祥月命日
その日の父の行動は見ていなくても全て手にとるように分かる。
日曜日の朝、たぶん七時前には起きてきたはずだ。
身支度を整え朝飯の用意をし、仏前に座る。
少しは体調の悪さを感じたのだろうか。
仏間から居間に移動し、炬燵の前の定位置に座り、横にある電気ストーブのスイッチを入れようと身体を伸ばしたのだろう。
そのまま父は亡くなった。
多分八時過ぎくらいだろうと思う。
翌日ぼくが見つけた時、家中の電化製品は冷蔵庫以外、何一つオンになっていなかった。
年寄りなのだから寒ければ暖房のスイッチを入れるように言っていたが、長年の癖なのか最低限の物にしかスイッチを入れなかった。
もう少し部屋を暖めていたら…
翌月曜日の午後四時過ぎ、ぼくは父の姿を見つける。
月曜の朝には必ず電話をしていたのだけど、その日は何度かけても出なかった。
おかしいと思うと同時に嫌な予感が、仕事やあらゆる用事をおっぽり出して名古屋へと向かわせた。
ストーブに手を伸ばすその瞬間も、父は自分が死ぬとは思っていなかったのではないだろうか。
五十代の終わりに、腸が若い頃の盲腸の手術が原因と思われる癒着を起こし、破れるという大病をして死線をくぐっている。
それからは自分の身体に十分すぎるほど留意していた。
前年の誕生日には「親父(ぼくからすると祖父)と同じ九十くらいまでは生きたいな」と言っていた。
あと2年だった。
死因は心不全であると聞かされたが、高齢者でこういった亡くなり方をすると大半は心不全となるそうだ。
母だって病院で眠るように亡くなったらしいが直接の死因は心不全である。
ぼくは経験者だから分かるが、どちらにせよ長く苦しんだわけではないだろう。
それが救いだった。
今日は父の命日だ。
見つけたのは二十七日だが、監察医の話では死後二十四時間程度とされ、死亡日時はニ十六日とされている。
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