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グロティウスの自然法論は世俗的であり、その意味で近代的である。

山内進『グロティウス『戦争と平和の法』の思想史的研究』ミネルヴァ書房、2021年。

非常に面白い本だった。

本書のタイトルには「思想史的研究」とある。思想史と聞くと、抽象的で小難しいことをやっている領域というイメージがある。しかし、本書では様々な言葉、概念について丁寧に説明している。躓きをなるべく減らそうという筆者の努力がうかがわれる。そのため、本書をじっくり読んでいけば、グロティウスと彼の思想、そしてそれを取り巻く情勢、議論を知っていくことができるようになっている。

グロティウスと言えば、世界史の教科書的には国際法の父である。だが、本書によればこれすらも議論の対象となってきたという。従来の研究は、国際法という枠組みの中でグロティウスを評価してきた。しかし本書では、国際法という枠を外して、より広い文脈からグロティウスの再評価を試みている。本書の意義はここにあるだろう。そして、本書はこの試みに成功しているように、私には思われる。

これまでの私の世界史理解を覆したものをもう1点上げるとすれば、ウェストファリア体制の評価に関する記述だろう。世界史の教科書的には、ウェストファイリア条約の成立=主権国家体制の成立である。しかし、このような認識は否定されているそうだ。この説明はなかなか衝撃的であった。教科書に載っている学説に関するものを時代遅れと言われることがあるが、ここまで大きく変わっているとは思ってもいなかった。複数の世界史教科書を読み比べて、それらの記述の仕方の違い、あるいは現在の学界での理解を調べてみるというのも面白そうなネタになりそうだと思った。

最後に、国家の役割をめぐる記述について言及しておきたい。日本は政治への関心が低く、それは選挙の投票率の低さにも表れている。しかし、それは好ましい状況ではない。そのことを理解する最初のステップになりそうな記述があった。

国家はなぜ必要なのか。この問いに対して、ルソーは次のように回答する。国家は人々の財産、自由を奪ったり、制約したりする。逆に、国家は人々に何を与えてくれるのか、と。ルソーは国家の必要性を否定しているといえる。

自身の生活を振り返ってみよう。労働が国民の義務とされ、1日に7〜8時間程度は仕事に拘束されている。これは時間の自由を奪ったり、制約したりしている状態であろう。また、私たちが汗水流して得た給料からは、少なくない額が社会保険料として徴収される。また、所得税も徴収される。さらに、モノを購入すれば消費税、親などから遺産を相続すれば相続税が、徴収される。このようにして、国家は私たちの財産を奪っている。

では、国家は私たちに何を与えてくれているのだろうか。年金だろうか。しかし、今の若年層が年金を受給する頃まで、今の社会保障制度が維持されているとは思えない。腐敗した政治環境は、願い下げである。

さきの問いに対して、グロティウスは次のように回答している。国家は「共通の利益」を与えてくれる、と。「共通の利益」とは、「公の平和と秩序」、自身の生命の安全のことである。危うくなってきているが、平和はまだ保たれていると言える。しかし、秩序はどうだろうか。選挙では泡沫政党が規則のグレーゾーンを攻め立てたり、他の候補者への妨害活動を展開したりしている。国家が、公の秩序を維持するという役割を果たさなくなってきている状態と言える。

グロティウスの主張に従うなら、「共通の利益」を提供しなくなった国家に、どんな存在意義があるだろうか。とはいえ、そのような国家を作り出してきたのは、私たちである。今の現状は、私たちの「共通の利益」を提供する国家を希求する行動によってこそ、取り戻すことができる可能性があるのではないかと思う。


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