを使うカメラでアメリカ製というのは珍しいのではないか。
もちろん初期のコダックをはじめアメリカで製造されたカメラはあって1900年代初頭にはアメリカがカメラ業界を牽引した時代があったが、フィルムカメラのほとんどが中古になっている現在で、ある

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東京画

東京画

先週末、国立近代美術館に行った時に撮ったもの。

乙女のワルツ

乙女のワルツ

1975年というと昭和50年であるから、ぼくは小学4年くらいか。
前年に我が中日ドラゴンズが20年ぶりにリーグ優勝を果たし、優勝パレードが学校の近くを通るので授業をつぶして見に行ったくらい名古屋中が大騒ぎだった。
そのためか、この辺りの記憶には印象深いものが多くある。

伊藤咲子さんは「ひまわり娘」がデビューだという。
もちろん大ヒットしたので知っている歌だ。
当時の印象でも歌が大変に上手い人とい

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中馬のおひなさん

中馬のおひなさん

何度も書いているが、ぼくの出身は愛知県名古屋市だ。
北区の下町で生まれて守山区へ引っ越しはしたが、人生の半分くらいは名古屋で過ごした。
そのあと同じ愛知県の岡崎市に引っ越して東京に来たのだけど、やはり地の利というか、愛知県ならナビはほとんど要らないので安心感があるのは愛知県ということになる。

写真も数を撮っているのは愛知県である。
この時期になると豊田市の足助町で開催されている「中馬のおひなさん

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